祝・JTB時刻表国際線航空ダイヤ掲載復活

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2017年3月19日 05:53

時刻表の新しい月号が店頭に並んだ。

個人的には書店に平積みされた真新しい時刻表を見ると、華やいだ気持ちになる。
今月号の表紙には、国鉄分割民営化30年の大きな見出しがあった。
JR発足後、かような歳月が流れたことに驚いてしまう…

JR発足30年も大きな節目だが、車掌長自身は別の見出しに心が躍った。
それは、日本発着の国際線航空ダイヤ掲載の復活。

昨春、北海道新幹線開業時のダイヤ改正で、姿を消した国際線ダイヤの掲載。
北海道新幹線や新たな第三セクター線の開業、他在来線のダイヤ改正に伴う掲載記事の増加etc…
時刻表の宿命である重量1000gを超えない制約の下、国際線ページは玉突きで追い出されてしまった。

しかしながら、今月発売の4月号から見事に復活し、「日本の総合交通機関の時刻表」としての再充実を果たしてくれた。

当然、犠牲になるページもあった訳だが、それは巻末にあったJTB協定旅館ホテル連盟加盟の「旅館・ホテル案内」であった。

JTB時刻表に国際線ダイヤが新たに掲載されたのは、1987年6月号であった。
JR発足同様、こちらも掲載から30年も経ったのだなぁ…と感慨深い。

国際線ダイヤ移り変わりは、日本の世界との関わりやグローバル化の変遷とシンクロしている。

1987年6月号を倉庫から出すと、日本発着の国際線掲載航空会社は40社。
国際空港は今のように地方空港に就航する便は多くなかったが、沖縄発着便に成田経由ではあるものの、アメリカ本土への路線が多かったのは興味深い。

一方、今4月号を見ると、掲載航空会社は82社と倍増。
地方から直接海外へ向かえる空港も、30年前とは比較にならないほど増加した。

車掌長が初めて海外へ出ることができたのは1989年9月だったが、87年から掲載された航空ダイヤを眺めては、どんな国に行ってみたいか妄想が膨らんだものだった。

また、航空会社をアルファベット2文字で表記する2レターコードや、世界中の空港をアルファベット3文字で表記する3レターコードが好きになり、時刻表に掲載されていたものはほぼ覚えてしまった。

これらの趣味で覚えてしまった知識が、社会人第一歩となった旅行会社での業務や、二歩目となった専門学校トラベル学科での教鞭で役に立つとは、夢にも思わぬことであった。

ところで、久しぶりに1987年6月号を手にして表紙を見ると、高千穂線のディーゼルカーが、廃線前は日本で最も高い鉄道橋として知られた高千穂橋梁を渡る写真であった。

余談だが、1987年は車掌長が愛知県に下宿し、夜間大学に通い2年目の頃だ。
印象に残っているのは、その頃、落合信彦氏がアサヒ・スーパーDRY誕生のCMに出ており、それまでのビールにない喉ゴシ感が刺激的だった。

当時の車掌長は、火曜から日曜まで朝6時半~17時の間は喫茶店で時給500円のバイトして、そこから大学のある海に面した町に向かい、18:15から21:15迄の講義に出ていた。(出ていない日も多々あったが…)

話が脱線してしまったが、時刻表に話を戻すと、本文となる各線のダイヤもJR民営化直後で、まだまだ国鉄時代そのまま…
在来線の昼行特急、ブルートレインが健在で、急行・普通の夜行列車も少なくなりつつもまだまだ走っていた時代であった。

こと、列車ダイヤに関しては当時に戻りたいという、ノスタルジーに胸がキュンとしてしまう。

ふと、ユーミンの「あの日にかえりたい」が、胸中を霞めた…

♪青春のうしろ姿を 人はみな忘れてしまう
  あの頃の わたしに戻って
  あなたに会いたい

皆様にとっての30年前とは、どんな時代や時期だったのだろう…
 

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