地球最後の日まで「2分30秒」

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2017年1月28日 05:18

昨日の某新聞でひときわ、引っ掛かる見出しに遭遇した。

「終末時計」という言葉をご存知だろうか。
正確には、「世界終末時計」と言うそうだ。

毎年この時期、アメリカの科学誌「Bulletin of the Atomic Scientists」が、概念的な地球最後の日までの残り時間を発表している。

1947年以降、毎年、前年1年の出来事を反映させ、残り時間を示す時計の針を進めたり、遅らせたりしており、正時(しょうじ)をもって"地球最後"と位置づけているとのこと。

ちなみに、創設時の残り時間を調べたら7分とあった。
その年、その年の核戦争の脅威や気候変動、環境破壊、生命科学分野の動きを勘案し、時計の針を調整しているという。

新聞記事によると、その終末時計の針は、今回30秒進んだそうだ。
昨年は残り時間が3分だったが、今回は2分30秒に短縮した。

同誌の判断には、米トランプ大統領誕生、同氏の核兵器や地球温暖化に対する発言も反映されているそうだ。

ところで、車掌長の年代だと、「地球最後の日」で思い出す言葉は、「人類滅亡の日まであと○○日」ではないだろうか…

これは、車掌長世代が子供の頃、「宇宙戦艦ヤマト」というSFアニメで、毎回最後に聞かされたフレーズ。

話が進むにつれ、次第に減ってゆくその日数に、子ども心ながら、人類滅亡を憂い、果敢にそれを回避する方策に立ち向かう"ヤマト諸君"を応援したものだった。

一方、終末時計とはスケールが違うが、「人生時計」という概念を、車掌長は25年ほど愛用している。(このことは、当乗務日誌2012年5月7日に綴っているので、詳細は参照願いたい。)

車掌長の実年齢は、あと半月で49歳。
これを人生時計に当てはめると、午後4時過ぎくらいだろうか…

上述の乗務日誌に記した頃が、午後2時半を過ぎた頃だったから、この5年で人生時計は1時間半ほど進んだことになる。

人生時計は終末時計と違い、針が逆戻りすることはない。
年齢を重ねるごとに、確実に時計の針は進んでゆく。

この「人生時計」もそうだが、車掌長は、生活や仕事、物事を「時」という尺度に換算して考えたり、位置づける思考が常にあるように思う…

それは、時刻表愛読から身に付いた習性のようなもの…

目的地に到着するまでの「時刻」に対し、あとどれくらいの「時間」が残っているか、「時刻」と「時間」の違いを、子どもながらに概念化し、与えられた、担保された「時間」を有意義に過ごすことは何か…?、こんなことを旅行中に考えていたように思う。

一見、鈍行列車に一日中乗っている時間など、傍(はた)から見れば、ムダな時間を過ごしているように思われても仕方ない行動は、「自分と向き合う」には最良の時間だったなぁ…と、いまつくづく感じる。

車掌長も自分なりに仮設定している終末時計がある。
その残された時間は、決して多いとは言えないだろう。

その仮設定の時間よりも長く生きられたなら、それはご褒美としたい。
いずれにしても、誰にも「終末」が訪れることに間違いはない。

沖田十三艦長は最期に、「地球か…なにもかも皆懐かしい…」と言ったが、車掌長も自身に纏(まつ)わる一切合切を、そんな言葉で締めくくれたらと思う。

 

コメント(4件)

希望者挙手さんからのコメント(2017年1月31日 08:58投稿)

おはようございます。
久しぶりの乗車は通勤列車となりました。

終末時計を私が知ったきっかけは、私の大好きなヘヴィメタルバンド、アイアン・メイデンの「2minutes to midnight 」という曲でした(笑
私の大好きなカッコいい曲ですので、機会があったらYoutubeで聴いてみてください(笑

私も人生時計が午後を回った頃から自分の最期を少しずつ考えるようになり、父親が亡くなってからはそれを考えことも多くなってきました。

以前、テレビのニュース番組に「最後の晩餐」という、著名人に、明日地球が滅びるとわかったら何を食べたいか?と質問するコーナーがありました。
スターウォーズなどで知られる映画監督のジョージ・ルーカスが「ハンバーガーを食べたい」と言っていたのを覚えています。

ある日、そのテレビを一緒に観ていた妻から「あなたなら、何を食べたい?」と聞かれました。
そこで私が即答したのは「おでんの卵!」(笑
子供の頃からの大好物です。

昨日51回目の誕生日を迎え、会社の同僚に、おでんの有名店でご馳走してもらいました(笑

「まぁまぁの人生だったな」と笑って終われる人生にしたいと考える今日この頃です。

車掌長さんからのコメント(2017年2月 2日 05:47投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます

終末時計を知ったきっかけが、ヘヴィメタルだったとのこと。
希望者挙手さんらしく、とても興味が湧きました。

早速、ご紹介いただいた曲を聴いてみました。
また、その歌詞については、和訳版で内容を理解しました。

邦題が「悪夢の最終兵器~絶滅2分前」というそうですね。
車掌長はヘヴィメタルを聴いた経験がほとんどないのですが、共感できるメッセージ性の高い想いを刺激的に訴えていることを知りました。

権力への反発や、社会の不条理さ、疑問etc…といったものを、ストレートにシンプルに爆発させるエネルギーに共鳴するものがありました。

このように文章にすると、その芸術性に対する違和感もありますが、純粋に良かったと思います。
ありがとうございました。

ところで、最後に食べたいものが「おでんの卵」とのこと。
これも妙に同感です!
季節柄、寒い日におでんを食べたくなりました。

おでんの卵が好物になったきっかけや、まつわるエピソードもありそうですネ。

車掌長も「おでんの卵」が大好きですが、卵と言えば、愛知・岐阜の喫茶店のモーニングに付いてくるゆで卵も想い出深いです。

希望者挙手さんのコメントを拝見し、車掌長だったら最後に食べたいものは何かなぁ…と、考えました。

甘系ですが、「チョコリング」は筆頭ですネ。
あとは、叶わぬ想い出になりますが、小学生の頃、コツコツ貯めた小遣いで買って食べた念願の「鰻弁当」の味です。

一人旅の中で、当時900円だったと思うのですが、それ以外の食事を切り詰めて列車の中で食べた美味しさを味わってみたいです。

きっと、今の世の中、もっと美味しい鰻がいっぱいあることは承知していますが、その目的のために我慢したり、工夫して捻出して手に入れ食べたという、プロセスの満足感が違うのだろうと思います。

末筆となり恐縮ですが、51歳の誕生日おめでとうございます!

希望者挙手さんからのコメント(2017年2月 2日 09:07投稿)

おはようございます。

アイアン・メイデンを聴いて頂き、ありがとうございます。共鳴して頂けたことは、いちファンとしても嬉しく思います。

中高生の頃に買ったレコードの音楽や歌詞カードは、私にとって教科書のようなものでした。
クイーンのシアー・ハート・アタックという曲ではDNA 、アルカトラスのヒロシマ・モナムールという曲ではTNT という火薬の化学式など、英語、社会、国語ばかりでなく理科の勉強にもなりました(笑

私の卵好きは、父親譲りですね(笑
私の父親は破天荒な人間で、実家のある町に銚子大橋が開通した日に、橋のかかる利根川河口(川幅は1キロ程あるのですが)を泳いで渡って、帰りに橋を歩いて帰ってきたといったような、今の時代ならテレビ取材を受けるのではないかと思える武勇伝(?)には事欠きません。
利根川河口は、上流からの川の流れと太平洋から川を押し戻すように寄せてくる波の間を揉まれながら泳ぐため、けっこう大変だったと話していたことを思い出します(笑

そんな父親が、我家でおでんを作る時には、必ず卵を1パック(10個)茹でて入れていました。父、私、弟が3個ずつ、母が1個といった感じです(笑
今でも、私が実家に帰る時には、母はゆで卵を作っておいてくれます。

子供心ながら家族の愛情を感じていたから好きなのかな、と思える今日この頃です。

車掌長さんからのコメント(2017年2月 3日 05:54投稿)

希望者挙手 様

度々のご乗車ありがとうございます

希望者挙手さんにとりまして、レコードの音楽や歌詞カードが教科書的存在だったとのこと、大変共感いたしました。

お互いにジャンルは違いますが、車掌長にとっても時刻表が同様の存在でしたので、大いに頷(うなづ)けました。

おそらく、「趣味」や「好きなこと」というものは、誰もが使った学校時代の教科書の副教材的な役割を果たしてくれたのだと感じます。

また、その副教材は本来教科に一見無関係のようで、実は、時を経て「人生本来の学問」に通じていたように思えます。

「人生本来の学問」とは何か、と言えば、それは「生きる力」だと思うのです。

人生は良いことばかりではなく、むしろその逆の方が多いように、経験上受け止めていますが、そんな逆境に耐えうる「力」は、エスケープ(回避)する「他の楽しみ」、すなわち「好きなこと」が大いに貢献すると感じます。

おそらく、希望者挙手さんも、車掌長自身も、そのような趣味や好きなこと、楽しみ方を心得て、「生活や仕事」と「自身の心」とのバランスを取っていられるのではないか…と思ったりします。

働くことは大切ですが、それが荷重過ぎたり、バランスを著しく欠くと、社会問題となっている「働き方」に辿り着きます。

話が大きくなり過ぎて恐縮ですが、希望者挙手さんの父上は、随分前にも数々の武勇伝をお聞きしたことがありますが、悔やまれるのは、ぜひ一度お目にかかりたかったとことです。

その豪快さのDNAを受け継がれた希望者挙手さんに、何かの折に、その片鱗を垣間見るのは、きっと、父上が降臨しておられたのかなぁ…と思ったりしております。

また、いつか愛知・岐阜あたりの喫茶店へ「モーニング」へ行きましょう!

その際は、私のゆで卵を差し上げたいと思います!

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ワシントンポスト掲載の和訳

カテゴリー:⑪番線:哲×鉄 車内放送 2017年1月23日 20:47

このたびのワシントンポスト掲載記事、どうしたら見られるか?

複数の方からお問い合わせがありましたので、和訳した記事が見られるサイトを紹介します。

「クーリエジャポン 鉄道 ワシントンポスト」をキーワードに、検索をかけます。
すると、"COURRIER JAPON"というサイトの「日本の鉄オタに米記者が驚愕!」という見出しが、初めの方に候補として挙がっていると思います。

このサイトは、「世界から見た日本」をテーマに、外国メディアから発信された日本の様々な話題を、日本人に向けて紹介するwebマガジンです。

このたびのワシントンポストに掲載された全文は、有料会員でしか見られませんが、車掌長が紹介されている部分は、始めの方なので会員でなくても読むことができました。

取り急ぎご参考まで
 

咳をしても一人...ではなくなった

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2017年1月22日 06:05

厄介な咳に見舞われ、困っている。

今年の風邪は車掌長においては、咳風邪だ。
「咳をしても一人」、これは車掌長が好きな詩のひとつだ。

しかしながなら、いまや咳をすれば、車掌区内の面々にうつしてしまうので申し訳ない。
いま、車掌見習が同じような咳をして、幼稚園を休むようになってしまった…

「咳をしても一人」は、確かこの乗務日誌のどこかで書いた記憶があり、このような話題を記すのは、きっと今頃の時期だったろう…と、1月・2月に絞って2012年から振り返ってみた。

すると、2013年1月12日に"車掌見習に教わったこと"、という題で綴っていたことを見つけた。

当時はこんな頻度で乗務をしていたなぁ…と、長閑な日々を思いつつ、その時の車掌見習のことも思い出したり、頂いたコメントを拝見し、いま改めて読み直してみると、最近の日々の子育てを自省したり、励まされたりした。

あれから4年も経ったことに驚くが、当時はまだ、車掌見習に発達障害があるなど、露ほども思わなかった。

やがて、喃語(なんご)や言葉が出始めるであろう、然るべき時期になっても、なかなか彼の口から、それらしきものが一切、表出されないことに、専務車掌ともども、不安を抱くようになった。

通常、2歳になったタイミングでの法定乳幼児検診はないが、任意でかかりつけの小児科で2歳検診をしてもらった。

結果は、発達障害の疑いがあるという診(み)たてで、隣接区の小児発達外来を紹介された。
そして、門戸を叩くと、専門医の口からも、発達障害の可能性が極めて高いとの結果を賜った。

それを受け、専務車掌と今後のことを話し合い、保健所に相談し、区からの認定も受け、療育へと舵を切ることを早々に決めた。

公立の療育施設は常に空きがなく、通所するための面接を受けるのも、半年以上先と言われ、その確約の無い「待つ」時間よりも、「今できること」を最優先に、民間の療育施設を幾つか訪ね、今も通っている隣接区の某施設でご縁があった。

専務車掌が週3回、暑い日も寒い日、雨の日も…通所を休むことなく、自転車を漕ぎながら通ってくれた。
また、半年に1回ほど通院している専門外来で経過を診る検査も行った。

そんな日々が、1年ほど経った3歳を過ぎて、初めて母音を幾つか発語できるようになった。
それはそれは、専務車掌とふたりして、その成果というか成長ぶりを大いに喜んだ。

だが、昨年の今頃、専門外来の医師から、緩やかに変化は認められるが、「手帳」の申請も可能であることを告げられた。

それは、やはり「障害」であることを認知せざるを得ない宣告であり、ちょうど幼稚園入園も控えた時期であったので、ポジティブに受け入れ、手続きを進めた。

やがて、小児科医や精神科医、心理士などとの面接や検査を経て、「療育手帳」を受け取った。

また、幼稚園入園に際し、このことは同じクラスとなる子の保護者の皆さんにも伝え、理解や協力を得るためにオープンにしようと、専務車掌と決めた。

昨夏、偶然だが、公立の療育施設で言語聴覚士の指導を受けられる枠にも認定を受けられた。

年が明けた今、車掌見習は、だいぶ言葉がでるようになってきた。
それは、まだまだ親が言いたいことを積極的に傾聴し、言わんとすることを想像して成り立つコミュニケーションかもしれない。

しかしながら、言葉を理解し始め、自身の思っていることを、車掌見習なりに表出しようとする姿は、無条件に嬉しく、愛しいものだ。

最近は、自我が強すぎて閉口するのも、正直なところだが…

車掌見習の障害は、脳の機能に起因するものだが、それは「個性」であるように受け止めている。
いまできることは、その脳に色々な刺激や経験を与えることが有用だと言われ、実践している。

日常、我が家では言葉のシャワーならぬ、ゲリラ雷雨のような会話を浴びせ合っている。
その影響もあってか、車掌長は車掌区以外の場でも、多弁になった。

咳をしても一人…のように、「独り」をこよなく好んだ時期も確かにあったが、いまはその正反対の環境にいる自分も、俯瞰すると面白いものだ。

何はともあれ、いま車掌見習にしてあげられることを、最優先にしてあげたいという想いだ。

そして、何よりも、車掌長以上に日々を車掌見習と接し、「いやいや期」「自分第一主義」真っ最中の彼と、奮闘、格闘してくれている専務車掌に感謝している。

 

"yomi-tetsu" ワシントンポスト紙で紹介

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2017年1月14日 19:58

昨年12月上旬、アメリカ合衆国の新聞"ワシントンポスト"の取材を受けた。

趣旨は、本国の読者に日本の多様な鉄道趣味に興じる人々を紹介したいというものだった。
中でも、撮り鉄や乗り鉄、読み鉄、音鉄、車両鉄、駅鉄、駅弁鉄を、取材対象にしたようだ。

そして、車掌長は”yomi-tetsu"の一人として、このたび紹介された。

アメリカ本国での記事掲載は、jan.6.2017であったとのこと。

英文での掲載記事を見てみたが、先日の毎日新聞の「ハマりました」とは話題の角度が違い、アメリカンな感性だなぁ…と思った。

それは、パーソナルな仕草や考え、その元となる「生活スタイル」を引き合いに、人物像を浮かび上がらせる試みのように思えた。
従って、車掌長自身のみならず、専務車掌にも質問を振ったり、車掌見習の行動もよく見ていた。

毎日新聞との共通点は、車掌長自身のプロフィールにあたる部分だろう。
小学1年生から時刻表を読み始め、2年生で実際にプランを立てて旅に出始めた云々…
そして、1980年から毎月購読し続け、収集分を含め660冊余りを所有。

独自の記事としては、自宅に車掌見習用に組んだプラレールの常設レイアウトや、車掌見習がその時着ていた電車の絵がプリントされたセーター、部屋から見えるJR線に着眼し、「どれも趣味にしてます」という記事になっていた。

また、読み鉄としてのスキルに関し、テレビ番組等から企画内容の検証等の要請があるとの記載もあった。
そして、それに応えるのは、自身の満足のためであり、お金のためではない、とも。

締めくくりは、仕事が全く趣味に関連しないことにも触れ、趣味が仕事のストレスを軽減する良いパートナーであると…

取材時、TOKYO支局長や通訳兼記者の方との雑談でも、日本の鉄道の定時性が話題になった。
分単位の運転ダイヤが正確に実行されているのは、驚嘆だと。

また、1~2分遅れただけで、駅や車内でお詫びのアナウンスが入るのも、国民性がわかると…

本国では、そもそも日本のように毎月発売される時刻表は存在しないようで、人々も時間通りに列車が来るなんて思ってもいないそうだ。

車掌長以外にも、数名の方々の○○鉄ぶりを拝見し、大変興味深かった。

果たして、そんな鉄道趣味を楽しむ日本人を、アメリカ本国の読者はどのように感じたか、それも興味が湧くところだ。

日本に居ると、ローカル線や寝台列車廃止の話題ばかりで、楽しみ方が先細りのように思っていたが、世界的に見れば、本来は単なる「足」に過ぎない鉄道を、これだけ色々なジャンルに細分化した上で、愛着を持ったり、楽しみの対象にしている国民は、珍しかったり、奇異に映るのかもしれない。

奇異に映ると言えば、これは同じ日本人である我々から見てもそうだが、一部の○○鉄にマナーを守らずに、自身の欲求のみを満たそうとする恥ずべき傾向がある。

これは列車運行にも支障を来たす危険な行為である。
また、一般の方々にも迷惑を掛けており、他国にも自慢できない、負の一面や側面だと思う。

何はともあれ、車掌長自身としては、海外メディアに紹介されるなど、夢にも思っていなかっただけに、大変貴重な体験となった。

 

幻の110点

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2017年1月10日 05:29

今日は「110番の日」とのこと。

110番は何度かしたことあるが、初めてしたのは小学生高学年。
そのときは、受話器を取る手が震えたのを覚えている。

状況は、或る日曜の朝、自宅近くの商業施設で放火犯を通報したこと。
小学低学年の従兄弟を連れ散歩をしていた際、ふと或る建物のゴミ置き場に立っていた男性の前で、突然炎が立ち上がり、その場を去る男性を目にした。

たまたま、そこを通りかかった中年男性に放火を知らせて一緒に消火を行い、まだ近くを徘徊していた男を見つけ「あの人が火をつけた」と伝えたところ、その男性は放火犯と思われる男を追い、「キミは110番して!」と言われ、近くにあった赤い公衆電話に手をかけた。

応答後、駆け付けた警官に男は連行された。

そして、当方は別のパトカーで所轄署に行き、取調室にいる放火容疑の男性を、覗き窓から見て、本人に間違いないかを訊ねられ、頷(うなず)いた。

それが車掌長が初めて110番というものをした想い出で、その後は、事故等の目撃だ。

110番以外に、「110」にまつわるエピソードがある。

高校入試の受験番号が110番だったこと。

他には、小学2年の時、漢字テストでクラス唯一100点満点を取ったことがあった。
そもそも漢字は、時刻表の駅名を眺めることから興味があり、好きだった。

たまたま100点を取ったのはとても嬉しかったが、もっと嬉しかったのは、担任の先生が「頑張ったから110点だ!」と言ってくれたこと。

もちろん、答案用紙上は100点だが、その「110点」と言われた耳の中での響きが、ものすごく特別だったことを覚えている。

人は誉められれば、照れくささこそあれ、純粋に嬉しいものだ。
それは、子どもも大人も共通の感情だと思う。

今年は仕事においても、誉めることを意識的に行おうと思った110番の日であった。