咳をしても一人...ではなくなった
カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2017年1月22日 06:05
厄介な咳に見舞われ、困っている。
今年の風邪は車掌長においては、咳風邪だ。
「咳をしても一人」、これは車掌長が好きな詩のひとつだ。
しかしながなら、いまや咳をすれば、車掌区内の面々にうつしてしまうので申し訳ない。
いま、車掌見習が同じような咳をして、幼稚園を休むようになってしまった…
「咳をしても一人」は、確かこの乗務日誌のどこかで書いた記憶があり、このような話題を記すのは、きっと今頃の時期だったろう…と、1月・2月に絞って2012年から振り返ってみた。
すると、2013年1月12日に"車掌見習に教わったこと"、という題で綴っていたことを見つけた。
当時はこんな頻度で乗務をしていたなぁ…と、長閑な日々を思いつつ、その時の車掌見習のことも思い出したり、頂いたコメントを拝見し、いま改めて読み直してみると、最近の日々の子育てを自省したり、励まされたりした。
あれから4年も経ったことに驚くが、当時はまだ、車掌見習に発達障害があるなど、露ほども思わなかった。
やがて、喃語(なんご)や言葉が出始めるであろう、然るべき時期になっても、なかなか彼の口から、それらしきものが一切、表出されないことに、専務車掌ともども、不安を抱くようになった。
通常、2歳になったタイミングでの法定乳幼児検診はないが、任意でかかりつけの小児科で2歳検診をしてもらった。
結果は、発達障害の疑いがあるという診(み)たてで、隣接区の小児発達外来を紹介された。
そして、門戸を叩くと、専門医の口からも、発達障害の可能性が極めて高いとの結果を賜った。
それを受け、専務車掌と今後のことを話し合い、保健所に相談し、区からの認定も受け、療育へと舵を切ることを早々に決めた。
公立の療育施設は常に空きがなく、通所するための面接を受けるのも、半年以上先と言われ、その確約の無い「待つ」時間よりも、「今できること」を最優先に、民間の療育施設を幾つか訪ね、今も通っている隣接区の某施設でご縁があった。
専務車掌が週3回、暑い日も寒い日、雨の日も…通所を休むことなく、自転車を漕ぎながら通ってくれた。
また、半年に1回ほど通院している専門外来で経過を診る検査も行った。
そんな日々が、1年ほど経った3歳を過ぎて、初めて母音を幾つか発語できるようになった。
それはそれは、専務車掌とふたりして、その成果というか成長ぶりを大いに喜んだ。
だが、昨年の今頃、専門外来の医師から、緩やかに変化は認められるが、「手帳」の申請も可能であることを告げられた。
それは、やはり「障害」であることを認知せざるを得ない宣告であり、ちょうど幼稚園入園も控えた時期であったので、ポジティブに受け入れ、手続きを進めた。
やがて、小児科医や精神科医、心理士などとの面接や検査を経て、「療育手帳」を受け取った。
また、幼稚園入園に際し、このことは同じクラスとなる子の保護者の皆さんにも伝え、理解や協力を得るためにオープンにしようと、専務車掌と決めた。
昨夏、偶然だが、公立の療育施設で言語聴覚士の指導を受けられる枠にも認定を受けられた。
年が明けた今、車掌見習は、だいぶ言葉がでるようになってきた。
それは、まだまだ親が言いたいことを積極的に傾聴し、言わんとすることを想像して成り立つコミュニケーションかもしれない。
しかしながら、言葉を理解し始め、自身の思っていることを、車掌見習なりに表出しようとする姿は、無条件に嬉しく、愛しいものだ。
最近は、自我が強すぎて閉口するのも、正直なところだが…
車掌見習の障害は、脳の機能に起因するものだが、それは「個性」であるように受け止めている。
いまできることは、その脳に色々な刺激や経験を与えることが有用だと言われ、実践している。
日常、我が家では言葉のシャワーならぬ、ゲリラ雷雨のような会話を浴びせ合っている。
その影響もあってか、車掌長は車掌区以外の場でも、多弁になった。
咳をしても一人…のように、「独り」をこよなく好んだ時期も確かにあったが、いまはその正反対の環境にいる自分も、俯瞰すると面白いものだ。
何はともあれ、いま車掌見習にしてあげられることを、最優先にしてあげたいという想いだ。
そして、何よりも、車掌長以上に日々を車掌見習と接し、「いやいや期」「自分第一主義」真っ最中の彼と、奮闘、格闘してくれている専務車掌に感謝している。