旅券の想い出

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2018年4月29日 05:05

昨日の某新聞夕刊にこんな見出しがあった。

「消えゆく旅券スタンプ」と…
旅券とは海外渡航に必要なパスポートのことであり、スタンプとは出入国審査の際に押される証印のことだ。

記事によれば、近年このスタンプを省略する対応が、各国の空港で目立っているという。
これは、最新技術で本人確認する自動化ゲートの導入と合わせ、審査時間の短縮が狙いとのこと。

車掌長はしばらく海外へ行っていないので、最近のこのような出来事を知らなかったが、スムーズな出入国は有難いが、記念となる証印が無くなるのは寂しいと思った。

車掌長が初めて旅券申請をしたのは、大学4年の夏。
就職活動もせず、初めての海外旅行計画を実現させるために、物流会社の夜勤バイトを連夜行い、1ヶ月半で30万円貯めた頃だ。

その頃の旅券申請には、渡航費用支払い能力を証明する書類が必要だった。
わかりやすく言えば、それなりに残高のある預金通帳を申請窓口で見せる必要があった。

今でこそ、旅券申請は簡便となり、多くの人がスムーズに受領までの手続きを行えるが、当時はまだまだ手間暇のかかる手続きの一つだった。

しかしながら、そのようなプロセスを経て初めて「日本国旅券」を受領した時の感動は一入(ひとしお)であったことを記憶している。

当時が懐かしくなり、大切に保存していたそのパスポートを開くと、写真をそのまま透明なシールで貼り凹凸のある割り印を押された、30年ほど前の自身の顔写真と対面できた。

また、渡航先には北朝鮮を除く全ての国々及び地域と英文記載されていた。

そして、日本出国時の丸印と帰国時の角印や、各国それぞれのデザインが面白いスタンプを眺め、当時の想い出が蘇ってきた。

ふと目にした新聞記事から、廃れつつある旅券の想い出を綴ってみた。
久々に海外旅行もしてみたくなった…

 

 

車掌見習の時刻表記念日

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2018年4月28日 14:49

一か月半ぶりに休みの土曜日。

車掌長の仕事の最繁忙期のである4月が、瞬く間に過ぎ去ろうとしている。
今年は仕事上の大きなトラブルもあり、その対応にも忙殺されたが、何はともあれ乗り越えることができた。

それはそれとして、今日は車掌見習に自分用の時刻表を買い与えた。
今までは、車掌長が毎月愛読しているものを一緒に見ていたが、雑に扱われては困るので、車掌長がいる時にしか見せないようにしていた。

しかしながら、最近は好きな時に見たいようで、思い切って自分用の時刻表を買ってあげようと思った次第。

大型ではなく小型ながらほぼ同じ内容の、季刊「JTB小さな時刻表」春号にした。

一緒に本屋へ行き、1,000円を持たせて自身で買わせてみた。
御釣りの330円をもらい、これが初めて自分で買った時刻表の記憶として残れば嬉しいが、まだ5歳、ちょっと無理か…

車掌見習が特に好きなページは、東海道・山陽新幹線とフェリー、飛行機の国内線、列車編成表。
自分なりに、のぞみ○○号は東京駅○○時○○分発、品川、新横浜、名古屋○○時○○分着…などと、音読している姿は健気(けなげ)だ。

車掌長が時刻表の見方を覚えたのは小学1年の冬だったから、1年半以上も早い。

今度出る夏号までに、ボロボロになるくらい読むかどうかは別として、最初に買った車掌見習の時刻表として、永久保存してあげようと思う。

 

絵本の読み聞かせ

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2018年4月10日 04:56

先日、某新聞の記事に目が留まった。

「絵本は、人生で3度読むという人がいますね。子どものとき、大人になって子どもに読むとき、老いて一人になったとき」

これは作家の落合恵子さんが話されたこと。

落合さんが母上の介護した体験を元に出版した小説、「泣きかたをわすれていた」の中で、かつての母娘が入れ替わったように、72歳になった娘が老いた母に絵本を読む場面があるという。

絵本と言えば、車掌長はあまり良い思い出がない…

子どもの頃に絵本を読んでもらった記憶はある。
しかしながら、それは寂しい場面でもあった。

車掌長の母親は看護師であり、3歳年下の妹がいる。
車掌長が保育園の頃、母は夜勤に出る前に二人に絵本を読んでくれた。

それは、出勤前に寝かしつけ、眠っている間に家を出るという、優しさだったと思う。

でも、母が夜勤に出ることを知っていた兄妹は、絵本の読み聞かせが始まると、緊張するのであった。もうすぐ母がいなくなる…と。

妹もなかなか寝付けず、次第に母の出勤時間も近づくと、身支度をしなければならない母は、読み聞かせを終え、泣きじゃくる妹にかまう暇(いとま)もなく、慌ただしく出て行った。

玄関ドアの鍵が、外側かかる音が家中に響くように聞こえ、その「音」は今でも車掌長の負の思い出として記憶されている。

ふたりだけになった幼児の兄妹は、家じゅうの電気とテレビを点け、子どもだけでいる寂しさを紛らわせ、車掌長はシクシクと泣く妹を慰めた。

もう45年ほど前のことだ…

ときに、現在の車掌長は、再び絵本読み聞かせする光景を微笑ましく見ている。

それは、専務車掌が車掌見習に、0歳の頃から毎晩欠かさずに読む絵本の物語…

車掌見習は、1冊目の途中で寝付くこともあれば、5、6冊読んでも「もう1冊」をおねだりすることもある。

しかしながら、車掌見習がそうした読み聞かせの心休まる、安心感に満たされて眠りにつけることに、専務車掌には心から感謝している。

この毎晩の安らぎの積み重ねは、きっと絆を深め、お金で買えない、何物にも代えがたい心の財産になると思う…

翻(ひるがえ)って、車掌長は絵本の読み聞かせはしてないが、時刻表の読み方は教え始めた。

車掌見習も、大好きな新幹線の時刻や、列車編成表、飛行機の発着は、自分で頁を探しながら「引ける」ようになってきた。
正午以降の時刻も、13時が1時、20時が夜の8時であることがわかり始めたようだ。

数字と駅名の羅列でしかない時刻表に興味を持ってくれたのも、絵本の読み聞かせを通じて、色々な場面や世界を「自分で」イメージする力が付いたからかもしれない…

なぜなら、車掌長は時刻表こそが、自身の想像力で如何様にも、旅の場面を思い描ける、「絵のない大人の絵本」だと思うから…

やがて、車掌長も専務車掌も年老いたとき、車掌見習がしてもらったように、我々も絵本を読んでもらったり、腰を曲げながら手を引いてもらい、出かけるような時がくるのかもしれない。

いまは手を引いて連れ歩く、その小さな手の感触をしっかり覚えておこうと思う…

 

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