繰り返されたスキーバス事故

カテゴリー:②番線:航空、船舶、バス方面 2016年1月17日 05:46

悲痛なバス事故が再発した…

亡くなった方々の若き尊き命の御冥福を、心からお祈りする…
そして、そんな方々を瞬時に失った御遺族の沈痛な心情を察すると、やりきれない想いが込み上げる。

車掌長も以前から、夜行高速バスで友人を失ったことを、この乗務日誌に度々記してきた。
また、直接の知人ではないが、車掌長の母の元同僚が、31年前に起きた某大学のスキーバス転落事故で、最愛の娘さんを亡くした話を、今も生々しく記憶している。

その後、その母の同僚である親御さんが、娘さんご本人がこの世で輝いていた証として1冊の本を出版された。
それを車掌長は、高校3年生の時に読んだ。

大学の講義を受けた科目の所感や友人のこと、高校・中学・小学時代の出来事を書きためてあった想い出、初恋を綴った詩、自分の短所を絵本にした作品などが、丁寧に収められていた。

その時、車掌長は既に大学進学を決めていたが、進学先は偶然にもその娘さんと同じ大学だった。

入学後、真っ先に、キャンパス内にあるスキーバス事故で亡くなった教職員と学生達の慰霊碑に手を合わせた。

今回の軽井沢で起こった凄惨なスキーバス事故でも、多くの学生が命を絶たれてしまった。
目標や夢、この春から決まっていた就職などが、一瞬にして奪い去られてしまった。

その御本人と御遺族の無念さは、言葉では言い表せない…

事故原因は究明中だが、既に報道されている断片的な事実には、怒りが込み上げる。
それは、法令違反の運行管理、常識外の価格設定、ドライバーが曝(さら)されていた過酷な労働環境など、ずさんな会社の実態や「裏のバス業界」の事情や内実が明るみになった。

それらの根源は、人の命を軽視した価格競争であり、あってはならない最悪の結末を招いた…

どんな業界でも、常識外の値段や格安な商品には、必ず大きなリスクが潜んでいる。
それが、人命に影響しないような衣服や雑貨程度なら「訳アリ」などで許されるかもしれない。

しかしながら、人の命を預かる運送業で「訳アリ」など、絶対に許されるものではない。

今回の事故で車掌長は、JRがスキー客を運ぶ「シュプール号」を復活させてほしいと、つくづく思った。
80年代は、上野や新宿、名古屋、大阪駅から、各スキー場の玄関となる駅まで、夜行列車が数多く運行されていた。

まだ、今ほど高速道路網が発達しておらず、夜行高速バスも少なかった時代に、リーズナブルな移動手段として人気があった。

やがて、高速道路の延伸や、駅で乗り換える手間なくゲレンデへ直行してくれ、かつ鉄道よりも安いスキーバスに人気は集まった。

スキー人口の衰退も相まって、シュプール号は姿を消してしまったが、鉄道とバス(マイカー)の大きな違いは、シートベルトの有無なのだと、車掌長は思う。

チンプンカンプンなことを言っているかもしれない。
だが、バス(マイカー)で移動するということは、同乗者はドライバーに「自分の命を預けている」状態なのだということ…

鉄道にシートベルトは無い。
300㎞/hで走行する新幹線にも、無論存在しない。

それは、鉄道が運転士の人為的なミスや過失を未然に防ぐ、何重のシステムや多くの人が関わり見守る中で、列車が運行されているからに他ならない。

それに比べれば、今回のスキーバスの事故もそうだが、ハンドルを握る一運転手の責任や精神的、肉体的なストレスは想像を超えてしまう…

「安さ」を求める消費者の意識も理解できるが、命に関わる業種では、選択の眼を磨かなければならないだろう。

そして、そこに多様な選択肢の存在が不可避であるために、夜行列車の復活や存続を心から願う。

同じようなスキーバス事故が再発してしまったので、「二度と」という常套句は使えない。

もはや、「根絶」してほしい事故であることを、胸に刻んでおきたい。

改めて、お亡くなりなった方々の御冥福をお祈りいたします。


 

 

温泉達人会 volume09

カテゴリー:⑥番線:温泉方面 2016年1月10日 04:56

元日、今までいただいたことない御方から賀状が届いた。

高知県南東部に位置し、自然豊かな北川村の観光協会からであった。
その葉書を手にし拝読した際、郵便というものは、つくづく良いなぁ…と実感した。

書いてくださった御方の人柄や、温かみが滲み出ている。
そして、この賀状そのものが、遠い道のりをどのように経て、ここに届いたのか想いを馳せる…
また、この一枚を届けるために介した方々の仕事や苦労を察し、感謝してしまう。

電子メールでは、そのプロセスの一切合切(いっさいがっさい)が省かれてしまうからこそ、何か「尊さ」に近いものを感じてしまう。

このたびの北川村とのご縁は、車掌長が所属する温泉達人会が毎年発行する会報。
昨年末、出来立ての会報を貴協会宛に送ったことだった。

乗務日誌ご愛読の方は、記憶にあるかもしれない。
そう、昨夏に当車掌区の慰安旅行で高知県を訪れた際、お世話になった温泉である。

乗務日誌上では、ちょうどその「ゆずの宿」に着いたところで、続きは会報をご覧下さいとした。

温泉達人会の会報は、会員30名余りのうち、有志が任意で寄稿する冊子だ。
そして、そこに寄せられた記事の1つ1つは、相当に面白く情報としても希少性が高いと思う。

手にして読んでいただければ、巷に溢れる温泉関連の本や雑誌と、明らかに違うことがおわかりいただけるだろう。また、発行部数も控えめで、どこでも流通して買えるものではないのも良い。

その希少性の源泉は、会員一人一人が「素晴らしい」と思う温泉や湯めぐりの紀行を、独自の視点や感性で紹介していることであり、目次を見ただけでは統率性がないように思えるが、その集合体としての魅力は計り知れない。

そして、世に出ている温泉本には見られない、各会員の追及するジャンルや好みが実に楽しい。

一例すると、こんな会員像が浮かぶ。

・海抜0m(海岸)から、全行程を徒歩で北アルプス山頂や稜線の峰々と、それらに点在する雲海に浮かぶ秘湯を目指す登山&温泉愛好家
・観光客は知らない、地元の人が大切にしている温泉共同浴場を巡る「ジモ泉」派
・鉄道をからめて湯をめぐる温泉&鉄道愛好家
・高級温泉旅館や施設、人脈を楽しむ御方
・日本三百名山を制覇し、その山行で温泉を楽しむ「山屋」
・マスコミでも大活躍の親娘の湯めぐり紀行
・全国的にも貴重な存在となった、"オートスナック"と温泉を巡るレトロ愛好者
・温泉界の重鎮である温泉達人会代表のvol1から続くシリーズ、"私の好きな温泉"
などなど

そんな超個性的な見出しが並ぶ中、ここ数年車掌長が連載するのは、子連れで楽しめる温泉。
子どもと一緒に入れる貸切風呂に主眼を置き、施設、料金、食事、泉質などが独自の観点で素晴らしい宿を探し、車掌長自身の子ども時代の回想を交錯させながら紹介している。

そこで、今回出逢えた温泉宿が、高知県の北川村温泉であった。

この宿は、上述の観点でどれも素晴らしかったが、中でも「泉質」は特筆の印象を受けた。
車掌長も長年、全国の美人湯とも形容されるような「つるつる」系の温泉は少なからず入ったが、北川村のツルツル加減は秀逸であった。

いわゆるph値など、温泉分析表の上では、数値的に優れた温泉や施設もあるが、温泉は数値で評価したり、楽しむものではないというのが車掌長の持論だ。
やはり、データ的なことではなく、その肌触りや直感的な、感性に響く良さが大切なのだと思う。

実際、成分が数値的には高くても、入ってみると「?」…と、期待外れの湯も意外に多い。

しかしながら、北川村温泉の湯は、車掌長にとって期待以上の満足感が得られた。

いまは新築開業に向けて、車掌長がお世話になった施設は閉館中だが、新たに生まれ変わった際は、ぜひ再訪したいと思っている。

個人的には、このような素晴らしい温泉に、連日超満員のような賑わいは求めたくないが、折角の新装に向けて、北川村温泉の益々の御発展を心から願っている。


【車内放送】
皆様にも、ぜひ北川村観光協会のホームページをご覧いただければ幸いです。
そこに「きたがわさんぽ」というブログがあります。
某日付で温泉達人会会報についてご紹介いただいております。
その柔らかな感性に癒される綴りは、あたかも北川村温泉の泉質のようです…

末筆ながら、観光協会の御方に御礼申し上げます。
ご掲載いただき、ありがとうございました。

 

ウルトラマンと初めて会った日

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2016年1月 4日 05:55

憧れのヒーロー、ウルトラマンに最初で最後に出会った想い出の一枚がある。

その貴重な一枚に収まった車掌長は、大泣きでウルトラマンに抱きかかえられている。
記憶にないほど小さな頃のこと。

ヒーローが近所の商業施設に来た際、親が見に連れて行ってくれたようだ。
当時としては、珍しかったであろうインスタントカメラで撮り、その場でもらった写真。
インスタント写真特有の経年劣化で、だいぶ色褪せているが、最初で最後のツーショット…

今年は、ウルトラマン誕生から50年の大きな節目にあたる。
一方、車掌長がウルトラマンと会った商業施設も、今夏開業50周年を迎える。

いまや、全国的にも有名な商業施設になってしまったが、子どもの頃はもっと魅力的だった。
近所の人が普通に買い物や飲食、遊興をする店が、沢山集まった楽しい場所だった。

50年は半世紀。
一人の人間にとって、とても大きな節目だ。

いまや、長寿化の恩恵で還暦を迎える人も、多くは現役で元気に働いている。
ふと気になり、統計を調べると、平均寿命が50歳を超えるのは戦後以降とのこと。

今でこそ、50歳という節目は、自他ともにさほど祝う意識の対象ではないのかもしれない。
むしろ、働き盛りのド真ん中で、サラッと通過してしまいがちな印象だ。

だからであろうか、まだまだ働いて、一息つくのは「還暦」になってから…という人も多いだろうが、「一億総活躍」が提唱され、一息つくタイミングは、もっと先延ばしになりそうだ。

車掌長は、なぜか子どもの頃から「人生50年」という言葉が頭にあった。
それは、明治生まれで戦争も体験した祖父母から、「昔は五十も生きられなかった」という話を、よく聞かされていたからだろう。

後に知る、信長の「人間50年」という名言も、今の車掌長に少なからぬ影響がある。

平均寿命も延びた今だからこそ、日本社会というシステムで暮らす人々にとって、50歳を祝う意義を実感する。
それは、いま一度これまでの己を振り返り、更なる飛躍や上積みも、或いはやり直しや心身を痛めて休憩も、可能な歳だと思うから…

やり直しとは言っても、「ゼロ」からのやり直しではない。
今まで生きた経験値や教訓、身をもって学習した貴重な時間の蓄積がある。

ところで、表題の「Ultra man」を翻訳サイトにお願いすると、おかしな回答が導き出される。
そんな意味を期待してないのに、それが融通の効かない、ユーモアもない現実の世界でもある。

「ウルトラマン」とは、個々の中にあるヒーロー像であり、それに近づこうとする己自身が、実はウルトラマンの正体なのかもしれない。

今月は、そんな「ウルトラマン像」を語りたい御方と、二人で逢うことになっている。
そして、それはその御方もウルトラマンと同い年である50歳を祝うために…

その御方は、「哲×鉄」に最多のご乗車をいただいている。

ささやかながら、そんな楽しいひとときを過ごせるよう、今から楽しみにしている。

【臨時車内放送】

新年明けましておめでとうございます。

そして、この度の乗務が300回目になりましたこと、ご報告いたします。

今春「哲×鉄」は、おかげさまで5周年を迎えますが、今後もよろしければご乗車(愛読)いただき、乗務中の様々な出来事をともに楽しんでいただければ幸甚です。

末筆ながら、皆様におかれましても佳き一年になりますよう、心からお祈り申し上げます。

 

 

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