49歳を迎え

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2017年2月19日 20:17

齢(よわい)、49歳を迎えた。

五十歳を眼前にした感想は、「一年後、どんな風景を見ているのだろう」ということ。
車掌長が漠然と妄想する、五十歳になった時の風景は、「美ヶ原」を描いている。

高校時代の国語の教科書に出てきた、尾崎喜八の「美ヶ原溶岩台地」の詩…

登りついて不意に開けた眼前の風景に
しばらくは世界の天井が抜けたかと思ふ

この詩や光景に憧れ、「美しの塔」に立つと、その詩を刻んだ碑文は漢字とカタカナだった。

しかしながら、標高2000mを超える地に、これほど広大な草原があろうとは…
教科書の挿絵にあったその詩を連想させる写真よりも、数百倍素敵な光景だった。

五十歳など、人生の先輩に言わせれば、まだまだ若輩者であろう。
だが、車掌長にとっては、還暦よりも何か意義深いキリの良さを感じる。

それは「半世紀」、「1/2一世紀」etc…

信長は「人間五十年」の歌中で、人の世の五十年という年月は、天上界に生きる人と比べれば、ほんの瞬きほどの時間であり、人として生まれてきた者で死なない者はいない、という趣旨のくだりを好んだそうだ。

それは翻って、所詮50年しかない人生なら、決死の覚悟で物事に当たれ、という生き方に通じていたのかもしれない。

車掌長にそのような覚悟はないが、数年前に観た映画「Railways~49歳で電車の運転士になった男の物語~」を、ふと思い出した。

大手電気メーカーの本社に勤め、役員昇進も約束された一見順風漫歩のサラリーマンが、故郷の母が倒れたり、同社工場長の親友が事故で亡くなることを機に、それまでの「生き方」を自問する話だった。

そして、子どもの頃の夢だった電車の運転士を目指し、転職を決意、故郷の鉄路で夢を叶える…

転職を経験されてない方にとって、その人生の転轍器を変えるのは、とても勇気がいることだろう。
しかしながら、色々なものを天秤にかけて、自分が信じることに賭けてみるのも、たった一度きりの人生だからこそ、尊いことなのかもしれない。

いや、「尊い」などという言葉は他人事だ。
実際は、かなりリスキーであるし、スリリングだ。

車掌長は転職を7回経験しているが、上述は実感を込めた言葉のつもりだ。

だが、「自分の人生」というレールの行方を、自分の手で転轍機を切り替え、進路を幹線からローカル線へ、或いはその逆へ…と、走ってきたように思う。

今はおそらく、ローカル線の鈍行列車を単行で走っているイメージだ。

車掌見習の為にも、長く生きたい願望はあるが、寿命ばかりは誰にもわからない。
ならば、一日一日という枕木の一本一本を数えられるようなスピードで、日々の風景をゆっくりと共に味わいながら生きてゆきたい。

なにやら随分と老けた綴りになってしまったが、それほどに、ハイスピードで生きてきたゆえの、反動なのかもしれない…

自分自身のRailwaysの終着駅が、何処なのか…
齢(よわい)を幾ら重ねても、すぐに答えが見つからないところが、「人生という旅」の醍醐味なのかもしれない。
 

コメント(2件)

希望者挙手さんからのコメント(2017年2月20日 08:57投稿)

誕生日おめでとうございます。
一足先に人生半世紀を超えた私から「人生の価値は生きている間にどれだけ感動できたか」という、オヤジこと本田宗一郎氏の言葉を贈らせて頂きます。

この言葉の裏には、努力無くして感動は得られないという意味が込められています。

同じ風景を見ても、その風景を見るために積み重ねた努力が大きい程、その感動も大きくなりますよね。
日々努力を続けていれば、他人から見れば些細なことでも、そこに感動を見つけることができるのです。

「成功は失敗と反省から」
「チャレンジして失敗を怖れるより、何もしないことを怖れろ」

オヤジさんの残した言葉の数々に感銘と共感を覚え、私もまた車掌長と同じく7回の転職を経験するなど、波乱万丈の人生を送っていますが、それは私自身や家族、私と関わって下さるすべての人々と感動を分かち合おうとしてきた結果のような気がしています。

車掌長がこれからも人生鉄道の中で、一つでも多くの感動という名の駅に立ち寄れることを願って、お祝いの言葉に代えさせていただきます。

車掌長さんからのコメント(2017年2月21日 04:55投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます
また、お祝いの言葉も賜り、重ねて御礼申し上げます。

本田宗一郎氏の言葉、大変共感いたしました。

「人生の価値は生きている間にどれだけ感動できたか」…
人生の価値観とは、人それぞれであることは重々承知しておりますが、車掌長はこの言葉を支持する派です。

何か自分が能動的に動いたことによって、得られる成果や教訓。
そして、その過程や結果で味わえる感動や喜びと挫折や喪失感…

これらの繰り返しや積み重ねてを経て、人は成長してゆく、或いは心持ちが豊かになってゆくのだと思います。

自分自身の成功だけでなく、他人の成功も同じように共感できたり、失敗や悲しみについても、同じように心を痛めたり、気持ちがわかることによって、多様性や寛大さが涵養されてゆくように感じます。

もちろん、車掌長はまだまだ未熟者ですので、そのような人間に近づけるような、日々の精進が必要に思っています。

ところで、「感動」は英語で「emotion」。
motion自体は「動き」ですが、moの付く単語は「動作」に関する意味で日常的に沢山耳にします。

movement:動作
motor:モーター、動力
promote:前へ動かす、進める、昇進させる
locomotive:蒸気機関車
motivation:動機づけ

などなど、他にもたくさんあります。

そしてmotionの前にあるeは、outのように外へ出す、掻き立てる意味合いがあるそうです。
exitも出口ですネ。

まわりくどい物言いで恐縮ですが、emotionは、動きを表出すること。すなわち、感動とは「自分自身が起こす動作」なのだとわかります。

日々の動きであるmotionの1つ1つが、結果としてemotionの1コマ1コマになる…

そして、motionは自身の心や姿勢を反映します。
自身の心をコントロールすることほど、この世で難しいことはないように感じますが、それができるようになると、感動へとつながるmotionが、俄然楽しくなると考えます。

希望者挙手さんが仰ったように、同じ風景を見ても人によって、その受け止めが違ってくるのは、まさにその差であるように思うのです。

他人から見れば些細なことでも、そこに感動を見い出せるような感性を磨いてゆきたいなぁ…と思いました。

今日は長々となってしまい、申し訳ありません。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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