子どもの日の想い出

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2015年5月 5日 06:18

誰もが子どもだったことがある。

いきなり、大人として生まれる人間はいない。
当たり前のことなのに、大人はついつい「自分も子どもだったこと」を忘れがちだ。

今日は「子どもの日」
車掌長自身が子どもの頃の想い出として、この日をよく覚えているのは1980年だ。

西暦で書くと深い意味はなそうだが、元号に書き換えれば「昭和」。
昭和55年5月5日は、「5」が並ぶ日として世間の一部が賑わった日でもあった。

車掌長はこの頃中学1年生。
当時、車掌長の通った中学では、全生徒が記入を課せられた「生活記録」というものがあった。
さきほど、久しぶりにこれを本棚から出して見たら、当時の想い出が蘇った。

35年前のこの日、朝4時に起きてあちこちの駅の入場券や乗車券を買い集めに動き回ったと書いてあった。
そして、特に購入が大変だったのは、鶴見駅で発売された鶴見線の昭和駅の記念入場券で、4時間ほど待ったとしてあった。

この日の記録に対し、担任からのコメントはこうであった。
「マニアともなると大変ですね。感心するばかりです」と。

後日、その日の苦労話を聞いてもらったり、買い集めた戦利品を見てもらったのが嬉しかった…

10年ほど前まではこの先生と年賀状のやり取りがあったが、或る年から先生の方から途絶えてしまった。
心配になり手紙を書いたこともあったが、返事はなかった。

当時の先生方は、毎日の記録に対してコメントを書いてくれたわけではない。
また、日々の記入を怠る生徒も大勢いて、記入の指導もだいぶ労力を要したと察する。

時代が違うと言われればそれまでだが、アナログなやり取りの中で、先生は学校の外での生徒の行動や考えを把握できる余裕があったように思われる。

翻(ひるがえ)って、今の世の中はどうだろう…
情報のやり取りや連絡手段は、格段に便利になり、やり取りの対象も不特定多数に同時かつ瞬時に伝達できる場合が多くなった。

1対1のいわゆる、face to face的な書面や対面のやり取りは、次第に省かれたり、煩わしくなったりと、手間のかかる非効率なコミュニケーションになりつつあるように思う。

学校に話題を戻すと、いまの先生方は、子どもと向き合う時間よりも、書類やパソコンに向き合う事務作業の方が多いと聞く。
本来は、子どもと向き合いたい先生方も少なくないはずだが、そうはならない、できない事情もあるようだ。

しかしながら、教育の根源とは何であろうか…

教科を教えることは言うまでもないが、その大前提となる「教える」と「教わる」の人間関係を築けることが、教育の根源なのではないか…と思う。

この先生は自分に関心があるのだと、思えること、感じられることが、その関係を育めるのだと考える。

それは、電子機器間を行き来するスタンプのような液晶上で記号化された表情や感情ではなく、できれば面と向かった表情や肉声、自筆の文字で日々交わせれば…と思う。

車掌長は専門学校教員時代に、授業の始め5分ほどは、日替わりで1~2名の学生を話題にいじってから、授業に入った。
これは、いきなり講義に入るよりも、集中力の高まりや持続性に効果絶大であった。

そして、いじられた学生も、苦手な科目に取り組む姿勢が感じられた。
関心を持ってもらうことが嬉しかったという、車掌長自身の体験に根差すやり方だった。

子どもの日にちなみ、大人は自分がどんな子どもだったのか…
そのように振り返ってみる日であっても面白いと思う。

どんなことが好きだったり、嫌だったのか…
思い返すと、今後の仕事や子育てetc、色々なヒントが見つかるかもしれない。
 

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