新緑に想う

カテゴリー:⑤番線:feel the season方面 2014年4月19日 05:39

車掌長の1年で最も忙しい4月も残り3分の1.

考えれば考えるほど、うんざりするやることの多さに呑み込まれずに、一日一日を消化してゆくのが精一杯…
そんな日々の忙しさの中でも、ふとこの季節ならではの癒しを感じさせてくれるのが「新緑」だ。

東京では、日差しの強くなった先週あたりから、木々の芽吹きや若々しい葉の広がりに勢いが増してきた。
その光景はエネルギッシュであり、フレッシュでもある。

新緑はよく「眩(まぶ)しい」と言われるが、その柔らかく滑らかな風合いは「艶(つや)やか」とも言える。

車掌長が新緑の美しさに心を洗われたと覚えているのは、学生時代のこと。
毎年GWが明けた頃、親しい仲間やサークルのメンバーで、信州の木曽へ行った時だ。

愛知県の知多半島から、一般道で瀬戸を通り多治見へ抜ける際、木洩れ日のトンネルが続く場所がある。
その新緑に透ける薄緑色の空間は、そこを通るだけで心身が清まる想いに包まれた。

また、目的地の木曽の山々は、新緑が斑(まだら)模様に彩られ、出迎えてくれた。
それはまさに、俳句の季語である「山笑う」様相であった。

厳しい冬の寒さや閉塞感を乗り越え、暖かく開放的な春を謳歌する表情そのものであった。

人間にも「表情」というものがある。
それは、木々の芽や葉のように、人が目にできる物事の末端の表れと言える。

しかしながら、その源となる土中の「根」は、なかなか見ることができない。
もちろん、人の「心根」も同様に…

人も木もその外見や他人からは見えない、「根」の張り具合が大切なのだと思う。

どんなに強い風に吹かれても、根こそぎ倒れたりしないような…
或いは、子どもがよじ登り、枝に腰掛けても折れないような…
多少、何かが他より劣っていても、そんなことで心がくじけないような…

根を深く広く張り、幹や枝を太くする日々の営みの積み重ねこそが、「人生」なのかもしれない。

新緑を愛(め)でながら、今年も少しでも、根や幹を丈夫にしてゆけたらと想う。
そして、その表れ、彩りである新緑のような「表情」や「心の潤い」を大切にしたいと願う。
 

 

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