JTB時刻表を集める「哲」のサイト 哲×鉄

時刻表と旅をする。近くに、遠くに。過去へ、未来へ。

旅行会社勤務時代

社会人の第一歩は旅行会社。
当時の海外旅行はパック旅行が主流だったが、新たな潮流が生まれ大きなうねりとなり始めた頃でもあった。
それは海外個人旅行だ。車掌長が勤務した旅行会社もその草分け的な存在として業界内でも知られていた。
社員十数人の小さな会社だったが、ゆえに予約から手配、チケッティング、センディング、カウンターセールス等あらゆることを1人で行わなければならず、大手であれば3~5年はかかる一連の仕事を1年足らずで習得できた。
 

父へオリジナル海外旅行を計画

時刻表の使い方を教えてくれた父。
その延長線上に旅行会社で仕事をしている自分がいる。
父に感謝の気持ちを込め、まだ日本を出たことがないというので海外旅行を計画しようと思い立った。
行先はオーストラリア。
当時、直行便で行ける日本航空とカンタス航空は高嶺の花であったため、マレーシア航空を選んだ。
航空券代は約半額の13万円だった。
しかし成田→台北→クアラルンプール→メルボルン→シドニーというように、三角形の2辺を飛ぶルートとなり、直行便であれば9時間のところを26時間余りも要した。

メンバーは父とまだ学生で気ままな妹の3人で行った。
パッケージツアーではないから、全て自分の思うままに見たい所を好きなように観光できた。
シドニー湾のハーバークルーズや、オペラハウス内の見学、ハーバーブリッジを徒歩で渡り、帰りはドアが開いたままの電車で橋を渡り戻った。
空路ケアンズへ渡り、日本にはまだなかった「ラフティング」を楽しんだ。
父がゴムボートから投げ出されそうになったが、一緒にパドルを漕いだオージーと大笑いして交流を楽しんだ。

また、ケアンズからブリスベンまでは「サンランダー」という列車の「クイーンズ・サンランダークラス」という、特等寝台車両で移動し、1泊2日31時間の旅だった。
食堂車やラウンジカーの付いた編成で、東海岸の同じような風景の中を延々と乗るような時間だったが、途中の大きな駅では停車時間も長く、途中下車をして駅前周辺を散策できたのも楽しかった。

再びシドニーに戻り、帰りは台北でストップオーバー(途中降機)。
2泊して故宮博物館や市内観光をした。
龍山寺付近で占いもしてもらい、自分の人生の隆盛期が45~55歳だと言われたが当時はまだ先のことでピンとこなかった。

宿泊は泊まってみたかった「圓山大飯店」。
独特な中国建築の宮殿のような外観で、国賓の宿泊も多く、台北のランドマーク的ホテルだ。
このホテルで日本に電話した際、母から旅行業務取扱主任者試験の合格通知が来ていたことを知らされ、とても嬉しかったことを思い出す。

帰国してこんな盛りだくさんな旅行ができたのも、個人旅行ならではと実感できた。
何よりも父に喜んでもらえたのが嬉しかった。
さすがに、現在父とはこんなアクティブな旅行はできない。
時間もお金も無理をして工面したが、行って良かったとつくづく思う旅行であった。
ちなみに1人あたりの費用は航空券や寝台車運賃、ホテル7泊の他に食事や観光等全て含めて、10日間で約35万円だった。

 

JTB時刻表愛読の軌跡

時刻表神社