一般国道50周年

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2015年5月26日 05:31

今年は「一般国道」という名称ができて50周年になるそうだ。

一般国道とは「高速自動車国道」以外の国道で、1965年4月の道路法改正で使われ始めた。
現在、1号から507号までが指定されている。

興味深いのは、欠番があること。
それは、改正前までは一級国道と二級国道という名称を使用していたことに因む。

一級は1桁か2桁、二級は3桁という割り振りをしていたため、改正前に57号まであった一級は、58~100号までを欠番とし、新設国道には3桁の番号が付されることになったそうだ。

しかしながら、1972年5月に沖縄が日本復帰を果たすと、特例として58号が指定され、現在の欠番は59~100号と、他に統合や変更で無くなったものがある。

車掌長は、鉄道以外の乗り物も好きだが、「道」好きでもある。
江戸時代の街道整備から、現在の国道に至る歴史的背景も興味深い。

また、国道の番号を聞けば、全てではないが、どの辺りの道か想像がつくものが多い。
それは国道に限らず、列車番号や飛行機の便名もそうだ。

今はJRになって列車番号も統一性がなくなり、複雑になったが、子どもの頃は時刻表を眺めながら、列車番号にも興味を持ったものだった。

また、時刻表には航空機の国内線、国際線の頁もあるが、ANAやJALなど各会社の便名の割り振り方にも違いがあって面白かった。

ちなみに、ANA1便はワシントン・ダレス発成田行き。JAL1便はサンフランシスコ発羽田行き。
JR的な感覚であれば、下りが奇数、上りが偶数だが、国際線のアメリカ・カナダ線は自国発が奇数ではないのも興味深い。

これは、便名の一般的な割り振り方として、西・南方面へ向かう便を奇数。東・北へ向かう便を偶数とする航空会社が多いそうだ。

もちろん、航空会社によっては、自国発を奇数。自国着を偶数とする会社もあるので一律ではない。

実際の旅に出られない時期も、時刻表や道路マップを眺めては、それらに付随する各種番号も楽しんでいる車掌長である。

二季

カテゴリー:⑤番線:feel the season方面 2015年5月15日 05:06

昨日、都内では真夏日となる地域があった。

つい先月、桜が咲き春を感じるのも束の間で、みぞれが降り、今月は一気に夏の陽気…
日本には四季があると言われるが、最近は「二季」のような感が拭えない。

四季を実感させる俳句の季語も、そぐわなくなってきた。
実生活ではなかなか実感できない、或いはピンとこないことに、温暖化の影響が危惧される…

車掌長は、四季のある日本を愛おしく思う。
それは、春夏秋冬という寒暖のサイクルが、緩やかに絶妙に移行していくからだ。

それは、自然景観や食の多様性、人々の暮らしに根付いた情緒の趣きや移ろいにも彩りを与えてくれた。
四季はまさに、日本人の価値観や文化の醸造には、なくてはならない自然の恩恵であった。

翻って、二季的なシーズナリティは好きではない。
暑いか寒いかのような極端な気候は、なんだか、0か1かのデジタル的で肌に合わない。

四季であれば、その0と1の間にある小数点の世界に、白や黒だけでは判別や解決できない、答えや道筋があったように思える。

今の世の中は、気候と同じく両極端な思考や物事の進め方、結果が蔓延していないだろうか…

生死、勝負、善悪、白黒、正負、有無、陰陽、昼夜、天地、貧富、左右、上下etc…
何かと、オールオアナッシングを素早く決めることが、賞賛される社会なのかもしれない。

しかしながら、そこに熟慮や配慮と言った0と1の間を埋めるものが欠ければ、人間本来の持つ個人の多様性や少数意見の尊重と言う、四季的な世の中の美しさは紡げないように思う。

日本ではまだ早すぎる季節外れの台風も、近づいたり、上陸する昨今。

世界中で吹き荒れる嵐に巻き込まれないためにも、一人一人の大切にしたい心や価値、物事を明確に持ち、意志表示することが、二季的な世の中を過ごしたり、禍根なく生きてゆく上で求められているように感じた。
 

子どもの日の想い出

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2015年5月 5日 06:18

誰もが子どもだったことがある。

いきなり、大人として生まれる人間はいない。
当たり前のことなのに、大人はついつい「自分も子どもだったこと」を忘れがちだ。

今日は「子どもの日」
車掌長自身が子どもの頃の想い出として、この日をよく覚えているのは1980年だ。

西暦で書くと深い意味はなそうだが、元号に書き換えれば「昭和」。
昭和55年5月5日は、「5」が並ぶ日として世間の一部が賑わった日でもあった。

車掌長はこの頃中学1年生。
当時、車掌長の通った中学では、全生徒が記入を課せられた「生活記録」というものがあった。
さきほど、久しぶりにこれを本棚から出して見たら、当時の想い出が蘇った。

35年前のこの日、朝4時に起きてあちこちの駅の入場券や乗車券を買い集めに動き回ったと書いてあった。
そして、特に購入が大変だったのは、鶴見駅で発売された鶴見線の昭和駅の記念入場券で、4時間ほど待ったとしてあった。

この日の記録に対し、担任からのコメントはこうであった。
「マニアともなると大変ですね。感心するばかりです」と。

後日、その日の苦労話を聞いてもらったり、買い集めた戦利品を見てもらったのが嬉しかった…

10年ほど前まではこの先生と年賀状のやり取りがあったが、或る年から先生の方から途絶えてしまった。
心配になり手紙を書いたこともあったが、返事はなかった。

当時の先生方は、毎日の記録に対してコメントを書いてくれたわけではない。
また、日々の記入を怠る生徒も大勢いて、記入の指導もだいぶ労力を要したと察する。

時代が違うと言われればそれまでだが、アナログなやり取りの中で、先生は学校の外での生徒の行動や考えを把握できる余裕があったように思われる。

翻(ひるがえ)って、今の世の中はどうだろう…
情報のやり取りや連絡手段は、格段に便利になり、やり取りの対象も不特定多数に同時かつ瞬時に伝達できる場合が多くなった。

1対1のいわゆる、face to face的な書面や対面のやり取りは、次第に省かれたり、煩わしくなったりと、手間のかかる非効率なコミュニケーションになりつつあるように思う。

学校に話題を戻すと、いまの先生方は、子どもと向き合う時間よりも、書類やパソコンに向き合う事務作業の方が多いと聞く。
本来は、子どもと向き合いたい先生方も少なくないはずだが、そうはならない、できない事情もあるようだ。

しかしながら、教育の根源とは何であろうか…

教科を教えることは言うまでもないが、その大前提となる「教える」と「教わる」の人間関係を築けることが、教育の根源なのではないか…と思う。

この先生は自分に関心があるのだと、思えること、感じられることが、その関係を育めるのだと考える。

それは、電子機器間を行き来するスタンプのような液晶上で記号化された表情や感情ではなく、できれば面と向かった表情や肉声、自筆の文字で日々交わせれば…と思う。

車掌長は専門学校教員時代に、授業の始め5分ほどは、日替わりで1~2名の学生を話題にいじってから、授業に入った。
これは、いきなり講義に入るよりも、集中力の高まりや持続性に効果絶大であった。

そして、いじられた学生も、苦手な科目に取り組む姿勢が感じられた。
関心を持ってもらうことが嬉しかったという、車掌長自身の体験に根差すやり方だった。

子どもの日にちなみ、大人は自分がどんな子どもだったのか…
そのように振り返ってみる日であっても面白いと思う。

どんなことが好きだったり、嫌だったのか…
思い返すと、今後の仕事や子育てetc、色々なヒントが見つかるかもしれない。
 

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