KILKERRAN

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2012年6月 5日 23:33

 今宵、前職の同僚と久々に再会。
在職中の思い出話や近況を聞き合った。

彼は入職して5年目だという。
他人の時の流れは速く感じるものだ。

5年という節目に思い出すお酒があった。
シングルモルトの「KILKERRAN」(キルケラン)だ。

詳しいウンチクはわからないが、車掌長がこのお酒を気に入ったのは次のフレーズ。
"Work in Progress"(ワーク・イン・プログレス)。
意味は「未完成」「発展途上」とのこと。

2004年に創業した蒸留所のファーストリリースが2009年。
つまり、5年物にして初めて「ウイスキー」として世に出したことになる。
そして、ラベルには先述のフレーズ…

車掌長は「発展途上」であることを、自ら申告したウイスキーに興味を抱いた。
今後は毎年、7年物、8年物…という具合に、その仕上がり具合や熟成の過程を確かめるのも楽しいと思う。

同様に、今日再会した同僚の、今後1年1年の成長も楽しみにしたい。
そして、5年後に「10年」の時間の経過と厚みを味わいながら杯を交わし、思い出話に華を咲かせたい。
車掌長はそんな「時間旅行」をできることが嬉しく、幸せなひとときだ。

日々、今週や来週に解決できるような業務内容ではないらしいが、彼ならきっと何かを成就するだろう。
拙速でなく、KILKERRANのように、時間をかけて…
小手先ではなく、大局を見極め、良い仕事をしてほしい。

 

過去に学びmust

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2012年6月 2日 05:50

 今日のタイトルは「過去に学びますと」と読む。
そして、「過去に学ばなければならない」という願いを込めている。
これは「哲×鉄」が大切にしたいと考える、時間旅行の柱の1つだ。

先日、福井県の原発が再稼働に向けて大きな舵を切った。
現在日本で稼働している原発はゼロである。
短期間ながら原発による電気を使わずに社会は動いていた。

このタイミングで政府が「脱原発」の方向や姿勢を打ち出したり、明確にすれば、新たな「未来」があったと思う。
もう原発は「稼働しない」と決まれば、新たな産業や技術、商品に目が向けられ、商売人は算盤を弾き始めただろう。
そして、そうした動きは世の中の新たな活力になる可能性があったと考える。

今回の首相の判断は「無哲学」な日本を露呈した。
再稼働を判断したのは、マンネリの顔ぶれ…
政府、電力会社、関係自治体首長の面々。

関西首長連合で原発に対する厳しい意見を出していたことに期待はあった。
しかしながら、鼻息の荒かった某市長も「敗北宣言」を出す有様に、多くの国民は結局パフォーマンス的に声高に叫んでも「変わらない」失望を抱いたことだろう。

そこで不思議に思うことがある。
「3.11」は何であったのかと…

いまだ収束などしていない福島原発の惨状や、生まれ故郷を失った方々の怒り、落胆は置き去りのままだ。
失敗から何も学んでいないこの国の態度を、日本中の子供や世界中の人々は見ている。

そもそも、原発の在り方について多くの識者が論じているが、哲学者や社会学者、文化人のようなジャンルの人がメディアに露出する場面が極めて少ないのが気になる。
「筋道」「筋論」から方向性を導こうとする声が聞けないのは残念でならない。

いまの状況は、すべて経済の「カネ勘定」で物事が優先され、「人」が犠牲になっている。
素人にはわからない専門的な用語や数値で「安全性」を唱えてもわからないし、そもそも言葉の使い方が間違っていないだろうか?

少なくとも、3.11以降、原発に対する多くの人々の認識は、「安全性」ではなく「危険性」だ。
危険性がどれほどかと説明した方が、よほど説得力があり、物事を考える材料になる。

原発は「事故が起きたら大変なのに、必要か?」
このシンプルな問いこそが全てではなかろうか?
「安全性」という言葉を平気で使うこと自体、結局3.11が教訓になっていないことを残念に思う。

地震大国日本に「絶対安全」はあり得ない。
そして、絶対でないなら再稼働してはならない。
それが時間旅行者である車掌長の「過去に学びmust」の答えだ。

 

コメント(2件)

たくちゃんさんからのコメント(2012年6月 3日 06:10投稿)

原発のことを語るとき、必ず引き合いに出されるのが
「ないとやっていけない」ということのようです。

…もっとシンプルに考えられないんでしょうかね。

処理に数万年(あるいはそれ以上)かかる
有害物質を子孫に残して、
現在の人間が死に絶えた後でも、延々残っていく。

これはもはや、「罪」ではないでしょうかね?

「倫理」という視点で論じることができない。
これはどうかと。
今がよければ、それでいい。
これはどうかと。

自分たちの力で完全にコントロールできないものを
扱うっていう事は、
「安全」なんてこととは
かけ離れていると思うんですがね?

増税だの何だという前に、考えなければいけない
「モラル」とか「倫理」とか
あると思うんですがね。

車掌長さんからのコメント(2012年6月 3日 09:24投稿)

たくちゃん 様

毎度ご乗車ありがとうございます。

「(原発が)ないとやっていけない」。
確かに財界を中心に聞き飽きるほど言われるフレーズですネ。

しかしながら、「ザイカイ」って一体誰なのでしょうか?
一括りにしているのでその張本人や顔ぶれが見えてきません。
いっそのこと、原発がなければやっていけない会社名や経営者を新聞の意見広告等で、一覧表にして主張してもらいたいです。

原発がなければ生産できないモノや、造られた商品に、何でも「eco」を銘打って販売するなら、そんな商品は買いたくありませんし、そもそも「eco」ではないし、「人に優しい」「地球にやさしい」というPRも本末転倒です。

また、目先の利益追求のために、新興国向けに大量消費を押し付けるための大量生産スタイルは、この勢いだと地球の環境が取り返しのつかない事態を招くのは必至です。

そして何よりも、僅か1円の円高で、数億円、数十億円の損失が発生してしまうような、今日の経済の仕組みや在り方に疑問を感じます。

今、日本のサラリーマンの大多数や、中小零細企業でモノづくりに勤(いそ)しむ真面目な人々の1人1人の給料が年々削られています。

その一方、徹底したリストラ大号令による人員削減の下、1人あたりの労働時間やこなす量は増大し、サービス残業も恒常化しています。
また、採用の扉が閉ざされた結果、若者の雇用も奪われ有名大学を出ても就職浪人する有様です。

そんな人々の努力や私生活の犠牲が、為替によって、一瞬にして吹き飛んでしまう…

これが「グローバル経済」であり、それを支えるために必要な「原発」であるなら、個人の「真の豊かさ」や「幸せ」「安心」はどこで担保されるのでしょうか?

つまり、「経済優先」で原発を稼働させても、シンクタンクのブレーンでさえ、将来の経済動向を言い当てることができない不透明な現代社会であるなら、人類的リスクや禍根を残すような原発を再稼働させるメリットが、どこにあるのかはなはだ疑問です。

「人の命」は「経済」や「技術」に優先する問題です。
そして、それを経済界、産業界、その他諸々の業界で理解し実行できる共通言語が、本来は「倫理」なのだと思います。

いま原発を再稼働させなくても、既に使用済燃料の安全保管や最終処理方法など、課題は山積です。

少なくとも、再稼働によってこれ以上使用済核燃料を増やしてはいけませんし、脱原発による代替エネルギーの開発や技術を、日本が本気で取り組めば、できない課題ではないと信じたいです。

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