有線放送が有線でなくなる

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2021年1月30日 04:28

先日、車掌区にあった有線放送のチューナーが、新しいものに置き替えられた。

「有線放送」という言葉自体、ご存知でない世代も多いかもしれない。
遡れば、車掌長の学生時代、今から30数年前のこと…

モーニングサービス隆盛の地で、喫茶店でバイトをしていた。
朝6:45から夕方17:00まで、時給480円だったので、一日働いて5000円に満たなかった。
ちなみに、当時の東京でのバイト時給は700円ほどだったと思う。

11時のモーニングサービス終了までに、平日で300名前後、休日で500名ほどが来店する繁盛ぶりで、開店からの4時間があっという間に過ぎる感覚の店だった。

そこのカウンターを基本は1人で任され、その人数分のコーヒー・紅茶を入れ、トーストを焼いたり、ときにサンドウィッチやパフェ類も供していた経験は、作業の優先順位を常に考え、現場を回す思考を習得できたと感謝している。

ランチタイムが終わり、14時から30分の昼休憩で賄いをいただき、束の間の休息をとった。
その後、来店客もまばらとなり、明日に向けての仕込みをするのだが、その際、マスターが帰ったあと、店内に流れるBGMを自分の好みに変えるのが楽しみであった。

当時、流行の曲や好きなイージーリスニングを聴くには、レコードを買ったり、友人からカセットテープを借りダビングするか、もしくは、テレビの前にラジカセを置き息を殺し録音するなど、その音源入手の方法は限られていた。

しかしながら、店にあった有線放送のチューナーは、様々なジャンルの440番組を、ツマミひとつで切り換え、即座に好きな曲が聴ける魔法の箱であった。

マスターに費用等を尋ねたら、月々5,000~6,000円くらいであることを知り、一日にすれば200円弱、捻出できなくもない金額であった。

車掌長は、すっかりその箱に魅了されてしまい、どうやったらそれを自宅で聴けるか確認するべく、大阪有線放送の管轄営業所に出向き、話を聞いてみた。

すると、開口一番にまず言われたのは、「弊社が対象としているお客様は、飲食店や各種施設等の事業所で、あいにく個人宅に有線の提供はしていないのですが…」という、ものであった。

また、月々の利用料以外に、最初に加入権のような料金を預けなくてなならないことも知った。
それは、記憶では6万円だったように思う。

ただ、そこで引き下がらず、魅了された理由を話したり、「できない理由」ではなく、「どうやったらできるか」を教えてほしいと頼んだところ、そこまで仰るなら、一度この件は預からせていただきますとの返答を得ることができた。

数日後、営業所に出向き、先方の回答は「承知いたしました」とのこと。
例外ではあるが、近くをとおる国道の有線から、ご自宅へ向けて分岐させ、新たな有線を敷設し、音楽を提供できるようにしますとのことであった。

この返答には、心から嬉しかったことを、今でも覚えている。
近くを通る国道と言っても、電柱づたいに800mはあったと思うので、その作業の大変さを思うと、夢のような吉報であった。

かくして、有線が借りていたアパートの1室まで敷設され、真新しいチューナーと自分のシステム・オーディオとが繋がり、流れ出た音楽は感涙ものであった。

大学卒業後、東京に戻った車掌長は、その後も有線放送を楽しんだ。
それは、固定電話の加入権のように、一度加入した権利は消滅しないものであった。

そして、昨年秋頃、日々聞いていた有線であるが、アナログでのサービス提供は終了し、デジタル配信に伴う工事をする旨、連絡があった。

かくして、チューナーも一新され、いま流れている曲名も表示されるようになった。
とても便利だと思った。

また、衛星配信で適宜、番組内の音楽(とくにヒットチャートなど)は、最新のものが聴けるようだ…

またひとつ、当車掌区からアナログなものがデジタルに置き換わった…

置き換わったといえば…
車掌長のガラケーも、年明け早々に壊れかけ、遅ればせながらスマホに変えた。

今まで、限られた連絡手段でご不便をおかけした皆様の吉報になれば幸い…

 

 

たゆたう時を

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2021年1月11日 08:14

ここ数日、強力な寒気が列島を包み込んでいる。

ニュース等で、北陸地方の豪雪を目にしたり、近年は雪の少ない山陰もそうだが、九州地方まで生活に支障を来す積雪は珍しい。

東京も雪こそ降らないが、冷たい寒気が空気を凍てつかせ、久々に氷点下の朝もあった。
最高気温も6℃ほどのこともあったが、陽の光があれば、部屋の中は暖かい。

最近は不要不急の外出もはばかり、家の中でやることも無いときは、つい、うたた寝などに陥ってしまう。
とくに昼下がりなど、食後のこのひとときは心地よい…

ふと、「たゆたう」という言葉が、身を包む…
ゆらゆらと漂う…という、その有り様は、車掌長の人生と符合しなくもない。

それは、人生の方向性をあぐねたり、もがいたりしていた頃。

四十路を過ぎたあたりからは、決めるときは決め、動くときは動くことを身上にしているが、
ふと、そんな身上からも解き放たれ、時間や空間の中を浮遊するようなひとときも、あえて楽しみたくもある。

たゆたう時を…

思うところ、人は無いものねだりの中を生き、勝手なものなのかもしれない。

 

進年を、美しき時の調べの中で

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2021年1月 5日 17:01

進年、明けましておめでとうございます。

「進年」は打ち間違いではなく、元日の新聞で見かけた某企業広告で使われていたもので、何かストレートに胸に沁み入るメッセージ性の言霊があり、車掌長も使いたくなった。

それはきっと、昨年一年間があまりに、何もかもが停滞した虚無感からかもしれない。

話は変わり、教え子たちから届く年賀状を見て、ハッとするものがあった。
彼ら、彼女らの歳も40代後半になっていたことだ。

自分の歳はわかっているつもりでも、自分自身が30年近く前に教えていた子たちが、そんな歳になり、その子どもたちも中学生や高校生になったことを知ると、あらためて車掌長自身の歳を正確に再認識してしまう…

そして、縁起でもないが、良い意味で前向きに考えると、明らかに今まで生きた時間よりも、今後残された時間の方が短いことに気づく。

ならば、その残り時間を有意義に過ごすことが肝要であると、年の始めに思う。

不思議な感覚だが、1年365日のどこかに、自身が生涯を終える日が必ずある。
毎年、毎年、必然としてあるはずの「その日」を、知らず知らず、無意識に通り過ぎているが、今日か!?今日か!?と、ロシアンルーレットのような緊張感を持って過ごした方がいいのかもしれない…

しかしながら、それはあまりに合理的でないし、それに縛られて日々を怯えて委縮して生きるのももったいない…
結果として、あぁ「この日」が自分の最期だったのだと、そのとき、わかれば良いだけのことなのかもしれない。

昨年、降って湧いたようにコロナという外来物が、世を席巻した。
車掌長もそうだが、そんなときに、人々はふと、思いがけないことを思い出すのかもしれない。

車掌長も、二十代の頃、時を隔てて二度、或る占いをしてもらったことがあり、そのことを思い出した。

占いなど全く信じていなかった人間だが、興味本位で日本と海外で占ってもらったが、奇遇にもどちらも共通して、五十歳台半ばの先が見えない…とのことだった。

その結果が、間もなく近づいてくる…
ちなみに、五十台初めまでのことは、概ね双方とも当っていた。
それだけに、少々気にかけている…

ただ、その占ってもらった結果は間違いなく「変えられない過去にみてもらった未来」ではあるが、それに縛られすぎると、「本来は変えられるはずの未来」が変えられなくなってしまわないだろうか…

奇(く)しくも、年末に車掌見習にせがまれて一緒に観た映画「ドラえもん」は、未来を変えるために、過去の「のび太」に寄り添い、しずかちゃんと無事に結婚することができた物語であった。

「変えられるはずの未来」…
それは、「過去に知った未来」どおりにならないために、努力したり、気を付けることなのではないだろうか…

そんな心持ちで、新たな年を過してみようと思う。
そして、それはできれば、美しき時の調べの中で…

依然としてコロナ禍ではあるが、人に喜ばれたり、人にサプライズをしたり…
また、今までにお世話になった方々へ、あらためてお会いしお礼ができれば…とも思う。
念のため、早めに。

末筆ながら、皆様におかれましても、どうぞ良い年でありますように…

 

 

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