車窓なきリニアに失望

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2013年9月24日 05:10

先週、JR東海はリニア中央新幹線の駅及びルートの詳細を公表した。

リニア中央新幹線(以下リニアとする)は、2027年に品川~名古屋間の開業を目指すという。
その賛否は、経済効果の算盤をはじく旧来の人々や、環境破壊を懸念する先駆的な人々、新技術に夢を描く人々など様々だ。

車掌長は、どちらかと聞かれれば、「反対」であり「不要」と考える。
その理由は、車窓のない旅になんの魅力も感じないという、子供じみた考えからだ。

上述の発表によれば、路線距離286㎞のうちトンネル部分が246㎞となり、実に86%が地中となる。
また、貴重な地上区間のほとんども、安全性の確保から"土管"のような構造物の中を走行するという。
そのため、その土管に小窓を多数設けて、高速通過する際の眼の錯覚を利用して連続した車窓が得られるか検証する案もあるらしい。

リニアの最大の命題は「時間短縮」。
そのため、品川~名古屋間をほぼ直線的なルートを描き、最速40分で結ぶ予定だ。
そして、そのルート上には、南アルプスを標高1000m級の地点で、長さ25㎞のトンネルを掘るという。

単に、来年開通50年を迎え老朽化する在来新幹線の代替、東海地震に備えたバイパス機能が目的であれば、多少時間は要しても北側の伊那谷ルートを通せば良かったと思うが、そんな余計な遠回りする僅かな時間すら惜しかったのであろう。

そんなルートの産物が、車窓なき旅。
いや、もはや「旅」という概念に当てはめる対象にならないであろう。
単なる2地点間の移動手段だ。

今後人口も減り、日進月歩の通信手段の技術進化で、想定通りの旅客需要が確保できるのであろうか。
もはや、ビジネスとして、わざわざ人が物理的に移動して事を成す意義も、時代遅れというか、希薄な時代になっているかもしれない。

それでも、人が移動して得られるものは何かと言えば、移動時間は「インターバル」なのだと車掌長は考える。
インターバルとは、「間隔」や「合い間」の意味。
スポーツであれば競技中の休憩であったり、劇場であれば幕間(まくあい)と言える。

車掌長が考える旅の移動時間とは、日常から離れる「時間」に意義深さや価値があるということ。
その自由な時間さえ短縮化され、日常と何ら変わらない「暇潰し」的な時間の消費や、仕事の延長のような雑事に縛られては窒息しそうだ。

一方、その対極となるような、クルーズトレインの話題は朗報と言える。
時間をかけてゆっくりと移動する旅。
いまは富裕層相手の高額なものしかないが、その概念の広がりには共感する。

車窓とは、自分を未知な世界へ誘ってくれる入口、まさに「窓」だ。
それを失ったリニアに乗る人々に与えられるものは、「生き急げ」という指図なのかもしれない。

東京から名古屋への出張に、在来新幹線「のぞみ」を使ったら、「何をサボっているんだ」とお叱りを受ける世の中になっているかもしれない。
 

コメント(2件)

希望者挙手さんからのコメント(2013年9月28日 01:43投稿)

またスキンブルシャンクスに会いに来ました(笑

同感です。
リニアの移動には旅情のかけらも感じられません。
経済的理論が最優先のビジネスツールと割り切ってます。

リニアの停車駅に指定された地域では、観光収入の増加を見込んでいるらしいが、私は若者が都市部へ流出してしまうことを心配してしまう。

私自身が、田舎から都会に出てきた人間ですから。
鉄道唱歌のオルゴールが懐かしい、特急「しおさい」がなかったら、私は一生田舎暮らしだったかも知れない(笑

一時的に訪れる人に気を取られ、気付けば、一生地元で暮らしていたかも知れない若者がいなくなっていた、なんてことにならなければいいが。

徐々に日常から離れ、段々日常に戻ってくる。
そんなアナログな移動が旅なんじゃないかと思います。
(ちなみに、「徐々に」は加速度的に、「段々」は着実にというニュアンスで使い分けました。出かける時と帰る時の気分ってそんな感じがします)

100系が姿を消してからのJR東海は、残念ながら旅よりビジネスに目が向いているように感じられてしまう。

私が都市対抗野球で応援しているJR九州のように、少しでも旅に目を向けてくれるといいのだが。

車掌長さんからのコメント(2013年9月28日 04:57投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます

希望者挙手さんの仰ること、共感します。
アナログ的な移動こそが「旅情」なのだと…

車掌長は、リニアには通勤電車と同じ「ロングシート」や「吊り革」がよく似合うと思います。
たかだか40分の移動、まして隣の駅までは10分くらいの時間、落ち着いて「座る」よりも、より沢山の人を乗せて稼ぎまくったら良いと考えます。

また、せっかく在来新幹線で着実に築き上げてきた省電力志向のエコな車両哲学も、リニアは膨大な電力を必要とし、原発稼働が大前提のような化け物になってしまいました。
運転席の窓もない顔つきは、温かみの欠片もないように見えます。

ところで、隣の駅と書きましたが、JR東海は途中駅には全く興味がないと実感します。
駅の造りを知って、その簡素さに夢のかけらもないことを知りました。きっと、駅の設置はリニアがその県を通る「通行税」ぐらいの認識でしょう。

日常からの脱却は"徐々に"、
日常への回帰は"段々に"…
とても素晴らしい表現ですネ

旅に出る際の、あのなんとも言えない心のときめき。
その高揚ぶりは、抑えようのない、正に加速度的な心情の移ろいがあります。

一方、旅を終えてからの充足感は、出立前の自分とは何かが違う満足感そのものです。
単に、疲れて帰ってきたのであったなら、それは日常と同じことを旅先でもしてきたのだと思うのです。
日常と同じものを求めたり、気を揉んだり、時間に縛られたりetc…

旅とは自分を「解放」することとも言えます。
また、そうであるならば「日常の自分」とは、しばしの間お別れしなくてはなりません。

旅行に出てまで、行列待ちにイライラしたり、サービスの不備に憤ってみたり…
そんな日常と同じ価値観を持って旅に出るのは、モッタイナイです。

そもそも「サービス」とは、主従関係のある概念です。
金を払ったから、当然受けるべき行為として無意識に要求しがちではないでしょうか。

一方、最近話題になっている「おもてなし」は、語源とも言われる「表なし」のように、表も裏もない関係なのだと思います。

だからこそ、人々は「おもてなし」に金銭に換金できない喜びや感謝を胸に刻み、デジタル信号に変換できない「人間の営み」に価値を見い出すのではないでしょうか。

間もなく運行を開始する豪華列車も、そんなお客の品位が求められます。
また、運行会社も大金を払った乗客にへりくだって自分を卑屈にして対応するのでは、「一流」なもてなしとは言えません。

双方に主従関係のない、心の通ったやりとりのある時間こそが、プライスレスな時間を味わえるのだと感じます。

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孝行2年生

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2013年9月21日 13:57

本日、車掌見習が1歳の誕生日を迎えた。

昼に両親と妹夫婦に集まってもらい、食事をともにしお祝いをした。
食前には「選び取り」と呼ばれる、将来占いの真似事をした。

電卓や辞書、筆、財布、金槌を置き、適当な距離を空けてどれを取りにゆくかを見守った。
結果は金槌であった。
車掌長は不器用でモノを直したり、作るのは苦手だが、車掌見習は職人系かな…?

また、「一升餅」を背負わせることもした。
もうすぐ歩きそうな頃だが、背負わせた途端に亀がひっくり返ったような状態になって泣き始めた。
これには一同、大笑い。

当車掌区では、親孝行は生まれてからの3年だと考えている。
その3年間は、日々の成長の喜びや共に過ごす時間を最優先にしたいと思う。

一方、3年生を終えれば少なからず自我も芽生え、自分で生きる力を積み重ねていってほしいと願う。
きっと、車掌長や専務車掌とぶつかることも少なくないであろう。

しかしながら、世の中の流行りや廃(すた)りに影響されず、背伸びをして無理に他人に自分を合わせるのではなく、自分の大切にしたい人やモノを見極められるような時間を歩んでほしいと願う…

今日この日をもって、孝行2年生に進級した車掌見習だが、専務車掌は嬉しさの反面、寂しさもあると言う。

さて、そんな祝いの日に、先日Tっちい氏(仮名)からいただいた"竹鶴21年"(ミニボトル)を開栓した。
21年以上の熟成を重ねたピュアモルト・ウイスキーの味わいは、一言で表現すれば「追憶」だろうか…

過ぎ去った日に想いを馳せる…
そんな時間旅行を、この少量の琥珀色の液体が誘ってくれる。

ところで、Tっちい氏と言えば、いつも気の利いた手土産を持ってきてくれる人物だ。
以前、彼がくれた東京銘菓「ナボナ」も今年で誕生50周年。
昭和好きな車掌長には、グッとくる一品だ。

今となっては珍しくない洋菓子だが、車掌長が子どもの頃は「お菓子のホームラン王」として王選手が宣伝。喜ばれるお土産の代名詞であり、特別な時に味わえるお菓子でもあった。

今やスイーツに限らず、何でもある世の中になって久しいが、その分「特別なもの」が日常生活から少なくなってしまった寂しさを実感する。
北海道の銘菓も、近所のスーパーで売っていたりするが、こういう「売れればいい」的なセンスは首をかしげてしまう。

また、東京駅にも全国の駅弁が揃う店があるが、その節操のなさに暗澹(あんたん)たる気持ちになってしまう。
地場の調整元が、地元の駅で売るからこそ本来の「駅弁」なのに、東京でほとんど揃ってしまうことと、こういう出店企画をする人の自分勝手さ(一人勝ちすれば良いという発想)に、日本の病的な効率主義や安直さが漂っている。

車掌見習には、そんな自分だけ良い的な発想は持たないよう育成したい。

最後に、ナボナは50周年を記念して、来月に客からの要望が一番多かった味を復活させるという。
車掌長は定番のチーズクリームが好きだが、どの味が復活するかは楽しみにしておきたい。

そして、車掌見習がある程度大きくなったら、この昭和の味を教えてあげよう。
 

田中正造没後100年

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2013年9月 4日 04:17

♪渡良瀬川で見る夕日を あなたはとても好きだったわ

森高千里さんが歌う「渡良瀬橋」は、車掌長も大好きな曲の1つ。
そんな夕日がきれいな街を流れる”渡良瀬川"も、100年余り前はある事件で有名になった。
日本初の公害事件と言われる「足尾銅山鉱毒事件」だ。

この事件を世に知らしめ、生涯をその被害に遭った人々の救済や援助、公害問題の解決に奔走した人が、政治家・田中正造。
今日2013年9月4日は、田中正造が亡くなって100年にあたる。

車掌長が田中正造を初めて知ったのは、小学校の国語の授業であった。
確か6年生だったと思うが、正造が明治天皇に直訴をする際に取り押さえられている挿絵が教科書に載っており、非常に印象に残っている。

そして、政治家とは私利私欲で動くのではなく、困っている人々のために働き、生きることが真の使命なのだと子どもながらに感じたものだった。

足尾鉱毒と生涯をかけ私財も全て投じて闘った正造…
その命を潰えたときに残した全財産は、袋1つに入った河原の石ころと鼻紙、聖書、憲法の小冊子、日記などの所持品のみだったという。

しかしながら、正造が亡くなって100年を経た今、光輝く思想や名言を現代人に遺したと言える。

それは、「真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」の言葉…

ここで「真の文明」とは何か、真逆となる「偽の文明」とは何か…などという、大きなテーマが車掌長の頭の中を駆け巡る…

正造の上述の言葉を借りれば、真の文明とは「自然との共生」だと考える。
一方、自然を破壊し、物質中心や経済成長優先の「命よりもカネ」を重視するような方向性が、偽の文明であるように感じる。

文明はこれまで、経済成長によって得た皮相的な豊かさによって人々の支持を保ってきたと言える。
だが、高度経済成長期に日本各地で起こった公害問題や、東日本大震災で明白となった福島原発事故の恐怖によって、それは「偽の文明」であったと多くの人が気付き始めた。

約1世紀前の足尾鉱毒事件も、今日の福島原発事故も、形は変われど根底は同じ。
人間が管理しえない文明の暴走が、平穏だった暮らしや故郷を奪い、常に命の危険と不安との背中合わせで生きてゆかざるを得ない境遇を与えてしまった。

没100年となる日、田中正造が遺してくれた言葉の意味を、いま一度噛みしめ、文明社会の在り方を一考しなければならないと感じた朝であった。
 

コメント(4件)

希望者挙手さんからのコメント(2013年9月10日 00:47投稿)

久しぶりの夜行列車です。

足尾銅山には、バイクツーリングで3回ほど行きました。
私の娘たちは小学校の社会科学習で行きました。
今では人も少なく寂しい感じですが、自然豊かでいい所です。田中正造がいなければ、この自然は残らなかったんだろうなと思うと、今を生きている我々は何を学んできたのだろうと、反省しなければなりませんね。

オリンピックの東京開催が決まりましたが、震災復興がオリンピック特需の陰に隠れないよう、見守っていきたいですね。

ところで、渡良瀬と聞いて真っ先に頭に浮かんだのは「ダムカード」!ただいま、マイブームです。
国土交通省と水資源機構が管理する全国のダムのうち300近いダムの管理事務所で無料配布されているカードです。

昨年11月より「渡良瀬貯水池」でもダムカードが配布されるようになり、行ってみたいなと思っていました。
ちなみに、私の故郷にある「利根川河口堰」でも配布されていますので、興味ある方はもらいに行ってみてください。

今月は、湯の小屋温泉に1泊ツーリングに行く予定です。周りにはたくさんダムがあるので、楽しみです。

湯の小屋温泉といえば、車掌長と一緒に日帰りで行きましたね。
当時のテーマソング「いつまでも変わらぬ愛を」をBGMに、鬼七(七味唐辛子を鬼のようにふりかけた様な紅葉・・・でしたね)の峠道を走って辿り着いた温泉は最高でしたね。今では見ることのできない「裏見の滝」にも行ったり、吹割の滝や華厳の滝など、今思えば滝巡りしてましたね。
しかし、本当に楽しかったですね。ぜひ、また行きましょう!

車掌長さんからのコメント(2013年9月10日 23:03投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます

「いつまでも変わらぬ愛を」は、ポカリスェットのCMでしたネ。
爽やかなイメージがある反面、もう会えない大切な人への想いを秘めたような、そんな切なさも感じる曲でした。

当時、お互いに大好きだったドライブ・テーマソングから、もう20年余りもの時が流れたのですネ…
カーオーディオも、まだまだ"カセットテープ"の時代でした。
6連奏のCDオートチャンジャーが、憧れだった頃です。

"オニシチ"だった紅葉も、瞼を閉じれば鮮やかに、その情景が思い出されます。

ところで!
「ダムカード」などという、集めてコンプリートしたくなるような情報をありがとうございました。
さすが希望者挙手さんです。もう何枚ほどお持ちなのでしょうか。
車掌長はそのカードの存在を全く知りませんでした。

車掌長が訪れたことのある中で好きなダムは、岐阜県の御母衣ダムや、新潟県の奥只見ダムです。

前者は、我が国初の「ロックフィルダム」で、コンクリートのダムに見慣れていたせいか、岩石や土砂で積み上げたダムにはとても感動しました。
後者は、奥只見湖と周囲の人を近寄らせないような山々の神秘的な美しさが印象に残っています。

余談ではありますが、久々のご乗車、嬉しく思います。
先日も専門学校勤務時代の懐かしい街での再会、楽しい時間旅行を過ごすことができました。
ありがとうございました。

お互いにどんな"時"の流れの中にあっても、いつまでも変わらぬ仲を大切にしてゆきたいと思いました。

また、この哲×鉄ブログ本線に毎度ご乗車いただいている希望者挙手さんと、もう一人の御方とで、新たな構想を練っている件、お力をお借りできれば幸いです。

それでは、湯の小屋温泉へのツーリング、楽しんできてください!

希望者挙手さんからのコメント(2013年9月11日 23:20投稿)

高速道路の料金所(当時はETCなんてありませんでした)を抜けたら映画TOP GUNの主題歌「Danger Zone」でしたね。

ダムカードですが、かくいう私も自力では3枚しかゲットしてません。他に8枚もらったカードがあります。

御母衣ダムはいいですね。奥只見といえば、バイク泣かせの長~いトンネルのシルバーラインを思い出します(笑)

今、私が注目しているダムは、夕張シューパロダムです。大夕張ダムを水没させて作ってしまうスケール、車掌長もご存じであろう鉄道遺産の三弦橋も水没してしまいましたが。

そうそう、ダムカレーなるものもありますから、どうぞご賞味あれ!今回のツーリングの楽しみの一つでもあります。

新しいことにチャレンジするのは、お任せください。
だって「チャレンジ精神を忘れるな!」がモットーの専門学校にいたのですから(笑)

車掌長さんからのコメント(2013年9月12日 23:08投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます

「チャレンジ精神」は懐かしいですね!
話の腰を折って申し訳ありませんが、車掌長は中学時代から旧国鉄が始めたキャンペーン"チャレンジ20,000㎞"に夢中でした。

国鉄全線踏破を目指すものですが、国鉄合理化でどんどんローカル線が廃止され、フェードアウトしてしまいました。

ところで、鉄道遺産「三玄橋」の水没と聞いて思い出した場所があります。
北海道にあるタウシュベツ川橋梁です。

ここは、旧国鉄士幌線の橋梁が季節によって水面下にあったり、湖底から姿を現したりして、幻想的な光景を目にすることができます。

車掌長は夏に見たことがありますが、ローマの水道橋を彷彿させるような、アーチ型の美しい造形にしばらく時間を忘れて見入ってしまいました。

ダム建設には水没する集落の話が、切っても切り離せません…
穏やかだった山村に、建設の推進と反対で争いを巻き起こします。
きっと、お金の力も少なからずあるのでしょう。

お金では決して買うことのできない、人々の助け合いやお互いさまの「無償の精神」を破壊してしまうのです。
なんの損得勘定もなかった平穏な暮らしに各人の値札がつき、誇りや尊厳も値踏みされるのです。

果ては、人々の連綿とした絆は二分され、伝統文化や慣習の息の根を止めてしまいます。

きっと各地のダムにも、そんな悲哀が湖底に沈んでいるのだと思います。
車掌長も観光でダムを訪れることがありますが、いつも近隣の資料館に足を運び、往時を偲ぶことにしています。

そして、湖底に沈む前の村落の写真を見るたびに、ある感慨が湧き起こります。

周囲の山々や天空の大自然は、人間の営みを見てどう思っているのだろうか…と。

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