投了

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2017年6月27日 05:27

忙殺だった6月が終わろうとしている。

6月は2、3ヶ月あったような気もするし、2、3日だったような気がしないでもない…
そんな感慨の月であった。

そんな想いに耽っていたら、将棋界で偉業を成し得た14歳のニュースが不意に飛び込んだ。
藤井四段の29連勝だ。

最年少棋士として話題に事欠かないが、人間は年齢でなく、その「人」にこそ魅力や凄さ、脆(もろ)さや弱さがあり、それらが「人間的」であることの証なのだろう…

昨今は、将棋の世界においても、コンピューターの方が人間よりも優れていることが実証された。
アナログ人間の車掌長としては、面白くない話だ。

しかしながら、将棋における人間の魅力は、自身で負けを認める「投了」にあると車掌長は思う。

競技スポーツの世界には、審判員やレフリー、行司というように、勝ち負けを判断する人間が存在する。ときに、審判も人間である以上、ジャッジに誤りもある。

だが、ルール上は審判員の判断を「是」としなければ、勝敗がつかないし、混乱も起こる。

その点、将棋の「投了」は明快だ。
自身が相手に対し、「負けました」「参りました」等の言葉を伝え、負けを自ら認めなければならない。

これは勝負の世界において、己の力の無さ、足りなさを痛感する一言だ。

車掌長は勝った藤井四段も凄いが、投了した側の諸々の感慨も想像した…

翻(ひるがえ)って、車掌長自身も日常生活において、己の力の無さを省みて「投了」を意識する謙虚な、潔い心持ちを大切にしたいと思った。

もちろん、それはわざわざ口にして言うような大袈裟なものではないが、「心持ち」として、意識していると「慢心」や「驕り」から起きる災いを回避できるのでは…と感じる。

四段ならぬ余談になってしまったが、素直に藤井四段の快挙を祝福したい。

 

 

シロツメクサ

カテゴリー:⑤番線:feel the season方面 2017年6月14日 20:28

♪シロツメクサの花が咲いたら さあ行こうラスカル
 6月の風が渡る道を ロックリバーへ遠乗りしよう

子どもの頃、「世界名作劇場」という番組があった。
ムーミン、アルプスの少女ハイジ、フランダースの犬…

車掌長が小学生だった頃、日曜夜7時半からは決まってこの番組を観ていた。

冒頭の曲の出だしは「あらいぐまラスカル」だ。
この作品の前がフランダースの犬や、母をたずねて三千里だったので、明るい作風に子どもながらに戸惑いがあったものの、これはこれで爽やかな物語であった。

子どもの頃から動物が苦手な車掌長だが、アニメで見ている限りは、こんなあらいぐまなら可愛いな…などど思っていた。

と、こんな話をしたかったのではなく、今日は久々に夕方早い時間に家に帰れたので、専務車掌と車掌見習とともに夕食を楽しんだ。

そのとき、今日公園で専務車掌と車掌見習がシロツメクサを摘んで、ブレスレットを作ったと聞き、それを見せてもらったのだった。

今月は出張でほとんど東京におらず、あっという間に半月が過ぎた感慨だが、留守中も日々こうして穏やかにノビノビと過ごしていることを知り、ふと癒される想いであった。

今更ながら、専務車掌には日頃の車掌見習とのかかわりに感謝したい。

車掌長もいまが年間を通して最も忙しい時期だが、それを裏方で支えてくれているのは専務車掌だからだ。

とくに、今年の6月はお祓(はら)いをしてもらった方がよいのでは…と思うほど、仕事上のトラブルに複数見舞われ、閉口の日々であった。

ゆえに、そんなこととは無関係に、日々を精一杯遊んでノビノビ育つ車掌見習の話を聞くと、一服の清涼剤というか、癒しというか…ほのぼのとした気分に浸れる。

専務車掌のこうした関わりは、決して金銭的な対価としての報酬がどこからかあるわけではない。

しかしながら、体力的にも、精神的にも、日々子どもと向き合う時間というものは、労働のようにキツイものだと理解している。

そうした労力は、時給や月給というカタチにはならないが、いつの日かきっと、そうしたものとは換算できないほどの喜びや報いがあるのだと思う…

なかなか照れくさくて、日々の会話の中で口に出しては言わないが、改めてお礼を言いたい。

いつもどうもありがとう

シロツメクサは、クローバー。
きっと、いつの日か、こうした同じような日々の中に、ふと四つ葉に出逢えるときがあるのだろう…


 

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