タイムトンネル

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2019年7月13日 05:15

 先日、伊豆を日帰りした。

車掌長の母が、看護学校時代の同窓会旅行として、8名で1泊2日の旅行をした。
その際、手配を手伝った成り行きで、2日目午前の観光をレンタカーで案内することとなった。

当日、東海道新幹線のこだま始発で東京から熱海へ向かったが、幸運にも700系!
来春には引退する予定のようだが、いまや運行ダイヤ上、希少となった車両に乗れたのはラッキーであった。

平日朝の下りこだまに乗車した経験は無かったが、意外に混雑しており、新横浜を出ると自由席には立ち客も見受けられた。

熱海から伊東線に乗り換え、通勤・通学客に交じって一駅一駅伊東へと南下した。
一昔前の通学時間帯のローカル線は、友人同士のお喋りで賑々しかった記憶があるが、いまは一人一人がスマホに目を落とし、指先で画面を擦っている姿ばかり…

大勢の人がいるのにサイレントな車内は、少々薄気味悪い印象を得た。
そんな光景を目に映し、遠くない将来、「人と話す」コミュニケーション力をリカバリーする仕事が重宝されそうだなぁ…などと、自身の老後の活路を考えたりもした。

伊東駅でさらに伊豆急行へと乗り換え、伊豆高原駅で下車。
構内の留置線には、まもなく北海道で活躍するロイヤルエクスプレスを見ることができた。

同駅でワゴンタイプのレンタカーを借り、元看護学生たちの待つ某温泉のホテルへ向かった。

朝確認した天気予報は芳しくなかったが、伊豆半島は梅雨の晴れ間が広がった。
だが、海に目をやると、白波が立っており、風も幾分強そうであった。

本来の予定では、伊豆半島最南端の石廊崎を訪れることになっていた。
ここは、今春オープンした観光施設「石廊崎オーシャンパーク」があり、パワースポットとしても人気のある「石室神社」とともに、車掌長も行ってみたい場所であった。

しかしながら、石廊崎は強風の名所でもあり、この日は断念。
急遽予定を変更し、旧天城峠と河津七滝(ななだる)に行くこととした。

元看護学生たちも、車掌長にお任せという絶大な信頼を寄せてくださり、かえって、観光を楽しんでいただきたいという気持ちに火がついてしまった。

さながら、観光タクシーの運転手気分で、道の駅での買い物や、旧天城トンネルを歩いて「天城越え」をしてもらい車を回送したり、河津七滝最大の大滝(おおだる)を案内した。

この辺りは、車掌長が大学4年の秋、卒業論文を書くために1週間ほど滞在した宿があり、土地勘があることも幸いであった。

お腹も空く頃、里山でツルツルの名湯と昼食を楽しめる某温泉に一行を連れてゆき、そこで降ろして車掌長の案内は終了した。

伊豆急下田駅で車を返し、185系の踊り子号で帰路についた。
国鉄時代の車両が現役で活躍している姿は、何とも勇気づけられるが、そろそろ引退の話も耳にしており、労いながらの乗車となった。

また、東海岸の車窓を眺めながら、乗車前に購入した駅弁「金目鯛の塩焼き弁当」が、誠に美味であった。

青い海を見ながら、駅弁を頬張りつつ、今日の旅を回想すると、車掌長が初めて旧天城トンネルを訪れた時のことが頭に浮かび上ってきた。

それは、車掌長が高校3年に上がる春休みだった。
なぜだか急に、父と伊豆へ1泊2日の旅に車で行くことになり、伊豆半島を一周した。

家を未明に出て、早朝の誰もいない城ヶ崎海岸の吊り橋を渡ったことや、満開の伊豆高原の長い桜並木の下を清々しく走ったこと、石廊崎、堂ヶ島などの名所を探勝し、上述の河津七滝や旧天城トンネルも訪れた。

現在、トンネル内はガス灯を模したお洒落な照明もあるが、当時、トンネル内に照明は無く、歩いて反対側へ行くには車の往来も考えると危ない印象であった。

そんな隧道を、昔は伊豆の踊り子が通ったことを妄想し、車でゆっくりと抜けた。

あれから35年ほどの時間が経ち、父も80歳となった…

あのとき、まだ車の運転ができない車掌長を隣りに乗せ、快活にハンドルを握り、西伊豆の細い海岸線の道や、アップダウンも激しい山道を難なく運転していた姿は、もはや記憶の中でしか見いだせない。

いまはまだ、運転免許は保持しているものの、昨今の高齢ドライバーの置かれた状況を勘案すると、自主返納してほしいと切に願ってしまう。

今回、通り抜けた旧天城トンネルは、そんな昔の父を思い出させてくれた「タイムトンネル」でもあったように思う…

 

催涙雨

カテゴリー:⑤番線:feel the season方面 2019年7月 7日 05:43

「催涙雨」(さいるいう)…

七夕の日に降る雨を言うが、なんとも切ない文字の組み合わせに思う。
一年に一度、織姫と彦星が出逢うことを許される舞台の天の川…

その舞台の天候が雨の場合、再会は翌年へ順延される。
そんな切ない妄想を地上から見上げた先人たちは、この言葉を作ったのであろうか。

当の御本人はたちは、雨のない宇宙空間で逢瀬を喜びあったかもしれないが…

それは、さておき、七夕というか、7月7日という日に思い出すことがある。
1995年7月7日というとピンとこないが、和暦に直すと「平成7年7月7日」になる日。

そう、車掌長も大好きな、同じ数字が並んだ日であった。
今からもう24年も前になる頃、世の中、殊に就職活動をする学生にとっては、「就職氷河期」という時代の荒波に揉まれた頃であった。

バブルが弾け、一斉に採用を中止または縮小した企業が、多くの学生を露頭に迷わせた。

その当時の雨が、まさに「催涙雨」と言った方が相応(ふさわ)しいように思う…

その頃、車掌長は某専門学校のトラベル学科で教師をしており、その年は就職活動に勤しむ2年生の担任であり、旅行業における国家資格取得の授業をする傍(かたわ)ら、専門学校の生命線でもある「就職指導」もしなければならなかった。

書店では「面接の達人」(メンタツ)なるハウツー本、マニュアル本と呼ばれるものが売れ、その手引きに沿った行動を実現できれば、就職できるかのような妄想を抱かせた時代の幕開けでもあったように回想する…

車掌長も当時は、職務上、そのような媒体を貪(むさぼ)るように読み耽(ふ)け、学生のために模擬面接なども本番さながらに幾度も試みた。

しかしながら、やはり、就職活動をする学生の全員が全員、マニュアル本と同じようなことを真似すれば、採用する側にしてみれば「誰も一緒」と目に映ることに、車掌長も早々に気が付いた。

また、現在もそうだが、紺や黒のリクルートスーツに身を包んだ集団は、まさに烏合の衆だと思った。

そこで、独自のアドバイスを学生にし始めたところ、書類選考や面接をクリアし、「採用」を手にする学生が出始めた。

そして、そのうちの一人が上述の「7」が3つ並んだ日に、内定を勝ち取った。
さらに、その日は彼の誕生日でもあったから、尚更、記憶に刻まれる日となった。

あれから二十数年が経ち、彼もどうしているか定かではない。
そして、世の中は空前の売り手市場とのこと…

就職氷河期を学生とともに闘い、乗り越えた車掌長にとっては、別世界のような状況だ。

しかしながら、その時代に翻弄された人々が40歳代となり、現在も就労や実生活の面で苦労している姿や話を散見すると、学生自身では為す術(なすすべ)も無く、企業も政治も世間も「自己責任」だと突き放した非情さが、車掌長も悔しく思われる。

「就労の自由」という考え方はあるが、「就労の機会」を閉ざされた多くの人々がいたこと、いや、今もいることを忘れてはならない。

そんな記憶を蘇らせた、七夕朝の「催涙雨」であった…

 

びゅうプラザ撤退に思うこと

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2019年7月 3日 05:24

梅雨空の日々、冴えない天気が続くが、車掌長の心の空は晴れている。

自身でも6月の日々を思い出せないほどだった、仕事の繁忙期が落ち着いてきた。
出張も多く、体力的にもだいぶ消耗したが、体重はさほど減らなかった。

当乗務日誌も運休状態が続いたが、これはこれで車掌長にとってはストレス。
車掌長は書くというか、思いや考えを綴ることが好きだ。

それは、他者へ賛同や批判を求めるものではない。

つれづれなるままに…只それだけでのことである。

つい先日、新聞にも出ていた記事で、世相を感じる話題があった。
JR東日本の旅行会社「びゅうプラザ」が、2022年までに駅から撤退するという。

旅行予約サイトの隆盛、人手不足が理由とあった。
この理由は、他でも聞き覚えがある…

そう、新幹線や特急列車における車内販売事業からの撤退や大幅縮小だ。

それらの理由も表向きは的を得ているように思わせられるのだろうが、真髄ではないように感じてしまう…

車内販売においても、びゅうプラザにおいても、従事されている方にとって、扱う商品に魅力が無いという視点はなかっただろうか…

列車内という他業者が入り込めない、或る意味、優位な商売形態でありながら、街中のコンビニや乗車前に調達できる駅売店とさほど変わり映えのしないモノを売っていたり、駅構内という最高の立地にありながら、鉄道会社の旅行会社ゆえに、自社営業エリア以外の観光地扱ったり、様々な交通機関を組み合わせた、旅行本来の醍醐味である「自由な」旅行商品を企画・販売できなかったり…

そして、これは車掌長自身の所感なので参考にしていただきたくないが、対面販売してくださるスタッフの経験・知識不足も否めない接客、プロ意識を感じられない対面販売が、次第に利用客を遠ざけてしまったのでは…と思ってしまう。

いまや、これだけ旅行サイトが台頭し、利用者側も単なる交通機関と宿泊だけのセット旅行ならば、「ダイナミックパッケージ」と呼ばれるような、自身でウエブ上で手配・支払いも完結してしまう購買ルートの方が、利便性が高いであろう。

一方、旅行会社最大手のJTBは、対面販売の方法を改革する試みを始めるようだ。

それは、旅行相談の有料化。
通常、店頭にフリーで立ち寄ってパンフレットを眺めながら、旅行相談をすることは、これまでの慣例として無償であった。

それを、「トライアル」という位置づけであろうが、国内旅行は30分2,160円、海外旅行は同5,400円を頂戴する店舗が都内に実在するようだ。

ただし、相談後、所定の期日までに実際に旅行を申し込めば、その相談料は旅行代金に充当され、実質、相談料は無料となる。

車掌長は10歳のときに、初めて自身で旅行会社を利用した。
当時、国鉄の夜行高速バス「ドリーム号」の切符を購入する目的だった。

駅の窓口と違い、親切な女性の店員さんが、自分のような子どもが求めるたった1枚の切符を、カウンターに座って対応してくださったことが、旅行会社との出逢いであった。

その時の旅行会社は、現在も同じ場所で営業し懇意にしており、長いお付き合いとなっている。

思うに…旅行会社の強みは「対面販売」にあると思う。

ネット予約は、汎用的で面白味に欠け、自分がしたい旅行の断片しか、カタチにしてもらえない。
逆に、旅行会社の対面販売は、先方にも相当なお手数をおかけしてしまうが、細かなリクエストにも対応していただけ、満足度はすこぶる高い。

もちろん、旅行会社のスタッフも多忙であることを重々承知しているので、相談や要望内容はこちらで簡潔にまとめ紙などに書いて、手を煩わせないように心掛けている。

これは旅行業に限ったことではない、売り手も消費者も、人と人とのコミュニケーションと思い、大切にすると、その時間の蓄積は、目には見えない「心の豊かさ」に昇華する。

逆に、消費者自身が客の方が優位だと認識し、売り手と接すれば、空疎で表面的な「売っておしまい」の関係でしかない。

更に、もっと哀れなことは、売り手の弱い立場に付け込んだ、悪質・理不尽なクレームで自身の憂さ晴らしをするような、消費者になってしまうことだろう。

びゅうプラザ撤退から、話が広がり過ぎてしまったが、対面サービスが徐々に、ひとつひとつ無くなってゆく世の中の行く末を案じてしまう…
 

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