朝の新橋で憩いのひととき

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2019年8月24日 03:56

「3卓、アイス、ガム無し」と、ウエイトレスがカウンターに告げる。

昨日、仕事で汐留に行った際、同僚との待ち合わせよりも1時間ほど早く新橋駅に着いた。
時間を潰すには、あの店がいい…

車掌長の足は、新橋駅前ビル1号館の「パーラー・キムラヤ」に向かっていた。
入店しどこへ座るかは客の自由、お気に入りの水槽横の席は埋まっていたので、カウンター前の4人掛けに座った。

朝食は済ませていたので、アイスコーヒーのみを注文。
ここは常連であれば、アイスコーヒーはガムシロップの有無を注文時に告げる。

アイスコーヒーが席に届くまで、店内の雰囲気を味わう…
店内は喫煙もOK。いまどき紫煙くゆる店など、絶滅危惧種の類に属するであろう。

車掌長は喫煙しないが、子どもの頃から父が家で吸うタバコの煙の中で育ったようなもので、受動喫煙など一切気にしない。

また壁に目を向けると、この模様がなんともモダンでたまらない。
帝国ホテルのオリジナルコーヒーカップの「フランク・ロイド・ライト」のデザインを連想してしまう。

やがて、アイスコーヒーが届き、店用の新聞を読みながらストローで啜った。
至福のひととき…

カウンターを見れば、「ライブキッチン」なんて洒落た言い回しは無用の「丸見え」の状態で、狭いスペースをムダの無い動きで黙々と注文に応じる姿が心地よい。

待ち合わせの時間も近づき、卓上の趣きある伝票を手に取り済ませた会計は370円也。
店の入口にあるショーケースを眺め、今度は「プリンローヤル」を食べようなどと目を細めた。

歩いて数分の汐留エリアに入ると、インテリジェンスなタワーオフィスビルに次々と足早に吸い込まれる人の波に、さきほどのゆったりした憩いの時間が泡沫(うたかた)の出来事のように思われた…

 

復刻鳥めし

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2019年8月13日 05:46

昨日、お盆休み中ではあるが、仕事のため八王子へ向かった。

同僚と7:30に駅付近で待ち合わせしていたが、7時前には八王子駅に着いていた。
ちょうど、お腹が減ったので、駅弁屋のショーケースを覘いたら「復刻鳥めし」が置いてあった。

昔、車掌長が子どもの頃の「鳥めし」は、新宿駅で調整元の田中屋が販売していた。
値段は400円だったが、他の弁当が700~800円だったのに比べ安く美味であった。

今回目にしたのは、懐かしい包装紙を現代風に取り入れコンパクトな装丁であった。
価格は680円(税込)、やはり他の駅弁が1,000円程度するのに比べとても良心的だ。

せっかくなので、ホームのベンチで列車を眺めながら食そうと、中央線下り4番線に戻った。
夏休みに行楽・帰省客、登山客が目立つホームには、次々と臨時の特急列車が滑り込み、賑わっていた。

自分の荷物を背負ったリュック姿の子どもが燥(はしゃ)ぎ、それを叱る親の光景も、日常で叱るよりも大らかで、日本の夏を思わせ微笑ましい…

やはり、「どこかへ行く」という旅立ちのひとコマは、子どもはもちろん、大人である親にとっても非日常な楽しみであることが見受けられる。

とくに、鉄道の旅は、居住空間の延長のようなマイカーでの移動よりも、「非日常的」でありエキサイティングな出来事だと思う。

また、他の人と移動空間を共にするという、マナーや社会性も教えることができる。

そんなことを思いながら、懐かしい「復刻鳥めし」を頬張りながら見ていた。

たしかに懐かしい駅弁だが、味が濃く感じたのは歳のせいか…
などと思いつつも、脇に添えられた缶詰のみかんに、昔の駅弁のスタイルを思い出した。

そう、なぜか昔の駅弁は、缶詰の「みかん」や「さくらんぼ」が添えられていた。

15分ほどの時間であったが、仕事前におもいがけず、心和む朝食を体験できた。
この日の代休は、公休日と繋げて小旅行に出かけたくなった…
 

冷房車

カテゴリー:⑤番線:feel the season方面 2019年8月 2日 05:28

半月前の梅雨寒から一転、異常気象による猛暑が今年も列島を襲っている…

いまや、エアコンは命を守るために使用が必須となっている。
熱中症予防のため、就寝中も入れておいた方が良いそうだ。

今朝の新聞、或る記事のくだりで鉄道の冷房について触れていた。
それによると、国鉄で初めて「冷房」が導入されたのは1936年(昭和11)、特急「燕」の食堂車とのことだった。

当時、冷房は展望車(1等車)や食堂車など特別な車両の利用者のみが享受できる、大変贅沢な設備であった。

また、同記事によれば、庶民の通勤電車での初登場は、1970年7月31日の山手線とのこと。
車掌長も子どもの頃、乗った列車が「冷房車」だと、望外な歓びであったことを思い出す。

非冷房車は、窓を開放してホームに入ってくるが、冷房車は窓が閉まっているので、一目で判別できたし、一般家庭にもエアコンが普及していなかったので、その快適空間の印象は殊更であった。

そして、列車の冷房で懐かしいのは、夏休みに新幹線や特急に乗ったとき、あの独特な「冷房の香り」がしたことであった。
 
あえて好意的に「香り」としたが、この臭いの形容は、体験した者でないと上手く伝わらないかもしれない。

油のような…消毒液のような…カビ臭さでもあるような…、換気も充分ではなかったと思うが、それでも蒸し暑い外気とは違う、快適な冷たい空間の懐かしい香りであった。

いまや、地下鉄でも冷房が当たり前となり、快適この上ないが、子どもの頃の普通列車や急行列車の窓を全開にして、首振り扇風機の風にもあたりながら、窓側の小さな物置に付いていた栓抜きで、瓶のコーラやファンタの清涼飲料水を頬張ったことも懐かしく思い出した。

便利、快適な「今」の生活が当たり前になってしまったが、不便であり、快適でもなかったはずの当時を美化してしまうのは、年をとったせいなのであろう…

 

1