藤棚

カテゴリー:⑤番線:feel the season方面 2014年4月25日 04:56

今月は、都内や千葉県某市の小・中・高・大学を日々訪れていた。

中でも公立の小・中学校は、刻々と忙しい合間にも、ノスタルジーの琴線に触れるモノが沢山あった。
その1つが校庭にある藤棚。

今はまさに見頃で、棚から垂れ下がった淡い紫色の花に心が和む。
やや距離を置いて眺めると、ぶどう棚のようにも見える。

車掌長の出た小・中学校にも藤棚があった。
棚の下にはベンチがあり、特に小学校のものは、太く長い丸太をそのまま置いたような形状で好きであった。
そして、子ども心ながらにきれいな花だと思っていた。

なぜ多くの学校には藤棚があるのだろうか。
常に陽のあたる校庭に日陰を設けるためか…
それとも、どこかの時代で二宮金次郎(尊徳)像のように、設置を奨励する動きがあったのだろうか…

藤は日本固有の植物らしいが、桜とともに日本人の繊細な美意識を象徴する「春の使者」だと思う。
暖かな陽気の昼下がり、藤棚の下のベンチで微睡(まどろ)み、そのほのかな香りに包まれると、時間を遡るタイムスリップな心境になる…

変わり続ける世の中にあって、学校という空間は、ある意味隔絶された、置き去りになった場所なのかもしれない。
しかしながら、強いて変わったことを挙げれば、教員が多忙になり過ぎたことだろう。

本来であれば、子どもと向き合う仕事のはずが、親や上司、上部組織の顔色ばかりを窺(うかが)い、書類ばかりと向き合っている余裕のない姿に、憐(あわ)れみを感じてしまう。

藤棚はそんな世の中の先生の変化も、見てきたのだろう…
 

コメント(2件)

希望者挙手さんからのコメント(2014年4月26日 00:50投稿)

こんばんは

藤といえば、我家の家紋が「丸に下がり藤」なんですよ。
藤紋の家はかなり多いようですが・・・

そんなこともあり、私にとっては身近な花であり、紫は大好きな色でもあります。

私の好きなロックバンドが「ディープ・パープル」や「紫」(沖縄の伝説的ロックバンド)だったりすることは、藤とは関係ありませんが・・・笑

更に私と藤の関係は続きます。

日本の藤は野田藤ともいわれるのですが、その由来は大阪市福島区野田という、藤の名所の地名に由来しています。

私が社会人一年生で大阪転勤になり、2年余り住んだ町が野田でした。
また専門学校在職時に転勤で行った大阪校は野田のお隣(福島区福島)でしたから、藤にはとても縁があるようです(笑

GWには亀戸天神に行って、船橋屋にでも立ち寄ってみましょうか(笑

車掌長さんからのコメント(2014年4月26日 05:45投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます

「丸に下がり藤」の家紋、どのようなものか見てみたくなり調べました。
藤は1つ1つの花弁は小さく繊細ですが、それが房となって醸し出す美しさが表れているように思えました。

ちなみに車掌長の家紋は「丸に違い鷹の羽」です。
車掌長の家紋の想い出は、高校の卒業式です。

正則高校は服装が自由でしたので、車掌長は祖父から譲ってもらった紋付き袴で参加しました。
そして、その際に自分の家の「家紋」というものを初めて知りました。

当時、卒業式に紋付き袴で来たのは車掌長だけでしたが、草履をはいて大正時代の重たい外套(がいとう)も着用し、電車で注目を浴びたのが楽しかったり、誇らしかったりしました。(笑)

それはさておき、希望者挙手さんも「藤」に何かと御縁がおありですネ。

ところで、「紫」は車掌長の2番目に好きな色です。
(1番は「青」です)

紫と言うと、八神純子さんの「パープルタウン」が大好きで、今でもよく聴きます。

特に「♪愛する気持ちを呼び覚ます都会(まち)ね New York 紫にけむる夜明け」の部分が、ヘビーローテーションで聴けるほど好きですネ。

この曲が流行った頃と、中学時代に国語で習った「枕草子」がちょうど重なって、気に入ったことを覚えています。

”春はあけぼの やうやう白くなりゆく山際、すこしあかりて紫だちたる雲の細くたなびきたる”

清少納言が遺した「春」の美に、時を超越して共感します。

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新緑に想う

カテゴリー:⑤番線:feel the season方面 2014年4月19日 05:39

車掌長の1年で最も忙しい4月も残り3分の1.

考えれば考えるほど、うんざりするやることの多さに呑み込まれずに、一日一日を消化してゆくのが精一杯…
そんな日々の忙しさの中でも、ふとこの季節ならではの癒しを感じさせてくれるのが「新緑」だ。

東京では、日差しの強くなった先週あたりから、木々の芽吹きや若々しい葉の広がりに勢いが増してきた。
その光景はエネルギッシュであり、フレッシュでもある。

新緑はよく「眩(まぶ)しい」と言われるが、その柔らかく滑らかな風合いは「艶(つや)やか」とも言える。

車掌長が新緑の美しさに心を洗われたと覚えているのは、学生時代のこと。
毎年GWが明けた頃、親しい仲間やサークルのメンバーで、信州の木曽へ行った時だ。

愛知県の知多半島から、一般道で瀬戸を通り多治見へ抜ける際、木洩れ日のトンネルが続く場所がある。
その新緑に透ける薄緑色の空間は、そこを通るだけで心身が清まる想いに包まれた。

また、目的地の木曽の山々は、新緑が斑(まだら)模様に彩られ、出迎えてくれた。
それはまさに、俳句の季語である「山笑う」様相であった。

厳しい冬の寒さや閉塞感を乗り越え、暖かく開放的な春を謳歌する表情そのものであった。

人間にも「表情」というものがある。
それは、木々の芽や葉のように、人が目にできる物事の末端の表れと言える。

しかしながら、その源となる土中の「根」は、なかなか見ることができない。
もちろん、人の「心根」も同様に…

人も木もその外見や他人からは見えない、「根」の張り具合が大切なのだと思う。

どんなに強い風に吹かれても、根こそぎ倒れたりしないような…
或いは、子どもがよじ登り、枝に腰掛けても折れないような…
多少、何かが他より劣っていても、そんなことで心がくじけないような…

根を深く広く張り、幹や枝を太くする日々の営みの積み重ねこそが、「人生」なのかもしれない。

新緑を愛(め)でながら、今年も少しでも、根や幹を丈夫にしてゆけたらと想う。
そして、その表れ、彩りである新緑のような「表情」や「心の潤い」を大切にしたいと願う。
 

 

JTB時刻表4月号の表紙に思う

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2014年4月 7日 05:32

4/5(土)・6(日)の両日、東日本大震災で一部不通となっていた三陸鉄道北・南リアス線が相次いで運転を再開した。

新聞やテレビのニュースでは、それを待ち侘びた沿線住民の皆さんや再開に尽力した方々の喜びの顔が溢れていた。
東日本大震災で壊滅的なダメージを被りながら、3年余りで全線(107.6㎞)の運転再開までのご苦労は、並大抵のことではないことは察するに余りある。

ところで、JTB時刻表の2014年4月号の表紙は素晴らしいものであった。
三陸鉄道社員の皆さんと気動車が表紙いっぱいに写り、「再び走り出す!三陸鉄道」という見出し。

そして、巻頭のカラーページにおいても、4頁にわたって三陸鉄道の運転再開を応援する特集を組んでいる。
さすが、日本を代表する総合交通機関の時刻表であると感嘆したり、誇らしく思ったりした。

一方、JR時刻表の表紙は鉄道写真すらない、非常に殺風景な文字だけのものであった。
3月下旬に店頭に並んだ際には、「あれ?今月はJRの時刻表が積まれていない!?」と、思うほど目立たなかった。

たまたまこの号だけ奇を衒(てら)ったのか、今後このようなスタイルでゆくのかは不明であるが、時刻表の顔である「表紙」を文字だけにしたのは、惜しいなぁ…と痛感。

末筆ながら、未だ再開目途の立っていないJR山田線(宮古~釜石)や、とりあえずBRTで運行再開を始めた大船渡線、気仙沼線がレールで結ばれ、列車が走ることを願う。

そして、そのレールの上を、東京発三陸沿岸経由青森行きなどの列車が走る空想をしてしまう…
運行する会社の枠組みを超え、そんな列車を走らせることができたなら、日本はまだまだ素晴らしいと思う。

 

コメント(2件)

希望者挙手さんからのコメント(2014年4月 7日 21:49投稿)

遅ればせながら、開設3周年、乗務200回達成、おめでとうございます。

私は母の実家が気仙沼で、親類の多くが被災したこともあり、復興が前進することに感慨一入(ひとしお)ですが、私もJTB時刻表の今月号の表紙はとてもいいなと思いました。

三鉄の復興もそうですが、久しぶりに人と鉄道のつながりが感じられたからです。
昭和53年から63年、いわゆる昭和後期の表紙には、よく人が登場していましたが、私はこの頃の表紙が大好きです。

今月号の表紙の差が、鉄道に対する両社の想いの差でもあるのかなと思えたりしました。(観光⇔ビジネス って・・・苦笑)
JR時刻表はウケを狙って外したものと思いたいですね(笑

東京発三陸沿岸経由青森行きには、私も大賛成です!

ただ、被災地の工事現場から人が減り始め、動かない重機が増えているらしく、心配です。

車掌長さんからのコメント(2014年4月 8日 04:33投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます

昭和後期の日本交通公社時代の時刻表の表紙は、車掌長も大好きでした。
多くは人物を中心に位置づけ、列車や駅がさりげなくその光景を演出し、季節感や旅情、旅先やその土地に暮らす人々のふれあいを感じさせてくれたものです。

そして、鉄道というものは、人々の生活や仕事、人生の節目に寄り添ってくれていることを印象づけてくれました。

また、時刻表の表紙については、こんな言い方もできるかもしれません。
それは「時間の鏡」であると…

例えば、その当時流行っていたり好きだった曲や歌詞を久々に聴いたとき、学業の節目、恋愛、転居、就職、結婚、困難、病気、別離etc…、様々なシーンを思い出したりしないでしょうか。

同様に、昔の駅舎やホーム、過去に走っていた夜行列車などを見ては、懐かしい人生の色々な場面が脳裏を過(よぎ)る方も、少なくないように感じるのです。

その観点で過去の日本交通公社(JTB)時刻表を振り返ると、1981年8月号や1983年1月号あたりは秀逸です。
前者は今でも自慢の瓢箪棚を、地元の方が大切に維持してくれていますが、随分前に無人駅となり、駅員との語らいやふれあいは見ることができません。

また後者は、路線そのものが廃止となり、当時の表紙のように参拝客が降り立ち賑わう姿などは、記憶や写真の中にしか存在しないのです。

希望者挙手さんも仰っていただいたように、JTB時刻表には自由闊達な観点・角度から、日本中の鉄道や駅を借景に、日本人が暮らした「時代の風景」を記録できる力があると思います。

そして、そうした出版物としての蓄積が、歴史的な史料として後世に受け継ぐ価値を紡いでゆくのでしょう…

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哲×鉄ブログ本線車内放送⑩

カテゴリー:⑪番線:哲×鉄 車内放送 2014年4月 5日 04:56

本日、「哲×鉄」はおかげさまで開設3周年を迎えました。

3年前、平成23年4月5日の語呂並びに合わせ、哲×鉄保線区のたくちゃんさんとキヨスコさんの多大なるご協力を賜り開設いたしました。
今日までの運行を支えていただき、心より感謝しております。

哲×鉄は鉄道趣味の多岐にわたる分野の中でも、わりとマイナーな「読み鉄」と分類される時刻表愛読の立ち位置にいます。

そして、車掌長は時刻表の中でも「JTB時刻表」に偏愛した変わり者を自認しており、JTB時刻表こそが日本を代表する「総合交通機関の公式時刻表」であると思っています。

哲×鉄では、JTB時刻表の長い歴史を「時間旅行」という、独自の概念で楽しめるコンテンツになるよう、日々のんびりと工事(更新)を進めています。

メイン工事は時刻表アーカイブの充実となりますが、車掌長の拙(つたな)い人生の記録も時間旅行の概念に含んでいますので、きっと興味外の部分も少なからずあると存じますが、お好きなところだけご乗車(ご覧)いただければ幸いです。

また、本日は「車掌長の乗務日誌」が乗務200回を迎えましたこと、ご報告いたします。

昨年末くらいから、200回乗務を開設記念日に合わせられそうだと気付き、照準を絞ってまいりました。
思い振り返れば、この乗務日誌こそ稚拙かつ思いつくままの身勝手な内容でお恥ずかしい限りです。

どうか、まだまだ世の中を知らない若輩者の戯言とご理解いただき、コメントを載せていただかなくても、日々の乗務に共感やツッコミを入れて楽しんでいただければ嬉しいです。

「哲×鉄」における時間旅行の楽しみ方は、今の日本の世の中で横行している「効率性」や「経済性」、「話題性」などを印籠に、見栄えの「結果」や「成果」ばかりを拙速に追い求めることに疑問を抱くことです。
また、そんな本流から外れてその濁流を眺めてみることです。

そして、そうすることによって、自分の生活スタイルや人生の針路を方向づけたり修正する面白さを味わうことです。

人々が「人間」として心豊かに暮らし、成長し、その中で色々な物事を楽しめるコツは「プロセス」を大切にすることだと思うのです。

一例として言い換えれば、何でもお金と引き換えに瞬時かつ簡単に手に入れられるモノやサービスではなく、そのモノを手に入れるまでの想い入れを育みながら、金銭的にも叶えられる計画や努力を積み重ねてゆくことです。
それは時に、欲しいものを一時期我慢することにも至ります。

きっと、そのようなプロセスを経て手にした喜びは格別であろうと思いますし、そのモノを大切に使ったり、愛着が湧いたりしますので、流行り廃れに踊らされない自分のオリジナルな価値観が樹立してゆくと考えます。

そして、そんな日々のプロセスを楽しめる気持ちの余裕こそが、本当の豊かさだと感じるのです。

このような感慨が、車掌長の数えきれない失敗を経て、現時点で辿り着いた境地でもあります…

末筆ながら、今後とも「哲×鉄」及び「乗務日誌」をご愛読のほど、よろしくお願い申し上げます。
 

 

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