JTB時刻表を集める「哲」のサイト 哲×鉄

時刻表と旅をする。近くに、遠くに。過去へ、未来へ。

日本福祉大学社会福祉学部二部(大学時代)

新たな旅立ちは345M

正則高校を卒業し愛知県にある日本福祉大学へ進学した際、それまで買った時刻表を全て下宿に持ち運んだ。実家に置いていたら親に捨てられてしまうのが心配だったからだ。
この時ふと「時刻表とは長い付き合いになりそうだナ…」と思ったことを覚えている。
しかしながら、6畳一間の部屋に毎月増え続ける時刻表を保管するスペースを確保するのは結構苦労した。

荷物は別途運送屋が運んでくれるので、車掌長自身は東海道線の大垣行き夜行(345M)で東京から名古屋に向かった。中学・高校時代の仲間が遅い出発時間だったにも関わらず見送りに来てくれた。
座る席を確保するために入線時刻の3時間前から並んだ。
やがて出発時間が近づき、発車ベルが鳴る。
東京や友人との別れを実感する響きだった。
ドアが閉まる間際、中学時代一緒に何度も旅をした親友が手紙とカセットテープをくれた。
「列車の中で読んでくれ」と短い別れの言葉だった。

車内で開いた手紙には、一緒に手渡されたカセットテープに録音された曲の解説が書かれていた。
当時流行っていた曲や彼の好きな歌だったが、それら1つ1つが励ましや絆を感じさせるものだった。
その中でも特に気に入ったのが渡辺美里の「My Revolution」。
自分の中でも「何かが変わろうとしている」ことを実感した東海道の夜だった。

昼間は働き、夜に学ぶ

大学は夜間部だった。
昼間は働いていたが、様々な仕事を経験できたことは自分の人生に大いに役立った。
警備、交通誘導、側溝掃除、醤油樽掃除、引越、工事現場補助要員、葬儀下請け、イベント会場設営、学童クラブ、レンタカー営業所、喫茶店、遺跡発掘、家庭教師など。
最初の頃は体力勝負の肉体仕事を探し好んでやっていた。
重いものをひたすら運ぶのもなぜか楽しかったが、腰を悪くしてから次第に仕事も変化し厚みや幅ができた。
だが、不思議とコンビニやファーストフードといった当時も多くの仲間がしていた仕事に縁はなかった。
おそらくマニュアル通りに「機械的」に「効率第一」にやらされる仕事が性に合わなかったのだろうと思う。

どんな仕事をしても感じたことは「職業に貴賤なし」ということだ。
日々コツコツと働き賃金を得て生活をすることの意義や重みを知ることができた。
そして、働いた後の一杯も純粋に美味しかった。
ただ、働いた後には大学で学ぶという本業があった。
授業開始は18:15、終了は21:15。
その途中に20分の休憩があり、学生食堂で夕食を摂った。
定番はご飯に生玉子の「玉子かけご飯」。よく食べても飽きなかったのは、若さと空腹だったからだろうか。
 

(ただ今停車中)

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