脱・就活レース

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2013年4月21日 06:45

先日、経団連が首相の要請に応じ、企業による大学・大学院生の採用活動の開始時期を遅らせることを正式表明した。

これに伴い、現行の倫理憲章を改め、会社説明会は大学3年の12月から4年の4月開始、筆記試験や面接等の選考活動は同4月から8月へ変更となるそうだ。

学生や大学側はいつも翻弄される印象を抱くが、そもそも大学4年間の中で約1年半も「就活」関連に時間を割かれていたことがおかしい。
車掌長は1年間でも「就活」に時間を費やすのは無駄であり、4年の10月からで十分だと思う。

毎度車掌長の話で恐縮だが、車掌長が就活をしたのは4年の11月。
内定をもらったのは同12月だった。

もちろん、今日の就職難という過酷な時代ではなかったが、さすがにどの会社も一通りの採用活動が終わっており、「さて、どうしよう?」という就活スタートのタイミングであった。
周囲の友人はみんな行先も決まっていた。

車掌長は「よーいドン!」的に、一斉スタートで物事を進めるのが苦手だ。
全員が同時にスタートすれば、どう考えても無駄が多かったり、自分でもよくわからないまま動くのが好きではなかった。

本来、内定を得て卒業直前に行くのが普通の「卒業旅行」を、車掌長は4年の晩夏に終えてしまった。
それはどうしても、「夏のスイス」をのんびり旅したかったからだ。
働き始めればまず不可能な3週間という「時間」をたっぷり、初の海外旅行となる憧れのスイスに費やしたかったのが理由だ。

結局、この時にお世話になった旅行会社の丁寧な対応や、当時は旅行業の中でも未開の分野だった「海外個人旅行」に魅力を抱き、その会社に就職する縁となった。
実際、自分で体験したスタッフとの対応や、手配でやりとりした時間が「就活」だったことになる。

的外れな物言いであるし、そのことに責任は負えないが、他人や社会の流れから外れてみるのも1つの「選択」だと思う。

激動の時代、濁流とも言える世の中という川の流れの中にも、必ず流れが淀んでいたり、淵のように静かな場所がある。
そこに身をおいて、本流を眺めていると、きっと自分の将来や今後を考える時間が得られると思う。

やみくもに本流に乗って流されているうちは、訳がわからないほど忙しく、そうしていることで「安心」だと感じるのは理解できる。

しかしながら、どこへ流されるかもわからないリスクや不安は、かなり流されないと気付けないのも事実。

これから、就活をする人々には、せっかくの学生時代の貴重な「時間」を、本当の意味で「自分のため」に費やしてほしいと願う。

考えてみれば、皆が皆、同じ道具を使って就職活動しているのも、滑稽なこと。
スマホ片手に同じ服装で、同じような志望動機を持って、疲れた表情で会社へ臨んでいる…
車掌長が会社の採用担当になることは100%ないが、そういう人間に魅力は抱かない。

そもそも、本来の勉強や重要で価値ある情報というのは、端末の指先では得られないと思う。
時間をかけて本を調べたり、信頼できる人物に直接聞くなど、答えを得るための「過程」が大切なのに、その過程が欠落しているのが残念だ。

車の運転もカーナビゲーションを使えば便利だが、道を覚えることは苦手になるだろう。
今後、人生の「ナビゲーション」も発明されるかもしれないが、その指示通り進む人生とは一体どんなものだろうか?

なにはともあれ、建前上は学生時代に就活に割く時間は短くなったわけだから、そこで担保された自分の貴重な「学生」という身分を有意義に使ってもらいたい。

経済社会の仕組みに順応になるためだけに、自分のかけがえのない時間を使いきるのはモッタイナイ。
そして、そんな「つくられた自分」は、働き始めてからのミスマッチで長続きしないだろう。
 

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