AERA、「時刻表鉄」掲載&「オンライン飲み会」

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2020年4月27日 04:16

本日発売、AERA(5月4-11日、朝日新聞出版)の記事で車掌長が掲載されました。

内容は、”数字の羅列で「旅気分」に"というタイトルで、時刻表を使った妄想旅行、いわゆる「机上旅行」を楽しむ主旨。

折からの新型コロナウイルス感染症の影響で、旅行はおろか外出も自粛との生活が「日常」となりつつある中、時刻表が一服の清涼剤やひとときの暇つぶしになるなら幸いだ。

詳細はよろしければ、ぜひ掲載記事をお読みいただきたい。

一方、昨晩は思いがけず、無縁と思っていた「オンライン飲み会」なるものを初体験した。
お誘いは、当車掌区保線係さんからであった。

たまたま、当車掌区PCに「ZOOM」が入っていたのと、保線係氏からの至れり尽くせりのお導きで、いとも簡単に遠隔飲み会が実現できてしまった。

テレビ等では、目にしていたが自分自身には無縁なこと…などと思っていたが、いざやってみると、呑んで食べて気づけば2時間近くも喋っていた。

感想としては、とても楽しかった!
車掌長世代は、子どもの頃に家で使っていた電電公社の「黒電話」に始まり、やがてプッシュホン、コードレス、携帯、スマホ…と、目まぐるしい通信インフラの発達とその便利さを実感してきたと思う。

とくに、この「オンライン飲み会」は、会って話すことができない現在の状況においては、有用だと思った。

もちろん、車掌長は実際に会って話す「リアル」なコミュニケーションの方が好きだが、次第にこうした選択肢も持ち得ていた方が良いことも実感できた。

ただ、飲み会を終えて「退室」という部分をクリックし、通信が遮断されたときは、不思議な感じに包まれた。

そう…これはバーチャルな空間での出来事であり、時間だったのだと…

人に会うとき、殊に一定以上の距離があると、車掌長はその「移動」そのものに、ワクワク感やトキメキのようなものを抱く。
また、会った後は、帰りの「移動」でその余韻を楽しむ…

そして、会った時間の中で、一緒に食べた料理や酌み交わした酒を美味いと感じ、また同じようなリアルな時間をいつの日か過ごしたく、日常の自身の仕事に勤しんだり、シンドイことも頑張ろうという糧になると思う。

なにはともあれ、初めて体験した「オンライン飲み会」は、なかなか面白かった。
たくちゃんさん、いつもどうもありがとう!
 

 

花の日に願う

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2020年4月 8日 05:24

本来であれば、一年で最も忙しい4月だが、今年は違う…

そう、コロナウイルス感染症の影響で、ことごとく予定されていた仕事が日延べとなり、異例の内勤が続き、その後処理に追われているが、本来の仕事で稼働したことに比べれば忙殺されるほどの内容ではない。

しかも、その内勤でさえ、3月中旬から始まったこの騒ぎに関わる事務仕事も、先週で概ね収束し、いまは時折入る、今後に向けた連絡や調整を行っている程度であるが、小さな組織ゆえ、誰かが出社して担わざるを得ない。

昨日、緊急事態宣言なるものが発令された。

それより前、都知事が「ロックダウン」という仰々しくも聞きなれない単語を発言したが、その印象もあってか、一体、どういう状況になるか、該当エリアに居住するものとして関心が高かった。

発令後、次第にその様相が明らかになるのであろうが、現時点で知りえる範囲では、生活環境が劇的に変化を強いられるものではなさそうだ。

ただ、ただ、外出を自粛せよ、という意味合いが強まったように受け止めている。

しかしながら、仕事のために通勤電車に乗らなくてはならない身においては、その要請は儚く、虚しくその笛の音は響くし、趣旨と現実社会や生活実態との乖離、首尾の一貫性の無さに戸惑うというか、呆れてもしまう…

テレワークが可能な大企業に勤める御方はまだ恵まれているが、そうでない人が圧倒的にこの国には多いことを、この国の偉い方々はリアルに見えていない、可視化できていないのだろう。

また、TVニュース等のメディアに登場する、「街頭の声」として現れる一般人も、他人事のようにコメントをする人をあえて抽出しているのか、本当に困窮している「声」は拾えていないように画面に映る。

もっと、インパクトをもって怒っている人や、困っている人もいると思うのだが、そういう人の映像や声は、もしかしたら誰かにとって都合が悪いのかもしれない…と穿(うが)ってしまう。

本来、休業補償や給与補償とセットで、一貫性を持った「要請」でなければ、それこそ「命を守る」ための基盤である「生活を守る」ため、人々は働きに外へ出ざるを得ない。

コロナウイルス感染症に罹患して「命」を失う前に、生活ができずに自ら「命」を絶つ、失う、脅かされる人の出現も合わせて心配になってしまう。

今日は花の日、お釈迦様の誕生日。
祖母は生前、毎年この日の前日、車掌長宅に前泊し、近所の御薬師様にお参りに来ていた。

百歳となる1か月足らず前に他界したが、白寿(99歳)の大往生であった。
そんな祖母に、この世の安寧を願い、手を手向けた朝であった。
 

懐かしい500円札

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2020年4月 2日 05:00

某ラジオ放送で「今日は何の日」というコーナーがある。

車掌長は同コーナーが好きだが、4月2日は「500円札発行記念日」とのこと。
1951年の今日、岩倉具視が肖像の500円札が初登場したそうだ。

今では硬貨となった500円だが、「500円札」にはたくさんの想い出が詰まっている。
それは、ちょうど40年前の春、車掌長が中学生となり小遣いを毎月定額で貰えるようになったが、その金額は1000円であった。

そのうち、500円の使い道は決めていた。
そう、言うまでもなく「日本交通公社の時刻表」を買うことだ。

当時、時刻表は500円であった。もちろん、その頃は消費税は存在しなかったので、小遣いとして貰った1000円札を出すと、大抵は500円札でお釣りが手に戻った。

その500円札は、中央本線を走っていた115系車両の塗色を連想させる色合いであり、裏面の富士山と他の山々との連なりも美しく、大好きな日本銀行券(お札)であった。

それから程ない1982年、「500円硬貨」が出始めた。
これは、車掌長にとってかなりショックであった…

それは、当時の子どもにとって、500円の値打ちは感覚的に大きく、ゆえに「お札」としての貫禄もあったのに、100円玉よりは随分大きいが、「硬貨」になってしまうとは…と感じた。

もちろん、すぐに500円札が無くなる訳でもなかったのだが、次第に硬貨の流通量が増えると、車掌長自身もその利用に慣れてしまい、気が付けば500円札の無い生活に、何ら支障も疑問も抱かないようになってしまった。

ところが、2年ほど前だったか…
地方の或る雑貨店で買い物をした折、お釣りで500円札が混ざって「再会」を果たした。

さほど、使われた感じのしない綺麗なお札であった。
店主のおばあちゃんに、懐かしいですねと声をかけたら、耳が遠かったようで反応は無かったが、お釣りの金額は合っていたので店を後にし、ジワジワぁ…と幸せな気分に浸ることができた。

その500円札は、大切に「お守り」として仕事で使う鞄に入れ持ち歩いている。

そんな想い出のある500円札の話だが、ふと気づけば、今月は「時刻表愛読40周年」となる大きな節目であった。

40年前の今月下旬、自宅最寄りの本屋で買い始めた「時刻表」。
以降、毎月欠かさず480冊目の佳節を迎えられることとなった…

その時間の流れと重み、出逢った皆様や出来事に感謝したい。

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