吾子の歯

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2013年4月25日 20:43

車掌長の1年間で最も忙しい4月が終わろうとしている。
この1カ月弱で、1万3千名余の人々と対面したり、定型の言葉をかける日々を過ごしていた。

その対象は社会人もいたが、多くは小学生から大学生が相手。
日々まさに「人に酔う」ような感覚であった…
毎年のことながら「最近の」子供たちを目の当たりにできる貴重な期間でもある。
とは言うものの、さすがにこれだけの人間に言葉をかけるのは、精神的に疲れるのも事実。

そんな時、ささやかながら心を癒される出来事が当車掌区にあった。
それは、車掌見習の歯が顔を見せ始めたこと。

そして、ふと、中学時代の国語の教科書に出てきた俳句が、記憶の引き出しを押し開いた。

「万緑の中や吾子の歯生え初むる」

これは俳人「中村 草田男」(なかむら くさたお)の一句。
吾子(あこ)、つまり我が子の歯が初めて生え始めた時の喜びを詠ったものだが、当時は素通りした句が、およそ30年の時を経て、その良さを噛みしめることができた。

今はちょうど新緑も爽やかな折、ひときわ色彩的な緑と白との対比も情感を帯びた。

口元に人差し指を近づけると、パクッと食いつき、指の腹に微かに硬いそれを確認できる…
柔らかなツルツルの歯茎に、やがては生え揃う前の第一歩の感触が、無条件に嬉しかったりする。

何かで読んだか、誰かに聞いたかの話だが、子どもは生まれて最初の3年で親孝行を終えるのだという。

こう書いてしまうと、将来の楽しみがないような印象を受ける方もいらっしゃるかもしれない。
しかしながら、その3年という日々の目覚ましい成長ぶりこそが、実はかけがえのない「親孝行」なのだそうだ。

もちろん、大きくなってからの親孝行もあるだろうが、車掌長はこの上述の話に納得する。
そして、当車掌区では今を「孝行1年生」と呼んでいる。

いま、向き合える時間を大切に、日々の忙しさに流されないようにしたいと思った今日この頃…
やがて訪れる、孝行3年生の卒業証書を"ありがとう"の言葉を添えて渡してあげたい。

また、4年目からの門出は或る意味、「大人」として付き合えば、こちらの思うようにゆかない自我の芽生えも共感でき、徐々に親の手を離れてゆく心の準備もできることだろう…
 

脱・就活レース

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2013年4月21日 06:45

先日、経団連が首相の要請に応じ、企業による大学・大学院生の採用活動の開始時期を遅らせることを正式表明した。

これに伴い、現行の倫理憲章を改め、会社説明会は大学3年の12月から4年の4月開始、筆記試験や面接等の選考活動は同4月から8月へ変更となるそうだ。

学生や大学側はいつも翻弄される印象を抱くが、そもそも大学4年間の中で約1年半も「就活」関連に時間を割かれていたことがおかしい。
車掌長は1年間でも「就活」に時間を費やすのは無駄であり、4年の10月からで十分だと思う。

毎度車掌長の話で恐縮だが、車掌長が就活をしたのは4年の11月。
内定をもらったのは同12月だった。

もちろん、今日の就職難という過酷な時代ではなかったが、さすがにどの会社も一通りの採用活動が終わっており、「さて、どうしよう?」という就活スタートのタイミングであった。
周囲の友人はみんな行先も決まっていた。

車掌長は「よーいドン!」的に、一斉スタートで物事を進めるのが苦手だ。
全員が同時にスタートすれば、どう考えても無駄が多かったり、自分でもよくわからないまま動くのが好きではなかった。

本来、内定を得て卒業直前に行くのが普通の「卒業旅行」を、車掌長は4年の晩夏に終えてしまった。
それはどうしても、「夏のスイス」をのんびり旅したかったからだ。
働き始めればまず不可能な3週間という「時間」をたっぷり、初の海外旅行となる憧れのスイスに費やしたかったのが理由だ。

結局、この時にお世話になった旅行会社の丁寧な対応や、当時は旅行業の中でも未開の分野だった「海外個人旅行」に魅力を抱き、その会社に就職する縁となった。
実際、自分で体験したスタッフとの対応や、手配でやりとりした時間が「就活」だったことになる。

的外れな物言いであるし、そのことに責任は負えないが、他人や社会の流れから外れてみるのも1つの「選択」だと思う。

激動の時代、濁流とも言える世の中という川の流れの中にも、必ず流れが淀んでいたり、淵のように静かな場所がある。
そこに身をおいて、本流を眺めていると、きっと自分の将来や今後を考える時間が得られると思う。

やみくもに本流に乗って流されているうちは、訳がわからないほど忙しく、そうしていることで「安心」だと感じるのは理解できる。

しかしながら、どこへ流されるかもわからないリスクや不安は、かなり流されないと気付けないのも事実。

これから、就活をする人々には、せっかくの学生時代の貴重な「時間」を、本当の意味で「自分のため」に費やしてほしいと願う。

考えてみれば、皆が皆、同じ道具を使って就職活動しているのも、滑稽なこと。
スマホ片手に同じ服装で、同じような志望動機を持って、疲れた表情で会社へ臨んでいる…
車掌長が会社の採用担当になることは100%ないが、そういう人間に魅力は抱かない。

そもそも、本来の勉強や重要で価値ある情報というのは、端末の指先では得られないと思う。
時間をかけて本を調べたり、信頼できる人物に直接聞くなど、答えを得るための「過程」が大切なのに、その過程が欠落しているのが残念だ。

車の運転もカーナビゲーションを使えば便利だが、道を覚えることは苦手になるだろう。
今後、人生の「ナビゲーション」も発明されるかもしれないが、その指示通り進む人生とは一体どんなものだろうか?

なにはともあれ、建前上は学生時代に就活に割く時間は短くなったわけだから、そこで担保された自分の貴重な「学生」という身分を有意義に使ってもらいたい。

経済社会の仕組みに順応になるためだけに、自分のかけがえのない時間を使いきるのはモッタイナイ。
そして、そんな「つくられた自分」は、働き始めてからのミスマッチで長続きしないだろう。
 

鉄の女

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2013年4月10日 04:58

タイトルを見て、車掌長なら女子で鉄道好きな「鉄子」を連想するが、そうではない。

先日、英国元首相のマーガレット・サッチャー氏が亡くなった。
彼女はその立ち居振る舞いから「鉄の女」と呼ばれた。

車掌長が小学6年の初夏、東京で初のサミットが開催された。
ちょうど社会科見学で国会議事堂を訪れた際、バスガイドさんがサミットの話をしてくれ、サッチャー氏も近々訪日することも教わった。

今朝、某新聞のコラムにこんな話があった。
彼女の父親の話だ。

サッチャー氏が子どもの頃、何かをしたいと言うと、父はいつもこんな風に返したという。
「他の人がやるからという理由だけで何かをやってはだめだ」

この場で彼女の元首としてこの世に残した功罪には触れないが、車掌長はこの父の考えには共感した。
なぜなら、車掌長自身も子どもの頃からその意識が強かったからだ。

車掌長の場合、もう少し補足すれば、人が持っているものや既にやっていることには興味が湧かないと言える。
また、マスコミやメディアで流される情報も、それが全ての考え方であったり正しいとは思っていない。
むしろ、違う考えもあるのでは…と疑問を抱くことが多い。

つまり、何となく大勢の人が言うからやっているから、「自分もそうだと思うし、やっている」という思考ではない。
ただ、どちらであっても、自分の行いには必ず次のことが伴うもの。

「自由には責任が、権利には義務」がセットされているということだ。
ここを取り違えると、世の中おかしな方向に進んでしまうと懸念する…

尻切れトンボになってしまうが、コラムの一節からそんな想いを抱いた。
 

コメント(2件)

きんちゃんの嫁・花子さんからのコメント(2013年4月17日 14:24投稿)

車掌長様、ご無沙汰してます。
夫が大学・サークル他色々とお世話になっている、嫁の花子です。
コメントは残してませんが、毎回楽しみに乗車させてもらってます。

「他の人がやるからという理由だけで何かをやってはだめだ」というのは、今現在子育てをしながら改めて痛感してます。

車掌長の言う通り、何となく大勢の人が言うからやっているから・・というので、私の子育て開始当初は、インターネットであらゆる育児情報を探したり、育児雑誌を何冊も読んだりと、その他大勢の他人の意見・行動に振り回されていました。

今となっては笑い話ですが、当時は初めての育児に翻弄され、自分自身を完全に見失っていたように思います。
車掌長のブログを読んで、甘酸っぱい記憶が蘇ってきました。笑

何だかとりとめもないコメントですみません!
またいつか車掌長様ご一家に会えるのを楽しみにしてます♪
奥様にもよろしくお伝えください。

p.s)トップページのパタパタ。凄い面白いデザインですネ。

花子

車掌長さんからのコメント(2013年4月18日 22:58投稿)

きんちゃんの嫁・花子様

この度は「哲×鉄 ブログ本線」ご乗車ありがとうございました。

こちらこそ、いつもきんちゃん&花子さんご夫婦の姫の成長ぶりを拝見しては、子育ての参考にしたり、励みにさせていただき、車掌見習の育成に勤(いそ)しんでいるんですヨ。

この場を借りてお礼申し上げます。

花子さんのコメントを拝見し思うのは、生き方に「正解はない」ということです。

言い換えれば、その時々の状況下で、色々迷いながらも、真剣に向き合って選択したり決断したことならば、どれもが「正解」だと思うのです。

それは、職業しかり、子育てしかり、人生しかり…

もちろん、それがネット検索で得た情報であれ、何冊もの雑誌で読んだことであれ、誰かに聞いたことであれ…どれもが貴重な判断材料であり、存分に活用すべきです。

しかしながら、一番してはいけないと思うことは、仮にその選択が失敗だったと思ったり、感じた時に、「人のせい、何かのせいにする」こと。

ネットに書いてあった通りやったとか、あの人に聞いたとおりしたのに…と、言ったり、思った瞬間に、自己の選択が貶(おとし)められ「不正解」にすり替わるのが最も嘆かわしいことです。

こんなことを綴っていたら、2か月ほど前に面白い新聞の記事があったことを思い出しました。

「優越の錯覚」です。

これは多くの人が「自分は平均よりも優れている」と思う心理学的錯覚を指すそうです。

例えば、知能や技能、望ましい性格etc…これらを平均的な人と比べてもらうと、上述の通り多くの人が自分は平均よりも上だと錯覚するそうです。

これは言い換えると、いかに人間は「己を知らない」とか、「自分を正確に知ることは難しい」ことだと言えます。

また、優越の錯覚は「過信」を招きやすく、過剰な場合は無謀な行動に走ることも知られています。

逆に、自分を現実以上に悲観したり、自信を失うと「抑うつ」となってしまいます。
今の世の中、こちらに属する人々が多いように感じるのが心配です。

ややこしい話になってきましたが、何を言いたいかと言えば、適度な「優越の錯覚」状態である自分をキープできたなら、人生はhappyだなと思ったのです。

それをキープするための手段や材料は、人それぞれですが、それが何であるかを自分で知っておくことが、幾通りもある生き方を楽しめる人であり、他人の言動や評価をイチイチ気にしない人なのかな…とイメージします。

そう考えると、「偏差値」というのもおかしなモノサシですネ。
平均を「50」とし、高い方へ或いは低い方へ、どれほどの位置にあるかによって、一面的な学力や一時点での偏った指標で、志望校や進路がFIXされてしまうとは…

車掌長は高校も大学も、偏差値を気にせず、担任の進路勧奨も参考程度に留め、自分のやりたいことを基準(モノサシ)に進路を決め、人のせいにしなくて済み、良かったと思っています。

末筆ながら、またのご乗車を心からお待ちしております!
今度はぜひ当車掌区へもご家族で遊びに来てください。
3名程度なら宿直も可能です(笑)


(追伸)
トップページの「パタパタ」、褒めていただき大変うれしいです。
これも哲×鉄保線区"たくちゃん"さんの職人気質の賜物です。

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