51歳を迎え
カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2019年2月19日 05:01
本日、51歳を迎えた。
これに先立ち、先週金曜から当車掌区でアニバーサリー・ツアーを実施した。
行先は山陰の三朝温泉に泊まり、サンライズ出雲に乗ることを目的とした。
先週末、山陰地方は芳しくない天気予報であったが、いざ朝一番の飛行機で米子空港に降り立つと、薄日が射し寒くもない穏やかな天候であった。
レンタカーで境水道大橋を渡り、島根県入り。
島根半島東端の美保関(みほのせき)を目指した。
美保関灯台の袂(たもと)に立つと、遥か遠方に薄っすらと隠岐の島影を確認できた。
来た道を引き換えし、次は美保神社へ。
ここは全国各地にあるゑびす様の総本宮として知られ、社殿も「美保造」と呼ばれる大社造りのお社が2つ並ぶ独特かつ壮麗な構えで、常々参拝したいと思っていた。
参拝後、神社を出て左側にある「青石畳通り」を散策。
狭い道幅の両脇に老舗が並び、多くの旅人を迎えた宿の趣きに昔の賑わいを眼に浮かべながら、タイムトリップを楽しめた。
とくに、詩人・西條八十(さいじょうやそ)も泊まったという老舗旅館に興味を抱いた。
彼を知ったのは、森村誠一「人間の証明」で引用された”ぼくの帽子”のフレーズだった。
「母さん、僕のあの帽子どうしたでしょうね…」
車掌長が小学校3、4年だった頃、ジョー山中の曲「人間の証明のテーマ」とともに、脳裏に焼き付いたフレーズだった。
あの何か不思議な、別の時空へ誘われるような…そんな気持ちになる詩であった。
余談だが、この曲の出だしは、最近知った「ボヘミアン・ラプソディ」を彷彿させた。
今度はぜひ、この旅館に泊まってみたいと、後ろ髪を引かれる想いで境港へ車を走らせた。
境港からはJR境線の「鬼太郎列車」で米子へ向かうが、少し時間が余ったので、水木しげるロードを散策した。幾つかの店を見ながら、所々に置かれた妖怪のブロンズ像と写真を撮ったりしたが、外国人旅行者の多さにも驚いた。
鬼太郎列車と在来線特急を乗り継ぎ、倉吉駅下車。
ここで再びレンタカーを借り、白壁土蔵群をのんびり歩き、三朝温泉を目指した。
三朝は「みささ」と読み、世界屈指のラドン含有量を誇るラジウム温泉として知られ、「放射能泉」に分類される。
車掌長も好きな温泉地であり、今回で2回目となる。
今回の宿は、徒歩で温泉街散策に便利な立地を考え、三朝橋が目の前のホテルとした。
この橋を渡れば、河原の湯や狭い路地の店が連なる温泉街にすぐ行ける。
15時のチェックイン時間を待てず、14時半に宿に着いたら、快く出迎えてもらえた。
お抹茶を戴きながら宿帳に記帳すると、仲居さんから封筒に入ったメッセージを渡され、見ると今回の旅を手配してもらった旅行会社の担当者から、心温まるメッセージが入っていた。
また、夕食時には、更に嬉しいサプライズもあった。
普段、「サプライズ」というものは、車掌長が誰かにすることがほとんどで、またそれ自体が車掌長自身の悦びでもあるのだが、今回は、想定外に車掌長自身が「される」側となった。
夕食を終え、デザートが運ばれた際、仲居さんが「電気を消してもよろしいでしょうか」と一言あり、すぐにロウソクの火が灯った可愛らしいケーキが運ばれてきた。
最初、もしかして専務車掌がしてくれたのかな!?と、専務車掌の顔を見たら、首と手を横に振り、逆に専務車掌が車掌長を指差すので、「まさか自分で自分のサプライズなんかしないよ!」と、互いに笑ってしまった。
そして、仲居さんに「どなたからでしょうか…」と聞いたところ、旅行会社の○○様からですと。
○○様とは、前述の旅行会社営業所の所長さんであった。
普段、サプライズされることなど思いもしていないので、純粋に嬉しさが込み上げた。
そして、ピンポイントの誕生日ではなかったが、少し早めに車掌見習と専務車掌に祝ってもらった。
翌朝、倉吉駅で車を返却し、観光列車「あめつち」に乗車。
天候はあいにくの小雨であったが、昨夏デビューの新しい車両の乗り心地を楽しみながら、松江を目指した。
松江から3度目のレンタカーを借り、宍道湖の北側を通って出雲大社へ。
この頃が一番雨脚も強かったが、不思議なことに、出雲大社に近づくと青空が広がった。
この好天にはビックリしたが、清々しい思いで参拝をすることができた。
1泊3日の小旅行ではあったが、最後は「サンライズ出雲」で締めくくった。
希少なサンライズツインに3名で一夜を過ごし、車掌見習にとっても、楽しい想い出になれば幸いだと思った。
コメント(2件)
希望者挙手さんからのコメント(2019年2月19日 23:06投稿)
お誕生日おめでとうございます。
時々、「こんな年齢なってまで誕生日を祝ってもらうなんて」などと言ってる人が居たりしますが、私は幾つになっても、いや、むしろ年齢を重ねるほどに、誕生日を大切に過ごすべきではないかと考えています。
毎年、素敵な誕生日をご家族と過ごされている車掌長は、充実した年齢を重ねてらっしゃいますね。
これまで、お互いに山あり谷ありと、大変な時期もありましたが(笑)
私は大阪在任4年目、次の夏に山陰地方の家族旅行を計画していた矢先に、東京へ戻ることになり、その計画は未だに実行できていないので、いつかは実現したいなと思っています。
一足先に人生のB面に突入した私からは、クイーンのレコード「オペラ座の夜」のB面に「ボヘミアン・ラプソディー」が、「ジャズ」のB面に「ドント・ストップ・ミー・ナウ」が収録されているように、人生もまた、B面ならではの面白さがあると思うので、これからもお互いに人生のB面をエンジョイしていきましょう!というメッセージを51回目の佳き日に贈らせて頂きます。
車掌長さんからのコメント(2019年2月20日 05:24投稿)
希望者挙手 様
毎度ご乗車ありがとうございます
また、お忙しい時期にお祝いのコメントをいただき、重ねて御礼申し上げます。
希望者挙手さんが仰るとおり、50歳を過ぎても誕生日祝いを喜んだり、重んじたりすることに共感いたします。
年単位の節目には、元日である1月1日や、年度開始の4月1日がポピュラーですが、それは世の中のオフィシャルな区切りであり、共通ルールとして人や物事が動く基準になっています。
一方、自分自身の年単位の節目を「誕生日」を軸に考えると、1年間の流れも位置づけも、パーソナリティ感が高まります。
つまり、自身の新たな歳を迎えた日が、その歳の「元日」「年初」となるわけです。
こうのように位置づけますと、自分の人生の主役はやはり「自分自身」なのだ…と、思えます。
車掌長自身は、子どもの頃や大人になっても或る時期、「自分」が嫌いで仕方ないことがありました。
それは、多分に自分でどうしようもできない外部環境や状況の中で、もがいていた時期、心が病んでいた頃とも符合するように思います。
そんな時、その淵から抜け出る一助となったのは、生涯の中で誰よりも一番長く共にする「自分」との付き合い方であり、「自分を大切にする」生き方でした。
誤解を恐れず申し上げれば、自身が健全である基盤があって、初めて、家族を含む他者を思い、慈しんだり、その人のために…と、ときには、自身を犠牲に出来るような物事に臨めるような気がするのです。
犠牲などと、大袈裟な言い方をしましたが、時間やエネルギー、想いを費やすという意味合いの方が近いかもしれません。
長くなりましたが、そんな「自己肯定感」を援護してくれたのが、時刻表であったり、旅であり、旅の中で知った歴史上の人物が遺した言葉、詩人が紡いだ言の葉でした。
そして、音楽好きな希望者挙手さんには、車掌長自身が最近ハマってしまったクィーンにあやかった、メッセージ性の強い曲々をご紹介いただき、とっても嬉しく思っております。
さらに、希望者挙手さんが中学時代にこうした曲たちに出逢った頃をトレースして、自身の想像を膨らませ楽しんでおります。
ぜひ、これからもお互いに「ドント・ストップ・ミー・ナウ」で、まだ始まったばかりの人生のB面を、楽しみましょう!
末筆ながら、今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。
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