T‐CAT

カテゴリー:②番線:航空、船舶、バス方面 2012年4月22日 07:56

先月下旬、久しぶりにT-CAT(東京シティエアターミナル)へ行った。
ここは成田空港や羽田空港へのリムジンバスが発着するターミナル。

今でこそ、JRの「NEX(成田エクスプレス)」や京成の「スカイライナー」など、成田へのアクセスは充実しているが、1980年代、ここは「日本の第二玄関」そのものだった。

ターミナル内には、日本航空(JL)、ユナイテッド航空(UA)、エールフランス(AF)etc…主要航空会社のカウンターが並び、搭乗・出国手続き、飲食や買い物の施設など、空港同様の機能を有し賑わっていた。

また、バスの出発階では海外へ旅立つ人を見送る光景も見受けられた。
きっと、海外へ向かう前の歓喜や悲哀のドラマがここにもあったことだろう。
現在でも、空港のシーンとしてロケが行われるのも頷(うなず)けるほど、「空港」そのものの施設であった。

JTB時刻表で国際線のページが追加されたのは1987年6月号以降。
当時、巻末に青色のページが増え、時刻表もいよいよ国際的になったなぁと思った。
国鉄からJRに民営化された年と同じだ。

時代はまさにバブル景気に湧きあがる日本。
今の中国のように、日本が海外のホテルやビルなどの不動産を、札束を積んで買い漁っていた頃で、「1億総中流」という言葉通り、日本人の多くが「自分は豊か」だと夢を見ていた。

国際線ページが掲載開始になった時刻表に話を戻そう。
T-CATの案内として、搭乗機出発の2時間半前までに手続きを済ませるよう書いてある。
また、JLはホテル日航成田で、UAは帝国ホテルや赤坂プリンスホテル等で搭乗券を受け取れるとの説明文も見受けられる。

今でこそネット上で完結し「ペーパーレス」の諸手続きだが、当時はとても便利なサービスだったのだと思う。

ところで車掌長がT-CATを初めて利用したのは1989年9月。
大学4年生の夏休みに連日深夜のアルバイトをして、初の海外旅行実現の費用捻出に精を出し、念願のスイス旅行を果たした時だ。
(ちなみに友人達は既に就職を決めていたが、車掌長は就職活動よりも海外旅行実現の方が優先度が高かったので、3週間の旅行を終えてから就職活動を始めた。→どの会社も既に採用が終了し、結構苦労した。)

半蔵門線の水天宮前駅が開業していない頃で、日比谷線の人形町駅からT-CATまで大きな荷物を持って歩いたのが懐かしい。

スイス航空が一番便利だったが高すぎて、利用したのは旧ソ連の「アエロフロート航空(SU)」であった。
SUもT-CATでの搭乗手続きができるはずだったが、その時は代行していたJLの都合か何かでできずに、そのままリムジンバスに乗り込んだ。
初の海外旅行に、箱崎を出た瞬間から胸がときめいた。

あれから23年余り。
賑わっていたターミナル内は閑散とし、各航空会社のカウンターも取り払われ、レストランやインテリアの店がテナントとして入っていた。

また、トラベルグッズなどが買えたストアの閉店セールを行っていて、1つの時代が終わったことを印象づけていた。

しかしながら、高速道路に直結したこれほどのバスターミナルは日本でも唯一のもの。
今日隆盛期の夜行高速バスの総合ターミナルに転用することはできないだろうか。
きっと、早朝に到着して仮眠やシャワーを浴びて「リフレッシュしたい」という需要はあると思うが…

そうすれば、既存の主要駅周辺のバスによる渋滞や、時間調整のための長時間路上駐車も解消されて良いと考える。
 

コメント(2件)

たくちゃんさんからのコメント(2012年4月22日 14:15投稿)

スイスに行かれた話は伺っていましたが
まさかアエロフロートとは!
モスクワ乗り継ぎの際、手こずりませんでしたか?
当時は第2飛行場はなかったんでしたっけ?

以前、我々が渡欧したときに
キャセイを使ったことをお話したら、
「チャレンジャーですなぁ」というお返事を返していただきました。
実際に乗ったことはありませんが、
アエロもかなりのチャレンジャーなのでは!?!

時間とお金に余裕があったら、また行ってみたいですが、
まことに残念なことに、どちらも一切余裕などございませぬ。
頑張って仕事をすることにしましょうw。

車掌長さんからのコメント(2012年4月22日 15:55投稿)

たくちゃん様

毎度ご乗車ありがとうございます。
さすが、詳しいですネ!

たしかに、たくちゃんさん達の南回りよりも、或る意味「チャレンジャー」だったと思います(苦笑)

今思い出しても、モスクワでのトランジット(乗継)はうんざりです…
当時、到着したのはシェレメチボ第2空港。
1980年のモスクワオリンピックに合わせ開設されようですが、照明が貧弱で非常に暗い印象でした。

そして、乗り継ぐだけでも入国時のようなパスポートコントロールを通過しなければなりませんでした。
この待ち時間が長く、それもそのはずで1人の審査に相当の時間がかかります。

係員の超威圧的な態度と冷淡な表情も忘れられません。
車掌長の顔よりも何度も頭上をよく見るので、何故だか不思議でしたが、その視線の先に車掌長の背面が映る鏡があったことが後でわかりました。

やっと通過し乗継便の搭乗口へ向かう際、日本食を提供する「スナック富士」という、怪しげな日本語の看板に惹かれ、行ってみました。

ちょっと小腹が空き、何か食べようと思ってショーウィンドウを見たら、きつねうどんが1,700円!
日本円が使えるのは良いが、こんなところで法外とも言えるうどん代で外貨稼ぎとは呆れ果てました。

免税店では不思議な笑みを浮かべた「マトリョーシカ」が、これでもか!と並べてあり、他に何か名産品はないの?とバリエーションの無さにガッカリ。
そして気付いたのが、待合用の椅子など座る場所がないことでした。

話が長くなりますが、成田からの使用機材はIL-62(イリューシン62)という4発エンジンの中型機。
ボーイング747のジャンボやエアバスと比べると、これでモスクワまで飛べるのか?という外観。

更に、機内は片側3席に中央が通路の狭さ。
シートもコタツの座椅子のようで、後ろへはリクライニングせず、なぜか前のみ倒すことができ、全部倒したら座面とくっついてしまいました!
これはもしかしたら、いざという時に座席背面を全て前に倒し、輸送機として運用するのかと感じたほどです。

しかしながら、やはり若かったし、初めての海外旅行ということで、そんなことも楽しかったです。

たくちゃんさんも、いつかポーランド再訪の際は、ぜひご利用してみては!?


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祝・「JTB小さな時刻表」発刊

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2012年4月18日 21:04

この春、JTB時刻表に画期的な新しい顔が加わった。
「JTB小さな時刻表」だ。
これを世に出したJTBパブリッシングに拍手喝采を送りたい。

今まで時刻表には、情報量の違いによって大型から小型までのサイズがあった。
それぞれに一長一短あるが、今回のニューフェイスは、グラビアページや宿の広告など一部省略されているが、肝心のJRや私鉄、その他の会社線については、大型の情報量をそのままにサイズを小型化した優れものだ。
(文字や数字も縮小されおり、年配の方には見づらいかもしれないが、実用性は十分に確保している。)

車掌長は長年「大型」を愛読しているが、旅行中の相棒としては大きさや重さが気になる時もあった。
それでも、気ままに予定を変更したり、全く違う方面や行先を変えるような旅のスタイルには、全国的な情報量の充実度から「大型」を迷わず持ち歩いた。

旅先へ持ってゆくのは、必要な箇所のみを大型からコピーした人もきっと多かっただろうから、「こんな時刻表がほしかった」という声はかなり多いと思う。

ちなみに、大型はB5判(約950g)に対し、新顔はB6判(約440g)。
この違いは実物を手にした方が、数字以上のインパクトを実感できた。

今のところ位置づけは、今号が4月号臨時増刊であるから、不定期発行とは思うが、青春18切符が発売される夏・冬・春休みにはこの便利さが威力を発揮し、多くの「乗り鉄」が手にしていることだろう。
慌ててJR時刻表も追随するかもしれない。

それにしてもこのB6判というのは、懐かしさが漂うサイズだ。
というのも、1967年10月に大型時刻表が今のB5判になる前は、このB6判だったからだ。
参考までにちょうど目の前にあった1965年4月号を手にしてみると、680頁で370g。
「小さな時刻表」は1072頁で440gだから、紙質の進化も実感できる…

今後も日本を代表する「時刻表のパイオニア」であるJTB時刻表を、影ながら応援し続けてゆきたい。
 

新東名部分開通に思うこと

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2012年4月14日 20:44

本日15時、新東名高速道路が部分開通した。
本来は「祝!」と言うべきであろうが、車掌長は別の視点からこの新東名を見つめてみたい。

このたびの「新東名」は1987年の構想から、25年の歳月と2兆6千億円という巨費をかけての一部開通だ。
今回の開通部分は静岡県内(御殿場JCT~三ケ日JCT)の162㎞。
(ここではあえて記さないが、1㎞当たりの建設費用は庶民感覚からすれば異常であり、それを教育や医療、介護、福祉政策に充てた場合、その恩恵を受ける人のスケールは新東名高速利用者の比ではない。)

これにより従来の東名の渋滞は大幅に減少するとの説明だが、果たして本当だろうか?
確かに、静岡県内に限定すれば当てはまるかもしれないが、東名高速の渋滞が深刻なのは、むしろ御殿場~海老名間や豊川~豊田間であり、新東名が全線開通する2020年度にならないと、新東名本来の役割やポテンシャルは十分生かせないであろう。

だが、今後の人口減少やそれに伴う物流量の低下は、25年前の思惑とは既にギャップがあると思う。

ところで我国の高速道路政策は、昨年の東日本大震災を契機に、「防災」「被災」という視点から高速道路を捉えるようになり、新東名も旧東名不通時の代替(だいたい)ルートという役割を担うようになった。

また、各サービスエリアやパーキングエリアにヘリポートが設置されるなど、従来の高速道路よりもあらゆる災害ニーズや想定に対応する別規格の道路になったと言える。

今後、車掌長も1度か2度はこの「新東名」走行を好奇心から体験すると思うが、おそらく「旧東名」ユーザーになることは必至だ。
なぜか?
それは新東名が面白味のない道路だからだ。

たしかに、カーブが少なく、勾配も少ない道路は走りやすいかもしれない。
だが、せっかく高規格の道路でありながら、法定速度は100㎞/hのままであり、当然スピードが出やすい(出せる)から、速度違反の取締りが強化されるのは目に見えている。
いくら距離が短くなり、従来より200円安く(東京~名古屋間)なっても、違反をしたときの金額はその数百倍以上の出費となる。

何よりも全体の1/3がトンネルばかりの道は、走っていて楽しくない。

ただでさえ、車というのは狭い空間に閉じ込められるのに、トンネルばかりで風景も存分に楽しめないのでは、
まさに精神的な「拘束道路」に思える。

「運転の醍醐味」は、意のままにハンドルとアクセルで美しい風景の中をドライブできることだと車掌長は思う。

ふと気付けば日本は、狭い国土に網の目のように高速道路が整備され、今後も際限なく工事が行われる様相で、日々山々が削られ、田畑や集落が分断されている。

そして、ドアtoドアと時間厳守の流通システムの中で、エコではないトラック輸送が幅を利(き)かせている。
また、鉄道から夜行列車を消滅させた「高速バス」も、本来の輸送効率から言えば、バス1台で運べる人の人数よりも、1本の夜行列車の方が十数倍の人を運べる点で、エコとは言えない。

だが現実は、トラック輸送やバスの方が「安い」ので重宝されている。

そこで疑問に思うことがある…
日本は「便利さ」や「安さ」と、「真のエコ」や「豊かさ」を都合の良いように、使い分けていないだろうか。
つまり、便利・安い=エコ・豊かではない。

言い換えれば、便利さや安さを消費者に提供するためには、想像以上の労力やエネルギーが費やされていることを忘れてはならない。

そして、労力にいたっては多くの「人」が自らの時間や身を削って、その便利さや安さを捻出している。
日本人一人一人が、お互いに便利さや安さを求め合うあまり、実は自分の時間や生活を仕事に裂かれ過ぎて、精神的な豊かさを見失ってはいないだろうか?

開通してしまったものに対し、色々難癖を付けるのは不毛なことかもしれないが、モノの見方として必ずその「光と影」を考えてみることは意義深いと思う。

せめて、この「新東名」が大災害時の代替ルートとして、大活躍するような日が来ないことを願うばかりである。
 

コメント(2件)

たくちゃんさんからのコメント(2012年4月15日 07:01投稿)

新東名、部分開通しましたね。
少し前ですが、「新名神」も開通し、
現在「伊勢湾岸道路」というものも開通しています。
これで、旧道の共有区間は、
東京~御殿場・三ケ日~豊田(静岡~愛知)・四日市~亀山(三重)
ということになったわけです。

で、作ったはいいんですけどね、高速。
すべてのポイントで、渋滞が発生している。

ワタクシの住む中部地方について言いますとね、
週末以外でも豊田JCTでは、10キロ程度の渋滞。
四日市JCTでは、やはり10キロ程度の渋滞。
週末ともなれば、さらに伸びると。
結果的には、到着時間は変わらないということに
なってやいないかと思うんですな。

水道管の本数を2倍にして、取水口と蛇口は一つづつ。
…どうなるかは、容易に想像がつくというもので。

…ということで、「例の集会」の折は、
やはり300系引退で、タバコ吸いにはより厳しさを増した新幹線で、かっ飛ぼうと、考えております。
700系(喫煙車両あり)にあたることを、密かに期待しつつ…。

車掌長さんからのコメント(2012年4月15日 07:57投稿)

たくちゃん様

毎度ご乗車ありがとうございます。

「名古屋は道が広い」という印象がありますが、そちらの高速もやはり、新たな道を作っても、ボトルネックとなる旧道とのジャンクションで慢性的な渋滞を引き起こしているようですネ。

理論上、渋滞がなければ距離が短縮された分、所要時間も短縮されますが、現実には新たな渋滞名所を造り出し、従来よりも時間がかかるようなら本末転倒です。

それにしても、水道管のたとえ話はわかりやすくて良かったです。
車掌長は子どもの頃に遊んだ「水道管ゲーム」を思い出しましたヨ。

人生ゲームの「仕返し」のように、他人の水道管を「破裂」させ、修復している間に蛇口をつないでゴールするのが楽しかったです。

カードゲーム、ボードゲーム全盛の時代に育ったので、そのアナログ感の醍醐味は格別です。
「木枯らし紋次郎」というボードゲームもなかなか渋くてオツでした。

或るマスで止まり、ルーレットを回すと「あっしにはかかわりのねぇことでござんす」の名言をつぶやき、そのままコースを素通りしたり、「お引き受けいたしましょう」と言って、浪人と戦うのも一興でした。

また所持金が小判や一分銀だったのも好きでした。

ところで「例の集会」、近付いてきましたネ!
そろそろ別便で具体的なスケジュールをお送りします。
その際、参考までに700系運用のリストも付けますので、ご活用ください。

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哲×鉄ブログ本線車内放送④

カテゴリー:⑪番線:哲×鉄 車内放送 2012年4月11日 06:24

本日の毎日新聞朝刊(全国版)、読者の投稿欄「みんなの広場」に、車掌長の投稿記事が掲載されました。

”「寝台特急の引退残念」に同感”という見出しです。
 

花まつり

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2012年4月 8日 05:49

4月8日、今日はお釈迦様の誕生日だ。
潅仏会(かんぶつえ)や仏生会(ぶっしょうえ)というらしいが、車掌長には「花まつり」の方が馴染み深い。

祖母は生前、この「花まつり」に合わせて隠居の山里から我が家へ来て、近くのお寺へのお参りを欠かさなかった。
子どもの頃、この日が日曜であれば、祖母に手をひかれ共に参拝をしたが、その後買ってもらえる駄菓子や出店の焼きそばの方が当時は嬉しかった。

この日、各寺では花で飾った小堂(花御堂:はなみどう)がつくられ、桶の中に金属製の幼仏像を置き、甘茶が参拝者によってかけられる。
なるほど、仏にお茶を潅(そそ)ぐので「潅仏会」とはわかりやすい。

この「甘茶」という響きは、当時お砂糖の入ったお茶を連想させたが、振舞われたものを口にすると、苦かったような記憶がある。

もう30年以上も前の話だが、毎年、この日になるとそんな想い出がよみがえる…

祖母の名前は「ハナ」というが、まさにお花が大好きで穏やかな人だった。
耳がほとんど聞こえないので、世の中の喧騒や嫌な話題も聴こえず、笑顔の多い人だった。

祖母はお寺や神社、道端のお地蔵様にも手を合わせ、拝みごとや感謝を口にしていた。
車掌長もそんな祖母の姿に影響され、神社仏閣を訪れるのは好きであり、拝むことも大切だと思っている。
また、訪れた際には必ず御朱印をいただき、冊数を重ねる御朱印帳は旅の想い出でもある。

車掌長は、日本の宗教観の土台とも言える、八百万(やおよろず)の神の存在を大切にしたいと考える。
それは、人の姿や人格の有する神ではなく、自然物や自然現象の多くを神格化したものだ。

山や森、海や川、動物や植物、土、巨石、巨木などの自然物…
火や水、雷や風などの自然現象…
これらは古来、人間がコントロールできない、してはならない「神」として畏(おそ)れられ、崇(あが)められてきた。
そして、日常の最も身近な神として、日々の平穏や無病息災を祈ってきた。
(最近では「トイレの神様」もいるようだから、今後は色々なモノも神様になるかもしれない…)

今日、この日本人の「畏れ」という美徳は、随分と軽んじられてきたように思う。
誤った安全認識と過信で、原発事故という未曾有の人災を引き起こし、まだそれにすがろうとするのも人間の愚かさではないだろうか。

人間の英知は素晴らしいが、自然に対する畏敬の念を失ってはならない。
科学や技術で自然と立ち向かうのではなく、自然との共存と感謝の精神こそ、大切にしなければならない。

今年は、例年にない寒さで桜花の下での「花まつり」、しかも日曜日となった。
祖母に連れられたお寺へ足を運び、子どもの頃の記憶へ「時間旅行」を楽しんでみたい。