編成美

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2021年5月 2日 06:43

編成美という言葉が好きだ…

鉄道、殊に列車を眺めていて「美しい」と思うのは、その編成に対して大いにあるように思う。
個性的な外観や先頭車両の顔だちといった、個々の車両も魅力的だが、それらを連ねた「編成」に、列車としての完成された「形」の美しさがあるように感じる…

車掌長が初めて「編成美」を感じたのは、小学5年生を終えた春休み。
当時、東京駅を22:45に出発する、夜行寝台急行「銀河」大阪行きに乗ったときであった。

それは、妹と二人で関西の母の実家へ向かう際、東京駅ホームで母に見送られた時でもあった。
なぜ、妹と二人だけで行くことになったかは不明だが、車掌長は初めて乗る憧れの「銀河」、しかもA寝台に気分が高揚していた。

列車が入線すると、目の前を次々と滑り込むように、ホームの煌々と光る明かりに照らされた20系寝台車の長い編成が、ことのほか綺麗に目に映った。

一方、まだ小学2年生を終えたばかりの妹は、寂しげであった…
この旅に母が同行しないことを悟っていたようであった。

そんな思い出の「銀河」もいまは走っていない…

だが、そんな「銀河」が廃止となった2008年3月、そのときの思い出を、某新聞の読者欄に投稿し、掲載された記事があるので、僭越ながらご紹介したい。

”妹と銀河の旅 今も思い出す”
14日、寝台急行「銀河」の最終便が東京駅を出発した。
私も29年前、小学5年の春休み、三つ年下の妹と関西の母の実家に行くために初めて乗った。
その頃の銀河のB寝台は3段式でベッド幅は52センチ。
一つの寝台で子供2人まで利用できたが、さすがに窮屈なのと、妹ひとりでは寂しがるので、母は広い2段式のA寝台を取ってくれた。
当時も、切符の取りづらい列車で、せっかくのA寝台も上段しか取れなかった。
母が、下段の紳士に「子供2人で大阪まで行くのでよろしくお願いします」と頼んだ。
妹と上段のベッドに上がってみると、枕元に写真立てを横にしたくらいの小窓があった。
これでは、あまり景色がみえないなと思った。
母が列車を降りようとしたとき、下段の紳士が「よかったらこちらを使ってください」。
代わってもらった下段の窓は、数百倍にも感じるほど大きかった。
母は何度もお礼を言いながら降りていった。
発車時間が迫ると、母との別れに不安を感じたのか、妹がしくしくと泣き始めた。
私も妹をなぐさめたが、2人きりの旅の不安と寂しさ、緊張で一晩中眠れなかった。
いま思えば、あの夜が初めての徹夜だった。
大きな窓一面の星空は、まさに銀河であった。

「編成美」を初めて感じた列車の思い出は、かくも、このような旅路であった。

「ブルートレイン」という、青一色の長大編成を、もはやこの目にすることはできないが、思い出の中でいつまでも、その纏(まと)いを連ね率いられた列車の美しさは、いつまでも色褪せることはないだろう。

思うに…
車掌長の人生も、ただいま53両という、一年一年の車両を連ねて運行中。

その一両、一両を率いる「自分」という牽引車は、幾度も変わっているし、各車両も決して揃った綺麗なものでもない…

だいぶ傷んだ箇所、汚れた部分も、幾つもある…

だが、最終的にその編成を振り返ったり、俯瞰できるような場所へ旅立ったとき、他者からはどうあれ、自分自身では「美しい」と思えたら本望だと思う。


 

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