ウルトラマンと初めて会った日
カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2016年1月 4日 05:55
憧れのヒーロー、ウルトラマンに最初で最後に出会った想い出の一枚がある。
その貴重な一枚に収まった車掌長は、大泣きでウルトラマンに抱きかかえられている。
記憶にないほど小さな頃のこと。
ヒーローが近所の商業施設に来た際、親が見に連れて行ってくれたようだ。
当時としては、珍しかったであろうインスタントカメラで撮り、その場でもらった写真。
インスタント写真特有の経年劣化で、だいぶ色褪せているが、最初で最後のツーショット…
今年は、ウルトラマン誕生から50年の大きな節目にあたる。
一方、車掌長がウルトラマンと会った商業施設も、今夏開業50周年を迎える。
いまや、全国的にも有名な商業施設になってしまったが、子どもの頃はもっと魅力的だった。
近所の人が普通に買い物や飲食、遊興をする店が、沢山集まった楽しい場所だった。
50年は半世紀。
一人の人間にとって、とても大きな節目だ。
いまや、長寿化の恩恵で還暦を迎える人も、多くは現役で元気に働いている。
ふと気になり、統計を調べると、平均寿命が50歳を超えるのは戦後以降とのこと。
今でこそ、50歳という節目は、自他ともにさほど祝う意識の対象ではないのかもしれない。
むしろ、働き盛りのド真ん中で、サラッと通過してしまいがちな印象だ。
だからであろうか、まだまだ働いて、一息つくのは「還暦」になってから…という人も多いだろうが、「一億総活躍」が提唱され、一息つくタイミングは、もっと先延ばしになりそうだ。
車掌長は、なぜか子どもの頃から「人生50年」という言葉が頭にあった。
それは、明治生まれで戦争も体験した祖父母から、「昔は五十も生きられなかった」という話を、よく聞かされていたからだろう。
後に知る、信長の「人間50年」という名言も、今の車掌長に少なからぬ影響がある。
平均寿命も延びた今だからこそ、日本社会というシステムで暮らす人々にとって、50歳を祝う意義を実感する。
それは、いま一度これまでの己を振り返り、更なる飛躍や上積みも、或いはやり直しや心身を痛めて休憩も、可能な歳だと思うから…
やり直しとは言っても、「ゼロ」からのやり直しではない。
今まで生きた経験値や教訓、身をもって学習した貴重な時間の蓄積がある。
ところで、表題の「Ultra man」を翻訳サイトにお願いすると、おかしな回答が導き出される。
そんな意味を期待してないのに、それが融通の効かない、ユーモアもない現実の世界でもある。
「ウルトラマン」とは、個々の中にあるヒーロー像であり、それに近づこうとする己自身が、実はウルトラマンの正体なのかもしれない。
今月は、そんな「ウルトラマン像」を語りたい御方と、二人で逢うことになっている。
そして、それはその御方もウルトラマンと同い年である50歳を祝うために…
その御方は、「哲×鉄」に最多のご乗車をいただいている。
ささやかながら、そんな楽しいひとときを過ごせるよう、今から楽しみにしている。
【臨時車内放送】
新年明けましておめでとうございます。
そして、この度の乗務が300回目になりましたこと、ご報告いたします。
今春「哲×鉄」は、おかげさまで5周年を迎えますが、今後もよろしければご乗車(愛読)いただき、乗務中の様々な出来事をともに楽しんでいただければ幸甚です。
末筆ながら、皆様におかれましても佳き一年になりますよう、心からお祈り申し上げます。