花まつり

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2012年4月 8日 05:49

4月8日、今日はお釈迦様の誕生日だ。
潅仏会(かんぶつえ)や仏生会(ぶっしょうえ)というらしいが、車掌長には「花まつり」の方が馴染み深い。

祖母は生前、この「花まつり」に合わせて隠居の山里から我が家へ来て、近くのお寺へのお参りを欠かさなかった。
子どもの頃、この日が日曜であれば、祖母に手をひかれ共に参拝をしたが、その後買ってもらえる駄菓子や出店の焼きそばの方が当時は嬉しかった。

この日、各寺では花で飾った小堂(花御堂:はなみどう)がつくられ、桶の中に金属製の幼仏像を置き、甘茶が参拝者によってかけられる。
なるほど、仏にお茶を潅(そそ)ぐので「潅仏会」とはわかりやすい。

この「甘茶」という響きは、当時お砂糖の入ったお茶を連想させたが、振舞われたものを口にすると、苦かったような記憶がある。

もう30年以上も前の話だが、毎年、この日になるとそんな想い出がよみがえる…

祖母の名前は「ハナ」というが、まさにお花が大好きで穏やかな人だった。
耳がほとんど聞こえないので、世の中の喧騒や嫌な話題も聴こえず、笑顔の多い人だった。

祖母はお寺や神社、道端のお地蔵様にも手を合わせ、拝みごとや感謝を口にしていた。
車掌長もそんな祖母の姿に影響され、神社仏閣を訪れるのは好きであり、拝むことも大切だと思っている。
また、訪れた際には必ず御朱印をいただき、冊数を重ねる御朱印帳は旅の想い出でもある。

車掌長は、日本の宗教観の土台とも言える、八百万(やおよろず)の神の存在を大切にしたいと考える。
それは、人の姿や人格の有する神ではなく、自然物や自然現象の多くを神格化したものだ。

山や森、海や川、動物や植物、土、巨石、巨木などの自然物…
火や水、雷や風などの自然現象…
これらは古来、人間がコントロールできない、してはならない「神」として畏(おそ)れられ、崇(あが)められてきた。
そして、日常の最も身近な神として、日々の平穏や無病息災を祈ってきた。
(最近では「トイレの神様」もいるようだから、今後は色々なモノも神様になるかもしれない…)

今日、この日本人の「畏れ」という美徳は、随分と軽んじられてきたように思う。
誤った安全認識と過信で、原発事故という未曾有の人災を引き起こし、まだそれにすがろうとするのも人間の愚かさではないだろうか。

人間の英知は素晴らしいが、自然に対する畏敬の念を失ってはならない。
科学や技術で自然と立ち向かうのではなく、自然との共存と感謝の精神こそ、大切にしなければならない。

今年は、例年にない寒さで桜花の下での「花まつり」、しかも日曜日となった。
祖母に連れられたお寺へ足を運び、子どもの頃の記憶へ「時間旅行」を楽しんでみたい。
 

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