ホワイト・デー

カテゴリー:⑤番線:feel the season方面 2019年3月14日 05:14

 今日は、ホワイト・デー。

今朝の新聞、その由来を説明する記事に目が留まった。
1970年代後半、バレンタインのお返しをする風潮が若者世代に生まれたのが事の起こり。

そこへ某菓子店がマシュマロを返礼品として呼び掛け販売。
1980年、菓子業界全体でキャンディーを贈る日として宣伝し、全国的に広まったという。

「ホワイト」は、あめの原料である砂糖の純白に由来するようだが、諸説有りとのこと。

そんな記事を読んで、車掌長の記憶の引き出しから出てきたものは、アニメの「キャンディ・キャンディ」だった。

同アニメは、車掌長と同世代女性の御方なら、ご存知の1970年代の人気TV番組。
車掌長は3歳年下の妹がおり、当時、自身にチャンネル権が無かったは定かではないが、よく一緒に視聴していたので、ストーリーは熟知しており、好きな番組でもあった。

余談だが、一人旅で倉敷に行った際は、原作者開設の「いがらしゆみこ美術館」にも訪れた。

その主人公である少女の名前が、「キャンディス・ホワイト」。
毎年、ホワイト・デーの季節になると、記憶がその名を日常という水面に浮上させる。

子どもながらに好きだったシーンは、キャンディが「丘の上の王子さま」と思い込み憧れる、少年アンソニーが、キャンディにバラの花を渡す場面。

それは、或る日アンソニーに誕生日を聞かれたキャンディが、孤児だった自身の出自からわからずに答えられなかったとき、アンソニーが「次に自分と会った日が、君の誕生日だ」と微笑んだ。

そして、後日再会の折、アンソニーは自分が品種改良して作った新種のバラをプレゼントした。

それは、「スィート・キャンディ」という純白のバラであり、その輝きがいまも印象に残る…

ホワイト・デー誕生の世相から、約40年のいま…
返礼の趣旨も、時代にそぐわなくなりつつあり、商戦は低調とも記事にあった。

日本の消費社会は、あまりに商魂たくまし過ぎて、車掌長は好みではない。

そもそも「ホワイト・デー」と称し、バレンタインの1ヶ月後、全国一斉に予定調和のようにお膳立てされた期待される日に、然るべき出来事が起こるものよりも、アンソニーが「次に会った日が…」と言ったように、個々にとって意味のある「日」に贈られるものが、自分自身の「ホワイト・デー」であってほしい…と、思ってしまう。

車掌長も50歳を過ぎて、まさか自身がアンソニーとは言わないが、「スィート・キャンディ」のようなプレゼントを、専務車掌にできたなら本望だ。

ふと気付けば、専務車掌の誕生日も近い…

 

ビクトリーはくと

カテゴリー:⑤番線:feel the season方面 2018年12月30日 20:22

この時季、時刻表上に一年に一度だけ走る列車が現れる。

毎年2月25日の「上り」のみ運転される、全車指定席の「ビクトリーはくと」号が、それだ。
鳥取大学駅発、大阪行…

その日付と始発駅から、勘の良い方はお気づきだろう。
そう、この列車は国公立大学の2次試験日に、受験生の便宜を図る列車だ。

今年もこの列車が運行されることを時刻表で確認し、一年を締めくくることを実感する…
殊に、今年は「平成」最後の年の瀬…

ざっくりではあるが、昭和を20年、平成を30年生きたのが、車掌長の人生。
長さで言えば、平成の方が長いのに、昭和の方が印象深いのは、ひとえに「鉄道の醍醐味」を味わった最後の世代だからかもしれない。

「最後の世代」と言い切るのは、いささか主観が過ぎるかもしれない…

しかしながら、その根拠は、夜行列車や寝台列車、急行や長距離鈍行(特に旧型客車)に乗車した経験と、それらの列車へ寄せる郷愁、愛着の有無にあると思う。

「ビクトリーはくと」の話から脱線してしまったが、今年もあと大晦日を残すのみとなったいま、この一年「乗務日誌」をお読みいただいた方、またご乗車(コメントをくださった方)いただいた方々に、心からお礼申し上げたい。

車掌長の乗務日誌における物言いは、独善的であると常々認識している。
そして、閲覧回数や「いいね!」の数は、全く関心が無いので気楽に綴っているし、それを表示する機能も価値を見い出せないゆえ、付していない。

いや、正確に言えば、これは単なる、車掌長個人の人生の備忘録に過ぎない。
一定の時を経て、自身が振り返ったときに、あの頃はまだまだ青かったなぁ…と、振り返るためのタイムカプセルを、たまたまどなたもリアルタイムで閲覧できる状態になっているだけのことなのかもしれない。

しかしながら、もし、全く見知らぬ方がご覧になって、「こんな考え方、生き方もあるのだなぁ…」と思っていただけたなら、それは望外の喜びである。

【以下、車内放送】

末筆ながら、いまこれをお読みくださっている方々におかれましては、迎える年もどうぞ佳き年となりますよう、心より祈念いたします。

また、更に近しいところにおられる皆様におかれましては、今年も大変お世話になり、誠にありがとうございました。

仕事でお忙しい方も多いと存じますが、どうか心身とも大切になさって、今後とも末永くお付き合いのほど、宜しくお願い申し上げます。

ちなみに、「心身ともに大切に…」とは、お恥ずかしながら、心身どちらも壊したことのある車掌長が、切に願うことであります。

冒頭の列車名を引合いに出せば、他者へ勝つことが「ビクトリー」なのではない…と、思います。

むしろ、自身の弱さを知り、そんな自身と上手く付き合うなかで、好きな言葉である「My pleasure」のように、誰かの役に立ったり、喜ばれたりすることを糧にできる生き方の方が、結果としては「ビクトリー」なのではないか…と考えるようになりました。

今日は本年最後の乗務でしたが、珍しい時間に乗務したせいか、脈絡のないまま、ここで失礼いたします。
 

 

Spur

カテゴリー:⑤番線:feel the season方面 2018年12月 8日 05:19

今朝、冬らしい冷たい空気を吸った。

ここ数日、季節外れの暖かさに慣れ過ぎたのか、忘れかけていた冬の朝の空気感であった。
そうそう、本来の師走はこんな冷たさだったなぁ…と。

いつも冬の訪れを感じると、ふと頭をよぎる言葉がある。
それはSpur…

「シュプール」という言葉を初めて知ったのは、中学3年の冬。

トシちゃんこと、田原俊彦が歌った「ラブ・シュプール」の流行った時だった。
彼のファンではなかったが、トシちゃんの曲では「ハッとしてgood」と「ラブ・シュプール」が、特別に好きだったことを思い出す。

♪青い空 光る そのほほえみは
真冬に咲いた花さ
白く咲き乱れ この僕待つよ
ふたりは 永遠の星さ

今でも時折、口ずさむこのサビは、車掌長が冬を好きになった原点があるように思う。

ところで、シュプールと言えば、もうひとつ忘れられないものがある。
それは、30年ほど前のスキーブーム。

国鉄末期に誕生し、新生JRに移行後、最盛期を迎えた「シュプール号」だ。
この列車が運行される頃の時刻表は、とても賑やかで、まさに冬の華であった。

まだまだ高速道路網も、現在ほど充実していない時代、冬の大都市のターミナル駅は、スキー板を抱えた若者が多く見られ、その光景は冬の風物詩でもあった。

今では、そんな時代もあったことを忘れさせるほど、駅を発着する列車に季節を感じさせたり、その目的地に想いを馳せらせるような、魅力ある鉄道の旅が消え失せてしまった。

それも時代の流れ…と、頭の中で分かっていても、心は感傷的になってしまう歳になった。

Spur…
車掌長の好きな言葉は、若かった頃に抱いた、「白銀」や「純白」という無垢なものへの憧れや妄想という前展望席の車窓から、いまや現実の生活の中、車掌長自身の足跡を振り返る後方展望のような意味合いにシフトしつつある。

それは、Spur本来の言葉の意味に近づいたのだと思う。
 

 

しらせ出港

カテゴリー:⑤番線:feel the season方面 2018年11月11日 05:38

あぁ、今日だったか!…

都心環状線からレインボーブリッジを上り、ふと左手車窓を見たときのことだった。
晴海埠頭に「しらせ」が停泊していた。

「しらせ」は南極観測隊を運ぶ、世界最大級の砕氷艦。
南極の分厚い氷を砕きながら、様々な観測を行う隊員及び物資を運び、越冬隊員の交代を無事に行うことが使命の艦船。

仕事に向かう際の首都高で、いつもは箱崎経由で湾岸線に出ることが多いが、今日は気分的にレインボーブリッジを渡りたくなった気まぐれが、ラッキーであった。

これから、この晴海埠頭を出て遥かな南極へ向けての長い長い航海に臨むのだと思うと、その勇姿を一目見ることができたことに、感動してしまった。
ちなみに東京から南極昭和基地までの距離は、直線で約14,000㎞とのこと。

車掌区に戻り調べたら、今年は日本の南極観測隊第60次の節目にあたることを知った。

オーストラリア経由で南極昭和基地到達予定は、12月中~下旬。
再びこの晴海埠頭へ戻ってくるのは、来年4月9日予定だそうだ。

暦の上では、先日「立冬」を迎えたが、車掌長はこの「しらせ」出港の知らせが、毎年冬の訪れを感じさせてくれる。

航海の無事を祈り、首都高11号線から湾岸線へと流入した。
 

 

彼岸に咲く花

カテゴリー:⑤番線:feel the season方面 2018年9月24日 04:50

昨日は彼岸のお中日、先祖代々の墓参りをした。

春秋、彼岸の墓参は、車掌長が物心付く頃からの行事。
ゆえに、これまでの45年以上の歳月で数回だが、何らかの予定が入り行けないことがあると、何か心が落ち着かないこともあった。

春と違い秋彼岸の墓参は、墓のあちこちの地中から、ニョキッと立ち咲く「彼岸花」が見られる。
子どもの頃から、感覚的に色鮮やかな赤色で綺麗だが、対照的に何か気味悪い印象も持っていた。

それは、必ず墓で見る花であり、無邪気な幼い頃は、持ち帰ってはいけない花だと教わったこととも、潜在的な意識として、培われたかもしれない。

なぜ、持ち帰ってはいけないか…
それは、その赤い花が「炎」を連想させ、昔の人は家が火事に遭うことを恐れたから。

なぜ、昔からある墓に必ずあるか…
それは、まだ死者を土葬する因習があった頃、腐食肉を喰い荒らす動物から墓を守るため。

実際、彼岸花には毒があり、動物が直感的に感知し近寄らない効果がある。
ゆえに、田んぼや畑の周りにも、大事な作物をモグラやネズミなどから守るために、植えられているそうだ。

そんな彼岸花が咲く花の場所について、科学的な理由を知ったのは、だいぶ歳が経ってからのことだった。

しかしながら、幼い頃に抱いた印象というのは、なかなか払拭できないもの…
そして、車掌長はオジサンの域になっても、あまり近寄りがたい印象を引きづったままだった。
それが、どうしてなのかは釈然としないまま…

だが、10年ほど前、その釈然としない「解」が自分なりに判った。

それは、青森県の霊場「恐山」に行ったときだった。
硫黄臭に包まれ、荒涼とした岩場の積み石と、風に吹かれカラカラと回る無数の色鮮やかな風車を目にした時だった。

その風車の1本1本が、一瞬にして「彼岸花」だと、脳が反応した。

恐山の風車は、我が子を亡くした親が幼子の霊を慰めるものであると、観光ガイド等で知っていたが、車掌長にとっては、直感的に彼岸花と同じに目に映った。

気になり、帰京後、彼岸花の花言葉を調べてみた。

すると、沢山の意味があったが、「再会」や「転生」、「また逢う日を楽しみに」などの言葉を見つけ、車掌長自身の釈然としない気持ちの霧は晴れた想いがした。

そう、秋のお墓の彼岸花は、現世と彼の世との出逢いを感じる花だったと…

今秋も、日頃の家族や自身の無病息災を祈り、気持ちも新たに手を合わせた。
 

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