JTB時刻表を集める「哲」のサイト 哲×鉄

時刻表と旅をする。近くに、遠くに。過去へ、未来へ。

専門学校トラベル学科教師時代

憧れだった教師の夢、叶う

大学時代に教職課程を履修し、母校「正則高校」で教育実習もさせてもらったが、教師になることはできなかった。
しかし、旅行会社在職中に取得した旅行業務取扱主任者(国家資格)が、思わぬところで教師への道を切り拓いてくれた。それは、某経理系の専門学校がビジネス系にも力を入れ始めた頃と符合し、国際トラベル学科立ち上げの教員募集で「採用」の朗報を得ることができた。
「好きな旅行を教える」…こんな夢のような仕事に就けた喜びは、今でも鮮やかに思い出すことができる。

教材はJTB時刻表

新設学科の立ち上げということで、使われる教材にも自分の意見や希望を出すことができた。

旅行業務取扱主任者試験には「国内運賃・料金」という科目があり、JRの運賃料金計算はもちろん、国内航空路線やフェリー、貸切バス、宿泊料金等の算出が問われた。
旅行会社であれば国内旅行で取り扱う様々な交通事業者や宿泊機関の知識と、計算上のルールを覚え駆使できなければならず、この試験で最も応用力を要する科目であった。

そこで教材の1つに採用したのは「JTB時刻表」だ。
入学時に学生数分を取り寄せ、入ったばかりの初々しい学生が慣れぬ手つきで時刻表を使っていた光景が懐かしい。
その頃「JR時刻表」もあったが、当時はまだ時刻表編集の歴史も浅く、巻頭の地図(路線図)の掲載が貧弱であったことに加え、JR以外の私鉄やその他の各種交通機関の情報量がJTB時刻表の方が優れていたと思う。

良き同僚KB先生との出逢い

当初、新設学科での仕事は、その学校組織の大きさや慣れぬ職場にとまどいもあった。
1年目は主に墨田区と杉並区の両キャンパスで使用する統一教材や補助資料、試験問題の作成等を行った。
車掌長は墨田区にある校舎での勤務だったが、そこで出逢った同僚のKB先生がとても素晴らしい方だった。

KB先生は元々は税理士学科の担任をしていたが、国際トラベル学科の立ち上げに白羽の矢が立った。
畑違いのことを教えるのはとても苦労があったことと察するが、KB先生はむしろ楽しむように予習や授業を行っていた。その姿勢には敬服したことを覚えている。
そして、車掌長はKB先生のクラスで旅行実務系の授業やお手伝いを度々させていただいた。

車掌長が所属した教務課はトラベル以外にも、当時花形だった秘書学科やマネジメント学科など、ビジネス系の学科があり、華やいだ感のある楽しい職場だった。
何よりも想い出深かったのは、その教務課全体で温泉に行こう!とKB先生と共に企画立案した職場旅行だ。
KB先生が添乗員役となり、車掌長がマイクロバスを運転し、課長を含めた全教務課員15名が参加し1泊2日で湯河原・箱根を旅した。
普段は違う学科を担当し、お互いにあまり接点がなかったが、この旅行で盃を交わし、カラオケに興じたり、1つの部屋に集まってペアを組み人生ゲームをしたり…

旅行を終えて、職場の雰囲気が良くなったのも旅の効能と言えよう。
今では考えられないような、古き良き職場旅行の良き思い出である。

ホテル・トラベル学科の集大成

当初「国際トラベル学科」としてスタートしたが、ホテル業界への就職希望者が増えたことを受け、「ホテル・トラベル学科」と名称変更。
その時出逢ったのがST先生だ。

ST先生は、かつて日本の空の玄関と言われる都内某名門ホテルでの勤務経験を持ち、礼節を重んじる素敵な方だった。
ホテル業界の知識はもちろんのこと、海外からのお客様と多く接した実務やエピソードなど、車掌長の知らない世界を教えてくれた。

それまで車掌長は、温泉好きの延長で日本旅館や温泉のあるホテルについては、ある程度の知識はあったが、いわゆるシティホテルのジャンルにも興味を抱いたのは、このST先生の影響が大きい。

ST先生とコンビを組み、ホテル・トラベル学科を大きくさせたいという目標を共有し、実現できたことも沢山あった。中でも結実した喜びが大きかったのは、大手旅行会社や外資系ホテルでの学生実習ができるようにしたことだ。

当時、東京には「新・御三家」と言われる外資系ホテルが開業し、新たなシティホテルの魅力を人々に提供した。その3つのホテルの1つ、新宿にある超高層のPホテルに実習の門戸を開くことができた喜びは一入(ひとしお)であった。

この旅行会社及びホテルでの実習を実現させたことと、海外添乗実習(オーストラリア)のブラッシュアップをさせたことで、ホテル・トラベル学科のカリキュラムは理想に近づけたと思う。


(ただ今停車中)

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