トワイライトエクスプレスとの再会

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2018年10月 9日 04:52

三連休となった真ん中の7日、当車掌区で某鉄道イベントに出かけた。

それは、専務車掌が幼稚園のママ友から聞いた情報で、毎年日比谷公園で行われているイベント「鉄道フェスティバル」であった。

鉄道の日にちなんで行われ、今年が25回目とのこと。
参加する鉄道事業者及び関連企業も年々増え、80社近くはあったようだ。

イベントの趣旨は、鉄道の役割や仕組みを楽しく理解してもらうための参加型フェスティバルのようで、パネル展示物も見受けられたが、来訪者の多くの目的は、グッズ販売だとわかった。

10時開始だったので、早めの9時半頃会場に行ってみると、人気のある鉄道事業者のブース前には、既に長蛇の列ができていた。

まずはグルッと一回りし、どんな鉄道事業者が来ているのか把握してみた。
その中の1つに、「あれ!?」と思うブースがあった。

それは、全国各地の駅弁を販売するブースであったが、30種類ほどの駅弁が積み上げられた中に、「トワイライトエクスプレス弁当」を見つけたのであった。

同弁当は、2015年3月に引退したトワイライトエクスプレスを惜しみ、兵庫県の駅弁調整元の「淡路屋」が限定3万個で販売した人気駅弁であった。

その人気は凄まじく、なかなか手に入れることが困難な駅弁であった。
実際、車掌長も販売開始から機会を狙って関西へ行った際に、販売される駅に行ってみたが、ことごとく「売切」の2文字…であった。

時は流れ、そのまま同弁当のことは諦め、欲しかったこともいつしか忘れてしまっていたが、出逢いは突然現れたのであった。

ブース前には数人並んでいたが、この人数なら確実に手に入ると思い、すぐ列に加わった。

販売開始時刻となり、数分でお目当ての駅弁を入手できた。
陶器製でズシリとした重量感が、購入の喜びを更に掻きたてた。

あとは、車掌見習の行きたいブースを幾つか見て、撤収とした。
もの凄い人手と季節外れの真夏日で、長時間いるのは小さな子どもには酷であると判断した。

車掌区に戻り、早速包みを開けると、引退して3年も経つトワイライトエクスプレスとの再会に、ジワジワとした歓びに身を包まれた。

蓋を開けた中身を確認すると、中身こそ少ないが、その陶器製のフォルムには現役時代の憧れや実際に乗車した想い出がいっぱい詰まっていることを実感できた。

食べ終わった後、きれいに洗い保存用としてディスプレイした。

 

 

週末パス片手に乗り鉄①(東京~会津)

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2018年8月 7日 04:35

先日、JR東日本が発売する「週末パス」を片手に一人旅。

土曜未明、車掌区最寄駅4:30発の電車に乗った。
旅のイメージは大方、頭の中でイメージしてある。

だが、愛用のJTB時刻表をバッグに入れ、予定変更も適宜厭(いと)わず、いや、むしろ大いに楽しみにしたい…と胸を膨らませた。

赤羽から宇都宮線の下り一番列車に乗り換え、ホリデー料金で割安となるグリーン車に乗った。
これで終点の宇都宮まで行ってみる。

ほぼ貸切の静かな車内で、冷たい缶コーヒーを口にしながら、日課である朝刊に目を通す。
時折、記事を追う目の疲れを感じたら、流れる沿線の風景に視線を移す…

普段の車掌区で読む新聞とは、一味違う充足感を味わった。

宇都宮で日光線に乗り換え、今市で下車。
駅前を真っ直ぐ10分弱歩いて、東武鉄道の下今市へ向かった。

ここからフリーパスの効力は無く、別途切符を買い足し、一路会津方面を目指す。
特例で乗車券のみで利用できる「特急リバティ会津」に乗り、鬼怒川温泉を通り、野岩鉄道、会津鉄道にも乗り入れ、終点会津田島まで乗った。

会津鉄道では、ひとつ楽しみにしている列車があった。
それは「お座トロ展望列車」と言い、2両編成のディーゼルカーに、お座敷・トロッコ・前方展望席という、異なる3つの趣きを楽しめるユニークな列車。

旅に出る前日、たまたまみどりの窓口で空席照会したところ、トロッコ車両が残2席と告げられ迷わず購入した。

11:50の出発時刻までまだ2時間ほどあり、パスの効力も当駅から再生する…
リバティから接続する会津若松行の気動車に乗り込み、折り返しで戻って来れる駅まで行ってみることにした。

手元の時刻表で調べると、随分先まで行って折り返し、トロッコに間に合うことがわかった。
このように気ままな乗り換えを調べられるのは、余分な列車も一目で視認できる、一覧性の高い時刻表ならではの芸当だ。

そんな、ささやかな悦に入っていた折、途中駅「塔のへつり」に目が留まった。
何度か訪れたことのある観光地だが、ふらり散策してみようと思いついた。

木立の中に片面ホームだけの風情ある無人駅に降り立ち、徒歩で景勝地へ向かった。
この日も暑さは厳しかったが、アスファルトの熱が容赦なく照りかえす東京のような酷暑ではなく、木洩れ日の中を清々しく歩くことができた。

1時間弱の散策を終え、再び会津田島へ戻る。
その際乗車したのは、前日に乗車整理券を購入した列車となる下りのトロッコ列車だった。

席に充分な余裕があり、車内でトロッコ乗車整理券を購入。
車内の両側は、開放的なオープンエアのクロスシートになっており、4人掛けの区画を一人占有し、心地良い風に吹かれた。

子どもの頃は当たり前だった、冷房の無い列車の窓を全開にし、吹かれた夏の風を思い出した。
西会津の山並みと蒼い空、緑の田んぼを眺めながら、日常では味わえない時の流れに身を委ねた。

会津下郷で列車交換のため、数分停車。
その停車時間に車内販売員が乗り込んだ。トレ―を覗きこむと、手作りスィーツや鱒バーガーなるものを売っており、思わず鱒バーガー(400円)を購入してみた。

鱒のフライがサンドされたものだったが、美味しかった。

鱒バーガーは事前知識になかったが、会津田島駅での折り返し時間には、或るお目当てを買い求めた。それは、駅弁「松茸二段弁当南山のたび」。

改札を出た目の前の売店のカゴに3つあることを確認。
数量限定で販売されているようなので、安堵。1080円で購入した。

再び、トロッコに乗り込んだ。
駅弁は走り出してから食べるのが正統派と思っているが、走り出すと風が強く食べ辛いから…と、自分なりに言い訳を見つけ包みを開いてしまった。

なんてことは無い、本心は一刻も早く定評ある噂の駅弁を食べてみたかったのだ。

高さのある簡素な箱に正方形のプラ容器が二段入っており、下段が松茸弁当、上段がおかずであった。驚いたのは下段の松茸…よくこの手の弁当でありがちな、小さく薄っぺらい欠片(かけら)のような松茸ではなかった。

「姿スライス」とでも名付けたくなるような、1本丸々をタテにスライスしたもので、松茸の姿そのものであった。
かような松茸は、大きなものが2枚入っており、蓋を開けると独特な香りが鼻腔をくすぐった。

スライスも厚めで、噛みしめると上品な味付けと芳醇な香りに思わず、絶句…
しかも、この良心的な値段に脱帽…
この駅弁だけを食べに西会津まで足を運ぶ価値があると、ひとり頷いてしまった。

さきほど降り立った、塔のへつり駅を過ぎ、列車は橋梁の上で2分ほど停車。
車窓案内や写真撮影のできるサービスが、この先も何か所か続いた。

里山の年季の入った駅舎に心癒されたり、ガタゴトガタゴトとレールの響きと揺れが心地よく、うたた寝をしたり…大満足なトロッコ列車の旅を終え、会津若松へと到着した。
 

同じ時間を重ねたLSEとの別れ

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2018年7月11日 05:46

 昨日、小田急ロマンスカーLSE(7000形)が定期運行を終了した。

LSEは1980年運行開始、以来38年という長き間、箱根へ向かう多くの人々に愛され親しまれてきた。

車掌長も昨年から、引退の日も近いと知り、車掌見習と何度か乗車し、ラストラン前の切符が取り辛くなる前に早めの自身としてのお別れをしておいた。

小田急ロマンスカーは、車掌長が小学生の頃に親しんだSEやNSEも想い出深いが、LSEには特別の思い入れがある。

それは、1980年といえば、車掌長がJTB時刻表を毎月購読し始めた時期と重なるからだ。

あれから38年を経て、車掌長は現在も毎月新しいJTB時刻表との出逢いを楽しみにしているが、一足早くLSEが引退してしまうのは、寂しい限りだ。

しかしながら、車掌長も齢(よわい)50を迎え、時刻表の小さな数字や駅名が見づらくなったことは否めない…

やはり、LSEとの別れとともに、自身の老朽化も実感してしまった。

何はともあれ、長い間の運行を心から労いたい。
いま、車掌長の脳裏には、村下孝蔵さんの「ロマンスカー」のメロディが流れている。

♪夢を乗せたロマンスカーを 何度も見てた寄り添って…

 

さらば、旧国鉄115系「かぼちゃ電車」

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2018年3月23日 05:02

一昨日、JR東日本が115系の最終運転を行った。

115系と聞いて、どのような車両か思い浮かぶ方は鉄道好きだと思うが、わからない方は、「哲×鉄」表紙の想い出に収蔵されている、湯田中2000さん投稿、2012年2月掲載分を見ていただきたい。SLと並ぶ115系が写っている。

この車両、旧国鉄時代の1963年に、湘南色と呼ばれる塗装を施され登場。
以来、通勤・通学の足として大活躍し、その色合いは「かぼちゃ電車」とも言われた。

車掌長は、中央線沿線に住んでいるので、同じ115系でも青白の"スカ色"の方が、親しみがある。

子どもの頃、通勤電車として見慣れたオレンジ色の国電101系のロングシートではなく、向い合せの4人掛ボックスシートに憧れた。それは、どこか遠くへ行けるイメージが漠然とあったからだ。

当時、山男たちに愛された165系アルプスは急行券が必要だったが、乗車券のみで乗れるセミクロス・シートの115系は、子どもにとって遠くへ行けることを予感させる大好きな車両だった。

そんな115系も、登場から55年が経ち、老朽化ももちろん否めなくなった。
今の電車に比べれば、加速も乗り心地も良くないが、モーター音を高めながら一所懸命に走っている乗車感が、スマートにゆかない人間のそれと似て、とても親しみがあった。

一方、目を北へ向ければ、キハ183-0系もこの週末(24、25日)でラストランを迎える。
トランス・ノーズと呼ばれる、その独特なフォルムは、個人的には芸術的な美しさを感じさせる。

その車両保存に尽力されている御方がいるが、車掌長もささやかながら、その保存に協力したく、クラウドファンディングというものを初めて体験した。

そのサイトを見ると目標金額にも達したので、来夏北海道へその勇姿を見に、車掌見習と専務車掌とともに行きたいと思っている。

あたりまえのことだが、旧国鉄時代の車両もいつまでも現役で走られるものではない。
こうして1つ1つ想い出の車両が消えてゆくのは残念だが、いつまでもその想い出を忘れないでいることが、大切なのだろう。

末筆ながら、上述の湯田中2000さんも、出逢った頃は幼稚園年長だったが、今は中学2年くらいだろうか…勉強にも忙しいと思うが、自身の目標に向かって頑張ってほしいと応援している。

またいつか、一緒に乗った電車に再会しに行くのも楽しみにしていたい。
 

水間鉄道 素晴らしきマイ・メモリアル・トレイン

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2018年3月18日 04:52

大阪府貝塚市にJTB時刻表と同じ「時」を刻み、走り続けるローカル私鉄がある。

この水間鉄道(みずまてつどう)は、営業路線5.5㎞と短いが、その歴史は長い。
1925年(大正14年)開業、つまりJTB時刻表の創刊年と同じだ。

両者は以来、90余年もの長い歳月をそれぞれに歩んできた。
一方は参詣の足として、もう片方は旅の計画・立案に必携な書物として…

かような双方の偶然となる、開業や創刊の一致を知り得たのは、昨秋のこと…
僭越ながら、車掌長の全く私的な50歳イベントを、自身で考え始めた頃だった。

色々な案が頭の中で浮かんでは消えたが、現実的なものとして閃(ひらめ)いたのは、列車の「ヘッドマーク」というものだった。

ヘッドマークは、昔から列車の「シンボル」であった。
ちなみに日本初のヘッドマーク掲出列車は、戦後間もない「つばめ」と言われている。

その後、特別急行列車などの優等列車には、その列車を象徴する「顔」として、ヘッドマークが機関車前面に取り付けられた。

車掌長の年代では、「さくら」「あさかぜ」などのヘッドマークを掲げ、電気機関車に牽かれるブルートレインが懐かしくもあり、それらの列車に乗ることを夢見ながら、時刻表のスジを追いつつ憧れた。

そして、切符代を貯めてハレて乗客となれた暁には、寝台列車にもかかわらず、昂奮して一睡もできずに、その独特な旅情を子どもながらに満喫したものだった。

そんな憧れの「ヘッドマーク」を、自分のために制作し、営業運転の列車に掲出してくれることを知ったのが、昨年のJTB時刻表9月号に掲載された巻頭特集の頁であった。

その特集で、全国で数社の私鉄がヘッドマーク掲出列車を走らせていることを知り、それぞれの会社を調べていたら、上述の水間鉄道とJTB時刻表との偶然の一致点を知るに至った。

早速、「哲×鉄」保線区土木係にヘッドマークのデザインを依頼、同時に水間鉄道にもヘッドマーク制作及び掲出列車運行の申し込みを行った。

そして、何度か水間鉄道のヘッドマークご担当の方とやりとりを進めたが、この御方の対応が大変素晴らしかった。

きっと、このヘッドマークを申し込んだ一人一人の記念や想い出を大切にしておられるのだろう…と察した。

車掌長も頻繁ではないが、色々な鉄道会社へ問い合わせをした際、昔ほどではないにせよ、まだまだ"ぞんざい”であったり、表面的にはマニュアル通り丁寧な言い回しだが、心の籠っていないのが明らかな対応も珍しくないのを痛感していただけに、この御方の対応は大変印象に残った。

そして、迎えた50歳当日の2月19日…
貝塚駅で「マイ・ヘッドマーク」を掲出した電車を見たとき、胸に熱いものが込み上げる感動や感謝の念を覚えた。

水間鉄道とJTB時刻表の長い歴史の中で、10日間という瞬(またた)きほどの時間ではあるが、車掌長のオリジナルヘッドマークとともに、伴走してもらえる喜びを実感したものだった。

終点の水間観音まで乗車し、折り返しの僅かな時間を使って記念撮影等を専務車掌、車掌見習と行ない慌ただしく貝塚駅に戻ると、新聞社の記者と合流し取材を受けた。

その場には、水間鉄道の鉄道部長T氏も立ち会って下さり、改めてヘッドマークに関する興味深いエピソードも聞くことができた。

その取材の模様は、朝日新聞夕刊(関西版)3月14日付に記事として掲載、ネット上でも一部分を見られるようだ。(※全文は有料記事のため会員向け)

末筆ながら、このような全く私的な50歳記念のイベントを支え、盛り立てて下さった、水間鉄道様と新聞社記者の御方に心より御礼申し上げます。

そして、その「顔」となるヘッドマークをデザインされた、「哲×鉄」保線区土木係のたくちゃんさんへ、深く厚く感謝申し上げます。
誠にありがとうございました。

今後も、水間鉄道様におかれましては、色々な人々の「人生のひとコマ」を演出する"メモリアル・トレイン"として、大勢の方に愛される鐵道(鉄道ではなく、あえて鐵道とします)であられることを願っております。

 

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