温泉達人会 会報vol.11

カテゴリー:⑥番線:温泉方面 2017年11月27日 04:39

 今年も皆さんと元気な顔を合わせることができた。

年に一度、そんなことを繰り返し21年が経過。
まさに、光陰矢の如し…

今年の温泉達人会総会・納会は、猿ヶ京温泉奥の一軒宿、川古(かわふる)温泉で執り行われた。
参加者は三十名弱で例年よりも若干少なかったが、飯出代表推薦の新会員4名の入会が承認され、新鮮味のある賑やかさが感じられた。

温泉達人会の会員数は設立当初は十数名だったが、その後は三十名前後で推移してきている。
大体これほどの人数が、互いの顔が見える、わかる規模だと個人的には思っている。

この人数でも、一日限りの納会で全員と話すことは、車掌長には不可能だ。
ただ、話はできずとも、元気そうな顔ぶれを拝見するだけで、或いは年に一度発行している会報を通して、こんな湯めぐりをされた一年だったんだなぁ…と思いを馳せるだけでも佳き交流になっていると感じている。

今年で会報発行も11回目となった。
各会員の温泉への想いは十人十色で、それらを読むことで疑似体験できることも楽しい。

また、巻頭カラー頁で特集された「明日にでももう一度行きたい温泉」は、まさにその湯に行きたい願望や妄想が膨らみ、大変面白くユニークな企画であった。

車掌長も会員としての活動の証として、毎年寄稿しているが、「子連れ貸切温泉」をテーマにしてから、はや5回目、つまり車掌見習と同い歳の連載となった。

テーマにしていると書けば仰々しいが、年に1回のことであり、個人的な記憶の記録と言い換えた方が正確だ。
巷に溢れている子連れ○○的な情報提供には足下にも及ばない、全く違うスタンスであることをご承知いただき、読まれた御方に何か一言でも参考になることがあったなら幸いだと思う。

貴重な1泊1泊の温泉での想い出を、時を経ても温め続けられることは、車掌長にとって温泉という恵みの「真の効能」と考えている。

無論、温泉を治療・療養目的で通っている方々もおられ、各人で効能の受け止め方は違うもの。
それぞれに温泉の効能と感じるものを得ることが、温泉との接し方なのであろう。

それにしても、今回お世話になった川古温泉のぬる湯は最高であった。
4回で計3時間以上入り、仕事で痛めた腰も幾分良くなった気がした。

気のせいかもしれないが、そう思えるのも効能としては有効なのであろう…
今度はぜひ、哲×鉄車掌区で訪れ、車掌見習にもこのぬる湯を楽しませてあげたいと思った。

 

最新版広辞苑を予約

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2017年11月 3日 05:37

今朝の新聞で、広辞苑第七版の予約開始を謳う広告が目に入った。

最近、多くの新聞で来年1月に岩波書店が出版する広辞苑が、10年ぶりに改訂されることを伝えていたのは記憶していたが、今日がその予約開始日だと知った。

車掌長は時刻表はもちろんだが、辞書も大好きだ。

辞書との出逢いは、小学4、5年生くらいの時に授業で辞書の使い方を習ったとき、たまたま図書館にいた上級生の図書係の子からも、辞書の引き方を実演で教わったことだった。

そして、その子が「じゃ、○○という言葉の意味を調べたかったら、こうして…」と、無作為の如く辞書を二つに開いたと思ったら、ズバリ、その調べたい言葉が載っている頁を指さした。
その動作に感動しカッコイイと思ったことが、辞書との出逢いであった。

そして、時をおいて車掌長自身が辞書と深く関わるようになったのは中学2年の時。
父が勤める会社の創業35周年記念に、会社から全社員へ「広辞林」を贈呈品として配ったものを父がそのまま車掌長に譲ってくれた。

父の真意は未だ不明だが、時刻表ばかり見てないでこういうものも見ろ、と言いたかったのであろう…

車掌長は、それまで家にあった小さな国語辞典よりも、大きく、分厚く、重い辞書に、大いなる興味を抱き、思い付いた語句を引いては納得し、疑問を持った言葉もなるべく早く調べる癖が付くようになった。

その広辞林は、高校進学時も使い続け、大学生になっても進学先の愛知県に引っ越す際、梱包物にしのばせておいた。
そして、時刻表同様に、暇な時はランダムに色々な言葉を調べ時間を潰すことが多かった。

そんな辞書との出逢いや付き合い方をしてきたが、最近は「辞書を引く」ということから、いささか離れていたように思う…

今回、広辞苑改訂の報に触れ、かつ、ちょうど50歳を迎える節目の年に出版されることも重なり、手に入れたいなぁ…と言う想いが、湧くのを感じた。

よし、高価な買い物だが、価値ある想い出にしよう、と予約することを決めた。

言葉の海に溺れ、言葉の森を彷徨(さまよ)い、道なき広い平原に己の針路を見定める道具になり得るよう、人生後半の「佳き友」として付き合ってゆきたい。

これは車掌長自身の経験則だが、結局、人間の思考や言動の発端は、「言葉」によって脳がそれらを司っているように感じてしまう。

人と同じことをやるにしても、そこに至るアプローチの方法や工夫、面白さは、語彙の差が行動や結果に如実に現れる。

また、「感情」という厄介なものも、言葉の力で制御、自制できるようになったと、この歳になって気付くようになった。

"ことばは、自由だ。"

上述の目にした広告にあったフレーズだが、スマホ全盛の時代、大体のことは掌(てのひら)で済んでしまう便利過ぎる世の中…
ややもすれば、スマホという薄っぺらい物体に、自分自身の時間や行動というものを、無意識のうちに束縛、支配、順応させられている懸念もある。

もちろん、IT社会の今日、それ抜きでは仕事が成り立たない御方が大勢いることも承知している。

ただ、一見不便そうで、面倒くさそうで、武骨な…そんな世相に抗(あらが)うような、アナログ的な楽しみや悦びが、意外にも、自身が主体となって、自身の人生や生活を自由にプランできる時間的な或いは精神的な「のりしろ」として、有用なのかもしれない…と思うのである。

 

日本は島国

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2017年11月 2日 05:20

 昨日、休暇を取った。

理由は、5年に一度、小型船舶操縦士免状の更新手続きをするためだ。
国から免状更新講習代行を認可された、麹町にある某事務所で簡単な身体検査や講習を受けた。

この免状は、25年前に広島県尾道市で取得した。
動機は、旅行会社勤務時代に公私ともにお世話になった先輩友人と、「ボートで日本を一週しよう!」という軽いノリだった。

船舶免状は船の総トン数によって区分され、車掌長が所有する「小型2級」の場合、岸から5海里(約9㎞)以内の海面において航行が可能だ。

つまり、この5海里以内であれば、日本は島国だからグルっと一周が可能となる。

そんな夢を抱きながら取得した船舶免状だが、実際には免状取得の実技試験で操船したのが最後で、取得以降は自動車で言うペーパードライバー状態であった。

理由は、当時ボートを所有したり係留等の維持費が言うまでもなく高価であり、またレンタルするにしても手続きが煩雑であったり、高額であった。

しかしながら、昨日受講した事務所にあったレンタルボートの宣伝パンフレットを見ると、小型であればレンタカーと同程度で借りられることを知った。

もちろん、いきなりは無謀だが、再度操船講習等を受講し、海洋リゾート地などで数時間レンタルしたりして操船経験を積み、ちょっとずつ航行距離を延ばすのもいいなぁ…などと、50歳を節目に新たなことにチャレンジしてみたくもなった。

とくに最近は、要所要所のマリーナに、「海の駅」というものが整備されているそうだ。
この海の駅を海に沿って伝っていくのもオツだ。

まぁ、まだまだ妄想の範囲なので、日頃色々なご心配をかけている専務車掌には、安心していただきたいことを、念のため申し上げておこう。
 

1