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正則高校鉄道研究部(高校時代)

正則高校紹介

我が母校は東京タワーに一番近い高校の1つ。
毎日、狭い校庭から空を突き抜けるような仰角の東京タワーを眺め、青春の3年間を過ごした。
当時は男子校だったが、いまは共学となった。

特徴的だったことは、入学時のクラスが卒業までクラス替えなしで、担任もクラスメイトも持ち上がるという「固定学級制」を採っていたことだ。
この固定学級制の下、強烈な個性の担任と出逢い、車掌長の人生に大きな影響を与えた。

また、この正則では基礎学力の大切さを学び、学問を積むには基礎がしっかりしていないとならないことに気がついた。
そして、英語や数学など苦手な教科はもう一度、中学の頃に遡ってやり直した。

だが、正則は進学校ではない。
有名大学に入るための授業やカリキュラムではなく、「生きる力」や「真理の追究」ということに重きを置いた教育をしていたように記憶している。
だから、解答のテクニックを教わるのではなく、「考える」ことや「疑問を抱く」ことを学んだように思う。
今になって思えば、それはお金で買えない財産だ。

進学校や予備校で教わる勉強は、時刻表人生に例えるなら今日のインターネット検索に似ている。
行きたい目的地への最短・最速・最安ルートを瞬時に導くことには優れているが、自分の意思で見たいものや興味あるものを確かめながら目的地へ向かうような、「寄り道」「途中下車」「周遊」といったパターンは、ネット検索では難しい。

社会に出てから必要なのは意外にも、色々な選択肢から最良な道を自分自身が探し出す「応用力」や「解決力」の方が大切であることを感じることが多い。

つまり、例えとして使った最短・最速・最安を求めるネット検索も、一手段としては非常に便利だが、それをどう上手に自分の生活や仕事に活用するのかが大切であり、その解答を鵜呑みにしてはならないと思う。

正則の授業で勉強することの「意味」や「わかる」実感が湧くと、不思議にもやりたいことや目標というものを描き始めるようになれた。
高校時代は中学と違い、行動範囲や自分で決める裁量の広がりにとても充実感があった。

それはきっと、正則の校庭は日本有数の狭さだが、多くの先生は心が広く懐も深かったおかげだと思う。

恩師のこと

3年間担任をしていただいたS先生は物理の教師だった。
文系の自分にはなじみにくい科目だったが、新たな単元の導入部分は興味を抱きやすいような工夫をいつもしてくれた。

例えば「地球は秒速何キロで自転しているか?」という話はよく覚えている。
鉄道好きな自分はすぐに新幹線の時速をイメージした。約200㎞/hで走る新幹線の秒速は56mほどということは知っていたが、地球は周囲が最大となる赤道付近で秒速470mくらいだという。
また、緯度が高くなる日本は周囲が短くなるため秒速は遅くなるということも初めて知った。

日常なんとなく日が昇っては沈み動いているような地球が、こんな速さで動いていることを知ったのが新鮮であった。
そして、こんな速さで動いているのにそれを体感できないのは、全体がこの速さで回っているからだという。
詳しくはそこに重力との関係等があるのかもしれないが、自分は直感的に世の中と一緒だなと感じた。

世の中が変化するスピードと共に流されれば、日常も違和感なく過ごしてしまいがちだが、そのスピードは自分のライフスタイルに合っているのか?などと考えてしまう。
更に突き詰めると、人間が生理的に人間らくし暮らせるスピードとはどんな速さであろうかと考えてしまう…

S先生の話題には事欠かないが、もうひとつ印象に残っている授業を紹介したい。
それは物質の科学という授業で、地球に存在する原子の学習をしたことだ。

正則高校では修学旅行に代わる学習旅行を2年生の最後に行っていたが、行先は広島・長崎であった。
事前に世界初の被爆国である日本のことを色々な角度から調べ、現地で被爆された方々の話を伺ったり、原爆の傷跡をこの目で確かめるものであった。

その事前学習に関連して、S先生が原爆が放った物質の話をしてくれた。
その中で「半減期」という言葉が非常に印象に残っている。
特にウラン238という物質の半減期は数十億年といい、その猛威は人間が扱い管理できるものではない。

このようなものをなぜ人間は見つけてしまったのか、そしてなぜ核兵器という恐ろしいものを作り使用したのか、真剣に考えたのを思い出す。

他にもS先生のエピソードは数えきれないが、出逢えたことに心から感謝したい。
 

鉄道研究部

話しが脱線したが、当時は鉄道研究部が存在し、3年間の在籍中、2年次には部長を経験させてもらった。
合宿と称して、あちこちの未踏破路線を乗ったり、消え行く旧型客車を追いかけたりした。
まだ山形新幹線が開通する前で、福島から米沢に向かう山越えを、1駅1駅スイッチバックしながら旅ができた頃だ。

鉄道研究部とは不思議な部で、同じ屋根の下に色んな個人商店主がいるような世界だ。
模型、写真、乗車、切符、時刻表など同じ鉄道趣味でも、関心の対象が細かく分類されて奥が深い。

車掌長は時刻表でプランを立て実際に乗るのが好きであった。
また単に乗るだけでなく、各地の観光や温泉を楽しむのも欠かさなかった。
歴史や地理で勉強したことを、この目で見たり確かめることにワクワクした。
そして、まだ温泉が今ほどブームでなかったので、地味な温泉探訪を楽しめた。
さすがに鉄道研究部に温泉を一緒に楽しめる同好の者はいなかった。

余談だが、鉄研は「隠れ野球部」「隠れ卓球部」と呼ばれていた。
それは他部の活動がない曜日や時間に、本来の活動そっちのけで校庭で野球をしたり、卓球場で卓球をしていたからだ。
鉄研部員の多くがマイラケットやバットを持っていたのも面白かった。

1年次合宿

テーマ:東北・上越新幹線開業と在来線
合宿地:新潟近郊及び仙台近郊
使用切符:南東北ワイド周遊券

【概要】
上野発夜行普通列車(733M)で長岡へ。長岡からは終日各自テーマに沿った乗車、撮影を行う。
車掌長は、弥彦線、赤谷線、新潟交通などのローカル線に乗り、終着駅や途中駅の地域を訪ね歩いた。
新潟では初めてビジネスホテルというものに宿泊した。

2日目、全員でディーゼル急行「べにばな」乗車。山形入り後は各自での活動。
車掌長は、山形新幹線開通後は無くなる奥羽本線の4駅スイッチバックを堪能して仙台入りした。

3日目、全員で利府にある新幹線車両基地を見学。その後、仙石線の電車区も見学した。
帰路は東北新幹線で大宮着。
まだ東京まで開通していない頃で、大宮から上野へは「新幹線リレー号」が走っていた。

2年次

テーマ:北陸には何故特急が多いのか
合宿地:富山近郊及び金沢近郊
使用切符:北陸ワイド周遊券


(ただいま停車中)

 

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