生産性と一見「ムダ」と思われるものとの共存

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2018年9月16日 05:05

毎月時刻表を愛読し、近年殊更に痛感することがある…

列車運行ダイヤに面白味がない、遊びがない、余裕もない。
それは、ふと、日常の仕事の忙しさに追われる姿と、重ならなくもない…

斯様に感じてしまうのは、
おそらく、国鉄時代末期の鉄道旅行の醍醐味を味わった世代だからであろうか。

まだ、新幹線も東京~博多間ぐらいしか走っていなかった頃。
鉄道旅行には、その目的や急ぎ具合、予算に合わせて、幾つもの選択肢と選ぶ愉しみがあった。

そして、高速道路も現在のように全国隅々まで整備されていなかった。
夜行高速バスもドリーム号の東京~大阪便や、民間バス会社が東京と仙台や新潟などを細々と結ぶのみであった。

夜中の都市間移動は、寝台設備のブルートレインや、クロスシートの急行・普通列車が夜の鉄路を結び合い、静々と様々な目的や事情のある人々を乗せ、走っていた。

いつしか、人々の移動も物流も、効率化や高速化が優先され、あっという間に、高速道路は大都市から全国の中小都市にまで広がった。

鉄道も新幹線が北海道から九州まで繋がり、長距離は新幹線移動、夜間移動は高速バスを選ばざるを得ない状況になった。

物事の生産性や効率化が図られた結果、自身を含め、今を生きる人々は一体何を得たのだろう…逆に気付かないうちに、大切なものを失っていないか…と、ふと立ち止まりたくなる。

生産性や効率化が図られると、他者や世の中の出来事にかまっていられない状況へと、自身が陥ってしまうことに気付く。

それは、生活も仕事も一見スムーズになったように錯覚する反面、やるべきことが過密となり、それに追われ、自身のことで精一杯になるのは当然であり、大勢に影響のないような些細なイレギュラーが気になったり、他人の粗相(そそう)に苛立ってしまうことも思いあたる…

話しを戻すと、鉄道も本来の役割は、地元の人々の生活を運ぶ足であり、物資を受け送る輸送手段であった。
そして、旅行者にとっては、そんな地元の人々が主役である車内という異空間へ乗り込むことに、車掌長が経験してきた鉄道旅行の醍醐味があったように思う。

しかしながら、いまや親切にも、至れり尽くせりの趣向を凝らした列車を走らせ、その地域社会の生活とは切り離された、自分達だけが快適な車両から、インスタ映えのように、綺麗な部分や瞬間、移ろいやすい話題性でしか、感動を共有し合えない雰囲気を強いられてはいないだろうか…

もちろん、近年のローカル線を活用した鉄道旅行の活性化には賛同している。
しかしながら、一方で、日常の移動体として活躍していた時代の「素顔」のままの列車の旅が、愛しく、懐かしい。

たとえば、1本の列車が名古屋から紀勢本線経由で関西を結んだり、九州の門司を早朝に発ち、山陰本線経由で京都府の福知山に日付が変わる頃到着する、このような鈍行列車に乗った経験が、いまの車掌長の生き方に大きな影響を及ぼしてくれている。

全区間を通しで乗る人は、物好きな旅行者しかいないはずだが、全区間を乗ることによって、その土地その土地の人々の暮らしや生活のリズム、車内で交わされる言葉が変わったこと、道中の中核都市駅での長い停車時間に駅前を散策したり、名物駅弁を買う楽しみなど…

そして、何よりも実感するのは、「考える」ことや「物思いに耽(ふけ)る」という、自分が何者にも縛られることのない「自由な時間」が膨大に存在したことだ。

いまでは、このような列車は、非生産的な象徴として「目の敵」にされるであろうが、一見「ムダ」と思われるモノやそこでしか醸造されない「時間」には、おそらく、生産性の追及のみでは生み出せない財産があるのだと思う。

「生産性の向上」は、誰にも止められない流れだと理解しているが、その反対となる一見「ムダ」と思われる物事との共存を図り、バランスの取れた世の中であることを望む。

車掌長も、こんなことを綴ってしまうこと自体、疲れているのかもしれない。
気を付けよう…

 

卒・さいたまスーパーアリーナ

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2018年8月21日 04:40

先日、さいたまスーパーアリーナを訪れた。

著名アーチストのコンサートではない。
これで3度目となる「おかあさんといっしょ スペシャルステージ in さいたま」だ。

車掌見習が好きな番組のひとつ、NHK「おかあさんといっしょ」を生で見せてあげたい…と、初めて訪れたのは2014年、車掌見習がもうすぐ2歳になる夏だった。

アリーナの前庭となるような「けやきひろば」が印象的だった。
人工地盤に沢山のけやきが、縦横無尽に等間隔に幹や枝を伸ばし合い、暑い夏の日差しを遮ってくれていた。

ケヤキは埼玉県の県木だそうだが、車掌長はケヤキが大好きだ。
初めてそう感じたり、ケヤキという木の名前を知ったのは、小学5年の夏、杜の都と言われる仙台を訪れた時だった。

青葉城跡の伊達政宗像から、歩いて仙台駅へ戻る道すがら、広瀬川の川面を眺めたり、涼しげな青葉通りのケヤキ並木を歩き、子どもながらに癒される想いを感じた。

ちょうど、さとう宗幸さんの「青葉城恋唄」が流行っていた頃で、恋の「こ」の字も知らない時分に、「あのひとはもういない…」などと、口ずさんでいたのが、可笑しく思い出される。

そんなケヤキの思い出に浸りながら、スーパーアリーナのケヤキを見るのも、これで最後になるだろうと思った。

思い振り返れば、このスペシャルステージも、初めて車掌見習を連れてきたときは、テレビで視聴していた家の環境と違い、会場が暗かったり、音響が大きすぎてビックリしてしまい、泣いてばかりであった。

時を少し置いて、2回目は昨年だった。
だいすけお兄さんが番組を卒業し、新しい歌のお兄さんとお姉さんがデビューした夏だった。

そして、6歳を目前にした今夏。
車掌見習は、同番組をあまり見なくなったが、これで最後に卒業と思い、チケットを購入。

ステージが始まっても、音響や暗さに驚くこともなく成長を感じた。

1時間のステージが終わり、皆が出口へ一斉に向かう人の波の中、迷子にならないように、しっかりと手を握りしめた。

まだまだ、車掌長の掌に収まる小さな手だが、こんなふうに手を引いて歩くことも、次第になくなってゆくことだろう…

今までは、手を離さず
これからは、目を離さず
もう少しお兄ちゃんになったら、心を離さず…

最近は、時刻表を一緒に見ながら駅名や列車のスジを追い、楽しめるようになった車掌見習だが、どんどん旅に連れ出し、やがて一人で行けるように、そして、自身で考えて選択し、行動できるようになるよう、そんな成長を見守ってゆきたい。

今度、スーパーアリーナのケヤキを、車掌見習と見る機会があれば、その頃どんな感慨に耽(ふけ)ることができるのか…

それは、そのとき、枝葉の梢も頼もしくなった、このケヤキたちに聴いてみようと思う…

 

 

レスカと時給

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2018年8月11日 05:59

 盛夏、こんなとき飲みたくなるのは「レスカ」…

「レスカ」はレモンスカッシュのことであり、車掌長世代は周知だろう。
しかしながら、今でもこの愛しき名称は使えるのか、果たして通じるのだろうか。

車掌長が炭酸飲料を好むのは、アウター5であれば必ずビールだが、日中であれば自販機で買える不二家のレモンスカッシュがお気に入りだ。

不二家のレモンスカッシュが好物なのは、本格的な味わいというか、車掌長が学生時代に喫茶店でアルバイトをして、自ら作っていた味に限りなく近いからだ。

遡ること、30年余り…
車掌長は下宿し某大学の夜間部に通いながら、愛知県某市にあった喫茶店で昼間は働いていた。

今でこそ、愛知・岐阜両県の「モーニング」は全国的に知られているが、当時、車掌長はこのエリアに斯様(かよう)な食文化があるとは、露も知らなかった。

そんな認識のないまま、或る個人経営の繁盛店にバイトとして入った。
店は朝7時から22時まで営業し、車掌長は大学に間に合うよう7~17時の月曜以外週6日働いたが、11時までのモーニングタイムが、とにかく凄まじかった。

平日で200名前後、日曜・休日は400名近くも来店。
最初はホールもやっていたが、カウンター内を任されるようになり、トーストを焼き、コーヒーを入れたり、各種ソフトドリンクやパフェ類も作っていた。

カウンター業務に慣れた頃、マスターがコーヒーを「淹れる」ことを任せてくれるようになり、やり甲斐もあった。

「ネル」と呼ばれる布製のフィルターを使い、大きなポットに抽出してゆくのだが、同じように淹れているつもりでも、温度やお湯を投下するスピードで、味が随分変わることを経験した。
毎朝、マスターに最初の一杯を試飲してもらうのだが、褒められると純粋に嬉しかった。

そして、メニューの中にレモンスカッシュもあった。当時の喫茶店には必須アイテムで、女性客からの注文比率がすこぶる高かった記憶がある。

レモンを半分に割り、搾り器で2個スクイーズ。
背の高い円錐状のオシャレなグラスに搾り汁を入れ、氷・炭酸水を注ぎ、甘くなり過ぎない程度のガムシロップをかける。

比重の重いガムシロップが、氷を伝(つた)いながらゆっくりと沈んでゆくのを待つ間、搾り終えたレモンに螺旋状の切り込みを入れ、グラスに飾る…

そんな作業工程だったことと、当時の提供価格は480円だったことを思い出した。
ちなみに、その値段は車掌長の時給と同額であった。

ゆえに、車掌長にとってレスカは、自身で何杯も作る身近な存在でありながら、他店で自らオーダーするには勇気のいる高価な飲み物という印象があった。

ふと、今朝の新聞に全国の最低賃金が、3年連続で上昇したという記事を目にした。
愛知県は898円だった。

更に、当時の時給はどうだったのか気になり調べてみると、1987年(昭和62)は474円…

最低賃金に近い水準で働いていたことになるが、物事や作業を効率よく回す経験や知恵を習得できたことを考えれば、価値あるアルバイトだったと思った。

レスカ…ほろ苦くも、爽やかな酸味のある、まさに愛しき青春時代を象徴する飲物であったことを懐かしく思い返した。

 

瞬く間に過ぎた6月

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2018年6月28日 04:48

前回乗務したのは、ちょうど1か月前…

あれから瞬く間に1ヵ月という時間が流れた。
感覚としては、まさに「瞬き」が相応(ふさわ)しい。

そのように感じさせるのは、ひと月の1/3を出張していたこともある。
北関東に10泊しているが、中でも茨城県でその大半を過ごしていた。

茨城県の某市に滞在中、或る日の茨城新聞で嬉しいニュースを目にした。

それは、ひたちなか市の平成30年度予算が決定し、市長にその概要を聞くものであった。
その中で「湊線伸ばして残そう」の見出しが目に飛び込んだ。

湊線とは車掌長の好きな私鉄ローカル線、"ひたちなか海浜鉄道湊線"のこと。

市長とのインタビューを読み進めると、延伸の目的や効果、必要性がはっきりしてきたという想いと、それを裏付ける吉田社長と社員一丸の経営努力や企画力、市民の応援によって、10年前は年間70万人台だった乗客数が、平成29年度は100万人まで伸ばすV字回復し、単年度黒字化も達成したことにあると理解できた。

今春、JR三江線が廃止になり、ローカル線の役割や使命には経営難や財源を理由に尻つぼみの状況が蔓延している。

しかしながら、JR可部線では沿線の人口増で、一度廃止なった鉄路に部分延伸とはいえ、息吹が戻った事例を鑑み、湊線も現終着駅から年間200万人が訪れる国営ひたち海浜公園への延伸により、乗客数の増加が見込まれるという。

一方、鉄道の使命は、やはり沿線住民の利用によって支えられるというのも、記事を読み進めてゆく中で、湊線の沿線高校へ通学利用の働きかけや、通勤に利便性の高いダイヤづくりなどに取り組んできた努力に共感した。

かつて車掌長が子どもの頃、上野駅から終着駅の阿字ヶ浦まで、海水浴客を乗せた臨時直通列車が走っていた。

いまも、JRの線路から湊線への連絡線は残っていたように記憶している。
そして、阿字ヶ浦駅に降り立つと、現行ディーゼルカーには余りある、長大なホームに往時の賑わいが想像できる…

妄想ではあるが、上野発ひたちなか海浜公園行の列車運行を望んでやまない…

陰ながら、ひたちなか海浜鉄道湊線の発展を心から願い、応援し続けたい。

 

 

空想の間

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2018年5月13日 05:30

先日、車掌長が尊敬する人物の一人、伊能忠敬を特集する雑誌があり購入した。

特集とは関係ない巻末のページに、見覚えのある絵があり目が留まった。
この絵は誰かのお宅で目にしたもの…

その絵とは、マウリッツ・コルネリス・エッシャー作の「滝」

一見、高い塔から落ちる滝の水が、粉を挽くためであろう建屋の水車を回す絵だ。

しかしながら、その落ちた水を絵の中で辿ると、流れ落ちたはずの水が段差もない水路を、自動車教習所のクランクコースのように上り、再び上述の塔から滝となって落水している…

いわゆる「だまし絵」の手法だが、見る者の空想を掻きたてる絵であり、人間の視覚というものは、ありえないものを実在するように思わされる落とし穴があることにも気付かされる。

また、この絵の下方隅には、洗濯を干す女性と、少し離れたところで滝を見上げる男性がいるのも、幾何学(きかがく)的な構図の中で、何者なのかを想像できて面白い。

ところで、冒頭のこの絵を見たトイレは、たくちゃんさん宅であったことを思い出した。
こうした絵をトイレに飾っているのは素敵だ…
なぜなら、車掌長はトイレは「空想の間」だと思うから…

トイレと書けば、本来の語源である化粧や身支度をするフランス語の「トワレット」の意味合いになってしまう。

だが、日本語のトイレを指す単語は、便所以外にも幾つもあって興味深い。
厠(かわや)、憚り(はばかり)、雪隠(せっちん)、閑処(かんじょ)、手水場(ちょうずば)、思案所(しあんじょ)、ご不浄(ふじょう)etc…

本来の目的である排泄という行為を、直接的な言い方で表現しなかった日本人の奥ゆかしさを感じる。

なかでも、静かな場所を意味する「閑所」と「思案所」は良い名称だ。

日頃、喧騒と干渉に溢れる日常社会、せめて自宅のトイレは想像や物思いに耽(ふけ)る場にしたい。

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