花の名前

カテゴリー:⑤番線:feel the season方面 2015年4月29日 05:13

1年で最も忙しい4月が終わろうとしている。

今月は当乗務を含め、4回しか乗務日誌に綴りを残せなかった。
ふと、昨年や一昨年の乗務日誌を見返したら、やはり同程度であった。

日々気になることや思うことはありつつも、朝にそれらを整理して綴る時間は確保できなかった。

よく言われる話だが、「忙しい」とは、「心を亡くす」ことだと…
また、「心を亡くす」と書いて、「忘れる」とも言われる……

どちらも、本来の己が不在で、忙しかったり、忘れたりする結果を招くのだろうと思う。

たしかに最近は、決して加齢のせいにはせず、忙しいせいにしたいが、忘れる「もの」や「こと」が多発した。
ただ、そうした事態に直面しても、代用や代替で切り抜けられるようになったのは、年の功か…

ところで、今年の4月は、ひと月の中に四季があったと思えるほど、寒暑の差が激しかった。
みぞれまじりの雨が降った日もあれば、ここ数日の真夏日など…

日本の気候も年々、変調を来たしているが、それでも季節ごとに咲く花々は健気(けなげ)だ。

昨年も乗務日誌で綴っていたが、日々訪れた学校の校庭で、桜や藤棚、花壇のチューリップなどを見ると、季節の再確認ができる。

花は本当に美しく思えるが、その名前をなかなか覚えられないのも多い。

列車名や車両形式は、いつまでも忘れなかったり、新しいものもすぐ頭に入るが、花の名前や品種などは、すぐ忘れたり思い出せず歯痒かったりする。

そんな花だが、その1つ1つに「花言葉」というものがある。
その花に意味や想い、願いが込められていて、とてもロマンチックでありドラマチックだ。

話が脱線して恐縮だが、車掌長は子どもの頃見たテレビアニメで、「花の子ルンルン」の各話の結末が好きだった。

セルジュさんが、各話でルンルンに関わった人々に、ルンルンとの出逢いの想い出に…と、種を手渡し、その種が咲かせる花の「花言葉」がナレーションされるのが、とても待ち遠しかった。

そして、子ども心ながらに、セルジュさんの洒落た行為に感銘したものだった。

忙しい時期も一区切り付くので、これから日々咲く花々にも目を留め、花言葉など調べるのも心が洗われたり、潤えるかもしれない。

 

 

喫茶店

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2015年4月21日 05:27

喫茶店…いい響きだ。

その店ごとに、個性がある。
それは、マスターの淹れるコーヒーへのこだわりや、時間や空間の「間」の魅力がある。

店に入るドアを開けた時の印象…
どの席に座るか選ぶ楽しみ…
注文までに迷うメニューとの出逢い
マスターの人柄やコーヒーを淹れる姿勢
インテリアの意匠やこだわり

などなど、喫茶店の魅力は沢山あるが、その店が客と共に育んだ「時」の面影を偲ぶのも良い。

いま、自分が座った席に、一体どれほどの客が座り、またどんな「時」を過ごしたのか…
窓際であれば、この風景を見て何を想いながら、一杯のコーヒ―を飲んだのか…

心ときめく相手との会話もあれば
別れや深刻な心苦しい話も、あったかもしれない

車掌長は、いわゆるセルフ形式のコーヒーショップやチェーン店は、ほとんど利用しない。
人との待ち合わせ等で、相手の指示で仕方なく入ることはあっても、自分の意志では入らない。

なぜか…
それは「間」を楽しむ魅力が、欠如しているからだと思う。

慌ただしい店員に笑顔で急(せ)かされながら、つい、本意ではなかったものを注文したり…
そもそも、ゆったりした時間を過ごしたくて入ったつもりが、隣席との間隔が著しく狭く、着席するのに脚や臀部(でんぶ)が隣のテーブルに粗相をしたり…

何よりも、店内に客の数が多すぎる…
効率よく稼ぐために、客を詰め過ぎだ。

肝心なコーヒーもマシンが淹れるため、いつ飲んでも誰が操作しても同じ味…
それでいて、そこそこ値段も高い。

しかしながら、銀座ルノアールは例外だ。

このチェーン店は、概ねどこもゆったりしていて、人との打ち合わせや、ちょっと時間を潰すには重宝している。
コーヒーの味は月並みだが、フルサービスの経営姿勢は、根強いファンも多そうだ。

車掌長は学生時代、喫茶王国とも称される中京地区で過ごした。
また、自らも喫茶店で2年半ほど働いた経験があり、そこで喫茶店への愛着が芽生えたと思う。

ほとんど喋らない、愛想のないマスターのいる店もあった。
だが、そのマスターの淹れるコーヒーは、とっても美味しかった。

そこには、一種独特な、客との無言のコミュニケーションが成立していたように思う。

今は東京で、ふと時間ができた際、チェーン店を素通りし、ひっそり佇む店を探すのが楽しみだ。
 

 

就活とは

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2015年4月16日 05:02

昨日は久しぶりに晴れ間が広がった。

この時期、都内や近県の学校を訪れる機会が多い車掌長。
今週は小学校が多く、青空に映える黄色の帽子の眩しさに目を細めた。

4月に入って、梅雨入りしたかと錯覚するほど、雨の多い日が続いた。
新入社員達の真新しいスーツ姿も、コート無しでは寒々しく映りかわいそうであった。

一方、同じスーツ姿でも、就職活動をする学生にとっては、今が大切な時期。
生まれた時から溢れるモノに囲まれ、個性的に育った「はず」の世代なのに、黒一色の没個性的な行動は、車掌長にはとても奇異に映る。

そもそも、これだけの集団が一斉に就職活動をすること自体が日本的だ。
やはり、この方が採用側にしては「効率的」であったり「合理的」なのだろう。

まさに工業生産的な発想であり、その型にはめられた土俵の中で内定を目指すのは、学生にとっては不利益であったり、不都合この上ないと思う。

しかしながら、当の学生自身も「バスに乗り遅れるな」とばかり不安に煽られ、自分のやりたいことや身の丈を見極めきれずに、大手志向や他人の動きに右往左往し、内定を取れず心身ともに疲弊する…

大切な学生時代の約1年もの時間を、こうした活動に充てざるを得ない状況に対し、心からお悔やみしたい。

参考にならないと思うが、車掌長が就職活動を始めたのは、4年生の11月。
もちろん、世の中や周りの友人のほとんどは、卒業後の行先を決めていた。

車掌長は、学生時代にやっておきたいことを最優先し、その1つだった初の海外旅行を実現するため夜勤のバイトをして旅費を捻出し、憧れのスイスへ3週間渡航した。

当時はまだ珍しかった「海外個人自由旅行」という形態で、自分で格安航空券を探し手配し、ホテルは現地で値段を交渉して泊まることをした。

旅行を終え、卒業論文の章立ても見通しがつき、自分が本当にやりたいことを自問自答。
在学した分野とは、全く異なる結果であったが、年も押し迫った12月中旬に内定を頂いた。

その会社は、新卒からの応募が初めてだったようで、とても珍しがられ、「本当にウチのような会社でいいんですか?」…のような質問をされたのを覚えている。

4月となり、いざ入社初日に会社へ出向くと、新卒が車掌長を含めて4名いた。
あれから3名を採用したようで、その会社で初めて「入社研修」というのを実施したそうだ。

初の新卒採用に、ベテランの方々が1週間近く、入れ替わりで懇切丁寧に教えてくれた。
今のように、いきなり即戦力を求められる時代でもなかったし、楽しい日々であった。

話が脱線したが、就活とは、皆と同じ服装やスマホ等の道具で臨む行動に陥ってはモッタイナイ。
むしろ、圧倒的多数の人が目に触れない情報や、自分の目や足で見つけたり、出逢えた会社にこそ「縁」というものがあるのでは…と感じる。

慰めにもならないが、採用試験に落ちることは、自分を「否定された」ことではない。
「縁がなかった」と思った方が、健康的だ。

同じことを繰り返すが、皆が応募するような道は、GWやお盆に高速道路を走るようなもの。
大渋滞に見舞われ、余計な時間を費やしたり、思わぬ事故にも遭遇する確率が格段に高い。

目的地への「行き方」や、人生の「生き方」は、幾通りもあるはずだから、人と同じ道や人が選択した道と比較せずに、歩めば良いと思う。

もちろん、多少のリスクは、いずれの道を選んでも必ずある。
そのリスクを恐れるあまり、安全な道ばかりを模索していると、本当の自分にはなかなか巡り逢えないだろう。

今日も幸いお天気は良さそうだ。
それだけで、清々しい。
 

 

哲×鉄誕生日に想うこと

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2015年4月 5日 04:56

今日は「哲×鉄」の誕生日

平成23年4月5日、「哲×鉄」を立ち上げ、今日で4歳。
まだまだ、完成途上のいわば鈍行列車の旅路にある。

ちなみに、今月はJTB時刻表愛読35周年でもある。
中学入学の1980年4月、毎月の小遣いをもらえるようになった際、毎月末に買えるようになった。
その時の小遣いは1000円で、時刻表は500円であった。

小遣いの半分を費やし熟読した時刻表は、捨てることができず、溜まる一方であった。

中学1年と言えば、当時の成績は高校入学も危ぶまれる状況だった。
唯一、突出して良かった社会科以外、何も秀でたものがなく、5段階評価での数学や英語は限りなく「1」に近いような「2」であった。

これはさすがに、時刻表の読み過ぎが原因だと自覚していた。

しかしながら、親は「勉強しろ」とか、「時刻表を見るな」とか、「時刻表を捨てる」などということを言わなかった。
いや、正確には、仕事が忙しくそのように言ったり、子どもに気を回す余裕がなかったのだろう。

或る日、父の職場の創業何十周年かの記念品を貰った…と、大きな辞書を持ち帰ってきた。
そこには、「大辞林」とあった。

時刻表もそうだが、調べることが好きな車掌長は、「辞書を引く」という行為に目覚めた。
いつの頃からか、小さな机の上には、時刻表と大辞林が並ぶようになった。

最初は無意識だったが、言葉の意味がわかり始めると、教科書に書いてあることや、教師が問うている意味が、次第にわかるような気がしてきた。

中学2年の夏休み、南東北の旅先で一大決心をした。
もう一度、躓(つまづ)いた場所に戻って、勉強をやり直そう…と。

ところで、辞書というのは、なぜ「引く」という言葉を充てるのだろうか…

それは、「字引」と言われるように、字がそれで良いかどうかを、引き出す(選び出す)という意味があるそうだ。

なるほど、言葉や字というものは、人間が意志や物事を他人に伝達や説明するために、長い時間をかけて生み出してきた財産だ。

そんな言葉の海や宇宙の中で、自分が知っていたり、使っている言葉は、コップ1杯分や東京の空で見える星の数ほど、少なかったり、限られているのだと思う。

今朝の新聞で、辞書の広告特集があり、興味深く読んだことも影響しているが、ネット検索全盛の世の中にあって、「辞書」の魅力を久し振りに再認識した。

飲食チェーン店のような、全国どこにでもあるような言葉ではなく、路地裏にあるような、そこにしか存在しない店や味の発見に喜びを見い出すような、そんな「言葉探し」の寄り道をしながら、過ごしてゆきたいと思った。

今日はこれから仕事に行かねばならず、尻切れトンボになってしまったが、この辺で失礼する。
 

コメント(4件)

希望者挙手さんからのコメント(2015年4月 7日 02:15投稿)

こんばんは
哲×鉄4周年&JTB時刻表愛読35周年、おめでとうございます。

実は、私が所属しているバイク・ツーリングクラブは、昭和44年4月4日発足で先週の土曜日に46周年を迎えました。
平成3年7月から私は所属して、間もなく24年を迎えます。人生の半分をこのクラブと共に過ごしてきたことに驚くとともに、時の流れの速さを実感してしまいました(笑

漢字といえば、27歳で亡くなってしまった女優の夏目雅子が、作家である伊集院静との結婚の決め手の一つに「憂欝(ゆううつ)」や「薔薇(バラ)」という漢字をサラッと書いてみせたことを挙げていました。
それを知って、女子からモテようと、せっせと漢字を覚えた私など、お恥ずかしい限りです(笑

また言葉といえば、中学の3年間は読書に耽り、卒業文集の寄せ書きには(トルストイの本のタイトルから)「光あるうち光の中を歩め」などと、ませた言葉を書いたものです(笑
タイトルに惹かれて買ったものの、当時はほとんど理解できなかった本ですが、後になって読み返すと自分に重なる部分が多く、もっと早く読み返しておけば良かったと反省したりしています(笑

下心が原動力となって勉強してきた私ですが、ボキャブラリーの豊かさと人生の豊かさは比例しているように感じられますね。

車掌長さんからのコメント(2015年4月 7日 05:36投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます

車掌長も「憂鬱」や「薔薇」は読めても書けません(笑)
こんな漢字をサラリと書けたら、きっとその人のバックボーンに興味を抱くと思いました。

希望者挙手さんの所属するバイクツーリングクラブも、随分と歴史があったのですネ。

平成3年といえば、車掌長が専門学校の教員になった年。
その節は、大変お世話になりました。

ちょうどその時に、希望者挙手さんはクラブに入られたのですネ。
人生の半分を同好の皆さんと楽しんでいらっしゃったこと、素晴らしいと思います。

仕事や職場以外の人間関係が、どれほどあるかは、その人自身の魅力にも比例するように感じます。

希望者挙手さんが仰る通り、ボキャブラリーの多さと人生の豊かさは比例すると思います。

車掌長もある時、こんなことに気が付きました。

言葉は思考を支配し、思考が行動を決すると…

物騒な話ですが、「てめえ、ブッ殺すぞ!」のような言葉を日常的に使っていると、いつか本当に衝動的に、言葉が感情を抑えられなくなり、取り返しのつかない行動を起こすように思うのです。

人間は誰しも、とても小さく弱いものですから、見栄や虚勢を張ったり、自分を守るために他人を威嚇するのではないか…とも思います。

しかしながら、自分が見たものや感じたことを、色々な言葉に置き換えられたり、他の表現方法を知ると、「自分」を客観視できるようになります。

それは、きっと長い長い人類の歴史の中で、先人達もそう思ったことを、文字や言葉、文学にして紡いできた織物に、自分も袖を通すことだと思うのです。

日常、自分がどんな話し言葉を使っているか…
似たような言葉を使う者同士とばかりの人間関係に、埋没していないか…

そんなことに気が付いた時が、新たな自分との出逢いのように思います。

そして、あとは個々で違うかもしれませんが、おそらくその「新たな自分」とは、「自分のために」ではなく、「他者のために」動くことを歓びと感じたり、許容や寛容という「心持ち」を手に入れる充足感であるように察します。

まさに、それはお金で買えない「価値」です。

希望者挙手さんの中学卒業文集に書かれた言葉、素敵ですネ。
「光あるうち光の中を歩め」

車掌長は「明けない夜はない」や「陽はまた昇る」、という言葉が好きだったり、励まされ頑張った時期もありました。

一方で、もうそのように思えないほど、絶望の淵に突き落とされた暗黒な時期もありました。

今思えば、そんな時でさえやはり、生きていれば、一筋の光が自分に差す時が訪れることや、「言葉の力」が実在することを経験しました。

たくちゃんさんからのコメント(2015年5月 8日 06:25投稿)

気がつけば、連休も終わり、
連休前にもらってきた風邪により、のどの痛みが続き、
さらには、相方にまでうつしてしまい、
若干の自己嫌悪に陥りながらも
たまった仕事を眺めて呆然としつつ
それでも何とかこなしていかないとと、自身を叱咤激励し
万全とはいえない調子の中、デスクに向かう

たくちゃんでございます。
先日はありがとうございました、って、
もう、先月のお話になってしまうのですね。

体調を含めたいくつかののトラブルを抱えつつ
何とか日々、生きて行っております。

そういえば、4周年になるのですね。
今さらですが、おめでとうございました。
それほど問題なく、運営を続けていけているのも
車掌長はじめ御金蔵奉行であらせられます専務車掌様、
ならびに皆々様のおかげと、大変ありがたく感じております。

あれから4年たつのですね。
時の移ろいとは、いやはや速いもので。

ワタクシたちの生活スタイルの激変、
車掌見習い様のご就任、
専務車掌様のご尊父様、
果ては、小生の愛車の色が変わってしまったりと
いろいろなことがあった4年間でした。

今は、何とか、以前の生活スタイルを取り戻すべく
日々、善き人たちからの良いご縁を頂きまして
おかげさまで少しづつ、形になりつつあります。
ちなみに、本日も午前中の予定をこなした後
いくつかの予定が入っております。
忙しくさせていただいているのは、大変ありがたいことと
日々、感謝しつつ、すごしております。

最近、知り合った方のお店で購入した、小さなアートフレームに書いてある言葉、
今、それがマイブームになっているので、
皆さんほどではありませんが、ご紹介を。

「なんとかなるんじゃないですか~」

是に尽きます(笑)。

状況を大きな枠でとらえつつ、過ぎたことにくよくよせず、
そのときにできることを、精一杯する。
今の私には、「楽になる」言葉であるとともに
「こうでなければ」という、目標でもあるのかもしれません。

保線についても、最近はあまりお話を頂いておりませんが、
便りのないのはいい便り、ということで
何かあったら、ご連絡を。

取り留めのないお話、失礼しました。
ではでは~

車掌長さんからのコメント(2015年5月 9日 06:32投稿)

たくちゃん 様

毎度ご乗車ありがとうございます。

こちらこそ、先日はありがとうございました。
たくちゃんさんの手料理の数々、どれも美味しゅうございました!

どれもお酒を欲したくなるような逸品ぞろいでしたが、中でも鰹が美味でした。
ぜひ、今度はお酒も飲める状態でご馳走になりたいです。

お仕事も軌道に乗りつつあるようで、安堵しております。
これもたくちゃんさんの「才」あってのこと、と思います。

車掌長は、同業他社では見られない、真にユーザーに寄り添った姿勢に敬服しております。

ゆえに、車掌長のような素人でも、おかげさまで「哲×鉄」が無事に4周年を迎えることができたのだと、感謝している次第です。

ところで!
「なんとかなるんじゃないですか~」、イイですネ!
車掌長も自身の人生の半生と照らし、共感します。

古くて恐縮ですが、「Que Sera,Sera」も大好きな言葉です。
「ケセラセラ」、「なるようになる」「先のことなどわからない」…

たくちゃんさんも仰るように、過ぎ去ったことにくよくよしても、「今」の状態が何か変わるわけでもありません…

また、不透明な将来を案じて「今」を踏み出せないでいるよりも、「なるようになる」という意志を持つ自分に、明日が訪れたり近付いてくる気がします。

車掌長も、日頃から「心の豊かさ」や「気持ちの余裕」などと言う文言を綴っていますが、それは裏を返せば、自分自身への「言い聞かせ」でもあります。

ついつい、忘れがちな、或いは散々後悔した過去の事象を戒める意味もあるのです。

「意志」を持って、最善とは言わずとも、良い方向へ向かえるように自分を働かせてこそ、「なんとかなる」結果があるように思います。

車掌長も取り留めない内容になってしまいましたが、今夏あたり、ぜひ旨酒をしましょう!

そのとき、ちょっと「哲×鉄」の我儘な妄想も聞いていただけると嬉しいです。

ではでは、ご無礼します!

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