時刻表神社創建1周年

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2017年3月26日 04:57

今朝、時刻表神社のおみくじは「吉」であった

車掌長が日課としていることの1つに、時刻表神社の「おみくじ」を引くことがある。
手前味噌で恐縮だが、この「おみくじ」がなかなか巧妙にできており、良い結果が出るとその日のテンションが上がってしまう。

本日、時刻表神社は創建1周年を迎えた。

これまでに「大吉」が出たのは、わずか2回…
ゆえに、「大吉」をひくと何か本当に佳き出来事が起こりそうな期待が身を包む。

とは言うものの、結果として何か佳きことが起きたことは無かった。
しかしながら、日々の生活にプチな楽しみや抑制を与えてくれるのは非常に面白い。

車掌長は中学生の頃から、旅先で神社仏閣を訪れるようになった。
それは、観光としての意味合いももちろんあったが、その頃の自身の心の乱れや不安を打ち消してもらいたい想い、或いはそれらを誘因する災いを無くしてほしい…そんな願いがあった。

現在も旅先での神社仏閣巡りは続けており、地元の寺社を通りかかった際にも、手を合わせているが、そんな「想い」や「願い」は次第に変わり、ここ数年は「感謝」になった…

車掌長も凡人であるから、この歳になっても願い事が幾つもある。

だが、一方で、家族の平穏や世の中の平和に感謝するとともに、いまここに「ただある」だけの自分の存在への感謝の念を、神や仏に伝えているように思う。

最近は、この「只」や「唯」(ただ)という字や意味が好きだ。
「只」や「唯」を調べると、こんな意味合いであることがわかる。

ありきたり、ありのまま、普通、何事もなくそのままであること、それだけetc…

自身で創建した時刻表神社も、「ただある」ことに意味がある。

車掌長自身が中学入学時から毎月の購読を始めたJTB時刻表…
それ以降の日々、月々、年々をともに過ごした1冊1冊には、表現しきれない「感謝」の念がある。

また、それら1冊1冊の表紙をみると、当時の車掌長の生きざまがフラッシュバックのように蘇る。

今後、次第に時刻表神社に収められてゆく想い出の時刻表たちが、「ただある」形へと昇華してゆくことで、時刻表神社の歴史が深まってゆくだろう。

 

 

コメント(2件)

電車猫さんからのコメント(2017年5月 7日 14:05投稿)

はじめまして!
JTB時刻表だけでなく、my line 東京時刻表も時刻表神社に奉納していただきたいです!

車掌長さんからのコメント(2017年5月 7日 20:03投稿)

電車猫 様

このたびは、「哲×鉄」にご乗車いただき誠にありがとうございました。

電車猫さんのご要望、ぜひ時刻表神社にも奉納できればと存じますが、お恥ずかしながら車掌長は「my line 東京時刻表」は1冊も所有しておりません。

もし、電車猫さんが所有されているものがありましたら、どのような形で奉納(掲載)が可能か、社務所の担当者に確認してみたいと思います。

よろしければ、どれほど所有されておられるかetcお聞かせいただければ幸甚です。

電車猫さんも時刻表がお好きであることをお察しいたします。
電車猫さんは、「時刻表」とはどんな出逢いがあったのでしょうか…

また、最近は色々なジャンルの時刻表が発行及び販売されていますが、「my line 東京時刻表」の魅力はどんなところにありますでしょうか。

車掌長は、偏狭で大変申し訳ございませんが、自身の人生に大きな影響を及ぼした「日本交通公社時刻表」を敬愛しており、ゆえに、そこに崇拝の念を覚えたことから、僭越ながら時刻表神社を創建するに至りました。

もちろん、他の時刻表を愛読しておられる方々への共感もあります。

ぜひとも、今後佳きお付き合いができれば幸いです。

取り急ぎ御礼かたがたご挨拶まで

2件のコメントがあります → まだまだコメントお待ちしてます!

鉄道ふたり旅

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2017年3月22日 05:02

2月下旬に初めて車掌見習と敢行した、鉄道ふたり旅。

その成果と言うか、車掌見習の喜びように気を良くした車掌長。
結局、あれ以来毎週、ちいさな旅を続けている。

毎週というのも、頻度としては行き過ぎだが、車掌長がこんなことができるのも先週までのこと。
来週から数か月は、また一年で最も仕事が忙しい時期に入る。

しかしながら、ふたり旅をしている時の車掌見習は見ていて飽きない。
子供向けの鉄道本に出てきた車両を見つけると興奮し、テレビで観た旅番組をマネしながら、小さな旅は進行してゆく。

1本の列車に長く乗ることはない。
むしろ、乗り換えを沢山組み込み、色々な線や車両に乗ることが最優先だ。

こんなことをしていると、ふと、車掌長が小学3年だった頃を思い出した。
東京近郊や一部関東地方にも足を延ばしながら、ひとりで色々乗り歩いていた頃だ。

また、当時住んでいたアパートの隣の部屋に住む親戚がいて、年長組のはとこのN君の子守を頼まれることがしばしばあったが、車掌長はそんな時、N君を連れて東京近郊の電車を乗り歩いた。

今もそうだが、子供に同伴される幼児は運賃不要なので、車掌長自身の小人用切符で、子守を兼ねたちいさな旅ができた。

今思えば、小学3年生が幼児を連れて電車を乗り歩けるほど、とても大らかな時代だった。

そんな感慨にも耽(ふけ)りながら、車掌見習との旅を楽しんだ1ヶ月であった。
 

祝・JTB時刻表国際線航空ダイヤ掲載復活

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2017年3月19日 05:53

時刻表の新しい月号が店頭に並んだ。

個人的には書店に平積みされた真新しい時刻表を見ると、華やいだ気持ちになる。
今月号の表紙には、国鉄分割民営化30年の大きな見出しがあった。
JR発足後、かような歳月が流れたことに驚いてしまう…

JR発足30年も大きな節目だが、車掌長自身は別の見出しに心が躍った。
それは、日本発着の国際線航空ダイヤ掲載の復活。

昨春、北海道新幹線開業時のダイヤ改正で、姿を消した国際線ダイヤの掲載。
北海道新幹線や新たな第三セクター線の開業、他在来線のダイヤ改正に伴う掲載記事の増加etc…
時刻表の宿命である重量1000gを超えない制約の下、国際線ページは玉突きで追い出されてしまった。

しかしながら、今月発売の4月号から見事に復活し、「日本の総合交通機関の時刻表」としての再充実を果たしてくれた。

当然、犠牲になるページもあった訳だが、それは巻末にあったJTB協定旅館ホテル連盟加盟の「旅館・ホテル案内」であった。

JTB時刻表に国際線ダイヤが新たに掲載されたのは、1987年6月号であった。
JR発足同様、こちらも掲載から30年も経ったのだなぁ…と感慨深い。

国際線ダイヤ移り変わりは、日本の世界との関わりやグローバル化の変遷とシンクロしている。

1987年6月号を倉庫から出すと、日本発着の国際線掲載航空会社は40社。
国際空港は今のように地方空港に就航する便は多くなかったが、沖縄発着便に成田経由ではあるものの、アメリカ本土への路線が多かったのは興味深い。

一方、今4月号を見ると、掲載航空会社は82社と倍増。
地方から直接海外へ向かえる空港も、30年前とは比較にならないほど増加した。

車掌長が初めて海外へ出ることができたのは1989年9月だったが、87年から掲載された航空ダイヤを眺めては、どんな国に行ってみたいか妄想が膨らんだものだった。

また、航空会社をアルファベット2文字で表記する2レターコードや、世界中の空港をアルファベット3文字で表記する3レターコードが好きになり、時刻表に掲載されていたものはほぼ覚えてしまった。

これらの趣味で覚えてしまった知識が、社会人第一歩となった旅行会社での業務や、二歩目となった専門学校トラベル学科での教鞭で役に立つとは、夢にも思わぬことであった。

ところで、久しぶりに1987年6月号を手にして表紙を見ると、高千穂線のディーゼルカーが、廃線前は日本で最も高い鉄道橋として知られた高千穂橋梁を渡る写真であった。

余談だが、1987年は車掌長が愛知県に下宿し、夜間大学に通い2年目の頃だ。
印象に残っているのは、その頃、落合信彦氏がアサヒ・スーパーDRY誕生のCMに出ており、それまでのビールにない喉ゴシ感が刺激的だった。

当時の車掌長は、火曜から日曜まで朝6時半~17時の間は喫茶店で時給500円のバイトして、そこから大学のある海に面した町に向かい、18:15から21:15迄の講義に出ていた。(出ていない日も多々あったが…)

話が脱線してしまったが、時刻表に話を戻すと、本文となる各線のダイヤもJR民営化直後で、まだまだ国鉄時代そのまま…
在来線の昼行特急、ブルートレインが健在で、急行・普通の夜行列車も少なくなりつつもまだまだ走っていた時代であった。

こと、列車ダイヤに関しては当時に戻りたいという、ノスタルジーに胸がキュンとしてしまう。

ふと、ユーミンの「あの日にかえりたい」が、胸中を霞めた…

♪青春のうしろ姿を 人はみな忘れてしまう
  あの頃の わたしに戻って
  あなたに会いたい

皆様にとっての30年前とは、どんな時代や時期だったのだろう…
 

雪のひとひら

カテゴリー:⑤番線:feel the season方面 2017年3月 1日 05:07

某新聞の書評の見出しにひかれた

それは「雪のひとひら」という本。
翌日、忘れないうちに書店へ赴き手にしたら、何やら温かな気持ちを抱いた。

車掌長は雪が好きだ
生まれが2月からかもしれない

自身でハッキリと雪が好きだと思ったのは、高校3年に上がる春。
友人4人と計5人で2週間程、北海道へ行った時だ。

初めて目にした流氷や、富良野の起伏ある雪原、某ユースホステルでの雪上運動会、夜行列車の車窓から飽きなく見た暗闇の中の雪…

そして、雪の結晶の神秘さ…

手にした瞬間、融けてなくなる儚(はかな)さは、まさにこの世の「諸行無常」であることを実感させられた。

また、雪は汚れを全て覆ってくれるヴェールのような、心にチクッと刺さったものを癒し隠してくれるような、そんな安心感を抱いたりもしてしまう。

さて、「雪のひとひら」は、片道30分余りの通勤電車1往復で読めてしまった。
文章はきわめて平易であり、小学高学年や中学生くらいが読む印象だが、その意味するところを理解できるのは、ある程度の人生経験があった方が、感銘を覚えると感じた。

女性の一生を、雪のひとひらに投影し、美しい自然の姿や心のときめき、それらを造りだした御方への素朴な疑問を描写し、女性が辿る一生の出来事を、淡々としながらも、読後、心に温かみを与えてくれる1冊であった。

自分がこの世に生まれてきた意味…

それは、終焉を迎えたとき、御方の一言でやっと理解できる。

今日から三月。
気持ちも新たに、車掌長も「雪のひとひら」を心の片隅に置いておこうと、白み始めた東の空を眺め思った。
 

 

1