夜明け前

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2019年12月31日 06:01

木曽路は全て山の中である…

38年前の今頃、この言葉を実感したく、旧中山道をひとり歩いた。
中学2年だった車掌長は、国語の授業で島崎藤村の「夜明け前」を学習した時分であった。

車掌長は「夜明け前」という状況が好きだ。
子どもの頃から、朝型の生活スタイルだったことも一因であろう。

中学生の頃、この言葉には、物事が始まる、動く直前、結果が出る前など、自分の努力次第によっては、何かを変えられる予感がする意味合いを感じていた。

とくに、高校受験を控えた今頃は、それまでの「自身」からの脱皮を図るような、「未知なる自分」と出逢う出立(しゅったつ)の好機ととらえていた。

そして、勉強や受験は、それを叶える道具と思えるようになり、不思議にも苦手な科目も親しみを覚えるようになった。

「イメージできることは実現できる」、これは今も大切にしている思考だ。
これができるということは、実現に至る「工程」が、自身でわかることと符合している。

その工程の中に、勉強や苦手なものが含まれていることが分かれば、克服も容易だ。

車掌長の友人もいま、高校受験を控え頑張っている。

来年は干支も一番目からスタートする年。
新たな飛躍を目指し、15の春を迎えられるよう、応援している。
 

少し早いXmasプレゼント

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2019年12月16日 05:44

先週末、宅配便の不在票が入っていた。

専務車掌宛だったが、差出人に見覚えが無いと言う…
最近通販で買ったものはないし…とも。

一昨日、再配達依頼をした当該荷物の包装を開けてビックリ!
Nゲージ鉄道模型のスターター・キットが出現した。

専務車掌は、すぐさま「当たったんだ!!」と発した。
事情がわかったのは、先月、某新聞購読紙の懸賞コーナーに応募していたとのこと。

しかも当選者数は3名で、買えば税込で定価2万円弱もするものだった。

聞けば、鉄道好きな親子のために、気の利いたコメントを応募必要事項に加えて、さりげなく書いたとも…
ともあれ、車掌長と車掌見習にとって、少し早い素敵なサプライズXmasプレゼントとなった。

セット内容の車両は、ブルートレイン「あさかぜ」のヘッドマークを冠したEF66電気機関車と、寝台車4両の計5両編成が組めるもの。
これに楕円形のレイアウトが可能なレールセットと、パワーユニット他が付いており、すぐに走行可能なNゲージ入門セットであった。

つい先日、乗務日誌にサンタクロースの話題を綴ったばかりの偶然だが、50歳を過ぎてもなおのこと、その御方の実在を胸に秘めるが、それが叶った出来事であった。

完成させたレイアウトは、食卓の上で収まるほどこじんまりしたものだが、最近遊ばなくなった積み木を出してきて、駅のホームやトンネルをふたりでつくり、何十周も「あさかぜ」を走らせた。

車掌見習が車掌長も昔乗ったことがあるか尋ねるので、何回かある旨返答したら、その時の東京駅発車時刻や途中の停車駅を教えてと言うので、記憶を辿り教えてあげると、車掌見習が「にわか車内放送」を始め、列車を走らせたり、停まらせたりし、思わず目を細めてしまった。

このような、午後の陽だまりが入る部屋でのひとときが、いつまでも車掌見習の想い出の原風景として、記憶に残ってくれたなら嬉しく思う。

専務車掌サンタ、どうもありがとう。

 

あずさ2号は記憶の中へ

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2019年12月14日 04:52

今朝の新聞、「あずさ2号」が無くなるとの記事。

理由は、来春3月14日のJR東日本ダイヤ改正によって、「あずさ号」と「かいじ号」の号数が1本化されるためとあった。

現在、両列車の定期運行分はそれぞれに、下りなら「あずさ1号」及び「かいじ1号」、上りであれば「あずさ2号」と「かいじ2号」が存在している。

ダイヤ改正によって号数が1本化されるとは、どういうことか?
早速、手元にある時刻表で調べてみた。

現行ダイヤの発車時刻順に追ったところ、下りであれば、あずさ1号、同3号、5号、かいじ7号というように、上りであれば、かいじ2号、あずさ4号、かいじ6号、あずさ8号…という具合に、なるほど、「あずさ2号」はこの世から消えることを理解した…

列車名は明らかに違うものの、同じ中央本線を走る特急に、同じ列車号数のものが存在すれば、切符の買い間違いや誤乗のケースが少なからずあったのかもしれない…

それにしても…
「あずさ2号」とは、単なる特急列車の名称と号数の組み合わせに過ぎないのに、なぜ、今こんなにも虚しさのような感慨が胸中を過るのであろうか…

それは、今も車掌長と同世代以上の方を中心に、多くの人々の脳裏にそのネーミングが刻まれている、狩人の「あずさ2号」という、昭和歌謡があったからに他ならないであろう。

同曲は1977年3月に誕生。
当時、間もなく小学4年生になる車掌長にとっては、居住地を走り、通った小学校の窓からも見えた一番身近な国鉄の特急列車をテーマにした曲の流行は、歌詞にある男女関係の機微は理解できなくても、とてもセンセーショナルな出来事であった。

そして「8時ちょうどのあずさ2号」で…のフレーズは、生涯、胸に刻まれる列車名となった。

その頃、国鉄の列車号数は、下りも上りも発車時刻順に1号から付番されていたので、新宿発の下り列車においても2号となる列車が存在した。

しかしながら、1978年(昭和53)10月のダイヤ大改正で、列車号数の付番方法は、全国一斉に下りは奇数、上りは偶数に統一された。

それまで、新幹線は開業当初からそのような付番方法になっていたものが、在来線にも波及し、最初は違和感があったものの、号数を聞いたり見ただけで下りか上りかが瞬時に分かり、それこそ切符の買い間違いや誤乗防止に大きな成果を上げたと思う。

ただ、それを機に同曲にあった「8時ちょうどのあずさ2号」に乗って信濃路へ向かい、"あなたから旅立つ"ことはできなくなってしまった。

それだけでも、子どもだった車掌長はショックを受けたが、現在も上りにおいて存在していた「あずさ2号」が、来春で無くなることを今朝知り、上述の虚しさを覚えている最中である。

それは、愛する時刻表からもその列車名と号数が消えることを意味している…
来春以降、記憶の中を走る列車になってしまうのは、あまりに惜しい報せであった。
 

ハチロク

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2019年12月12日 04:57

 「ハチロク」と書けば、名車トヨタAE86を想像する御方も多いことだろう。

「頭文字D」で一躍、その名を世に轟かせ、今も根強い人気のある車…
車掌長も知り合いの所有する、スプリンター・トレノのハンドルを幾度か握り、走りを楽しんだこともある。

だが、今回話題とする「ハチロク」は、車ではない。
お恥ずかしながら、車掌長自身の目方(めかた)である。

仕事柄、春から秋にかけて体重は年間で低めに推移し、冬は2~3㎏ほど増えるのが、例年のパターンであった。

しかしながら、今秋はこれまでに無かった仕事も増え、ほぼ毎日が車での通勤となってしまった。
電車通勤であれば一日あたり最低でも5㎞ほど歩くのに、それが全く無かったのが主原因であると思う。

したがって、例年だと首都高速を年間400~500回ほど利用しているが、今年は優に600回を超えていそうだ…

そんな日々を過ごしていたが、やっとそうした状況も終息しつつあり、先週あたりから電車での通勤を久しぶりに楽しんでいる。

車掌長は幸いにも、車掌区最寄駅が通勤利用路線の始発駅ということもあり、必ず座って仕事に向かえ、新聞にも目を通すことができるが、その時間が至福な時でもある。

ただ、過去最高にまで増えてしまった体重は、やはり体が鈍重であることを痛感…
心なしか膝も痛みを覚える。

単に通勤だけでは目方の減り具合も期待できず…
ましてやこれからの時期は、例年体重が増えるタイミングになってしまう…

ここは一念発起して、食事内容や大好きなお酒を少々見直しせねば…と、思いつつ、歳をとるにつれ、「ま、いいか」という自分への甘さや言い聞かせも増えたことに、随分と「焼きが回ったなぁ」と思う今日この頃である。

20代、30代頃のアグレッシブさも、つい「郷愁」でくくってしまいそうだが、放置しておくと、キュウマルなどという世界も視野に入ってしまうのは、回避しなければならない。

せめて、祖父がしばしば使っていた、まじないでも唱えておくことにしよう。
クワバラ クワバラ

 

Santa Claus

カテゴリー:⑤番線:feel the season方面 2019年12月10日 05:02

この時期になると耳にする「クリぼっち」。

世の中、何でも略しすぎて滑稽だが、クリスマスを独りで過ごすことのようだ。
車掌長は、子どもの頃から独りが好きなので、これをポジティブに受け止めてしまう…

ふと気付けば、12月に入り街では色々なクリスマスソングが流れている。
車掌長のお気に入りは30年ほど不動で、山下達郎の「クリスマスイブ」とユーミンの「恋人はサンタクロース」だ。

一方、クリぼっちになりたい時は、「ひとりぼっちのクリスマスイブ」という曲がある。
これは実は副題で、主題は「MIDNIGHT FLIGHT」。
学生時代によく聴いた浜田省吾の曲だ。

この曲は、歌詞の情景が目に浮かぶようで大好きだ。
冒頭、空港で飛行機が飛び立つシーンは秀逸…

そして、今冬はもう1曲好きなものが増えた。

それは、クィーンの「サンク・ゴッド・イッツ・クリスマス」。
秋に希望者挙手さんに戴いた「クィーン詩集完全版」を少しずつ楽しんでいたところ、クリスマスに由来する曲はないか探したら見つけた曲だった。

早速、検索した動画で聴いたみたが、1回聴いただけで心に残る曲となった。

ところで、サンタクロースの存在を、子どもはいつ頃まで信じているのだろうか…

車掌見習は小学1年生だが、今年もお手紙を書いて欲しいものをお願いしている。
こうした微笑ましい光景は、あと何回あるのだろう…

実在しない人物や物事を、子ども自身の想像を膨らませて夢を持てることは、幾つになっても、大人になっても大切にしてほしいと願う…

お恥ずかしいことながら、大人になりきれていない車掌長の心には、いまだサンタクロースは存在している。

もちろん、八十を過ぎた親に何かをねだるお手紙など、したためることは無い。

どんな存在かと言えば、それは思いもしなかった出来事があったり、不意に予想もしないモノをいただいたりしたことがあると、サンタクロースや神様、仏様のように自身の意志では為し得ない御方からのプレゼントなのだと、受け止めている。

そして、歳を重ねた昨今は、車掌長自身が誰かにとって、ささやかながらであっても、そんな存在になれたときに喜びを覚えるようになった。

それは、偶然であっても、意図的なサプライズであっても、何か日常的でない出来事を、車掌長自身も楽しみながら届けたい…

この先の人生、そんなSanta Clausになれるような、歳の取り方をできれば本望だと思う。

追伸
希望者挙手さん、遅ればせながらその節はありがとうございました。
戴いた詩集、少し早いXmasプレゼントになりました。
希望者挙手さんが、中学時代に読んだことを想像しながら楽しみたいと思います。
この場をお借りして御礼申し上げます。

 

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