東北新幹線開業30周年

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2012年6月23日 04:26

 本日、東北新幹線が開業30周年を迎えた。

1982年6月23日、大宮~盛岡間が暫定開業。
上野~大宮間は185系車両による「新幹線リレー号」が走っていた。

当時、車掌長は中学3年。
その時購入した記念切符が手元にある。
大宮駅から新白河駅までの各駅付近を、航空写真で俯瞰したデザインだ。

これは国鉄の東京北鉄道管理局が発売したものだが、今と比較するととても面白い。

大宮駅西口は、今は商業施設が林立しているが、当時は駅前まで住宅が見受けられる。
小山、宇都宮両駅も東口が再開発され、今とは全く違う。
那須塩原、新白河両駅にいたっては、駅前が新しい駐車場と田んぼしかない、という長閑(のどか)さだ。

さて、いよいよ手元にある開業時のJTB時刻表(通巻第676号)を開いてみよう。
開業当時の列車は速達版が「やまびこ」、各駅停車版が「あおば」であった。
車両は東海道新幹線0系をベースに耐寒耐雪設備を施し、出力もパワーアップした200系だ。
(この車両もそろそろ引退が近いだろう)

そして特筆すべきは、本数の少なさ。
上下合わせた全ての列車が、時刻表見開きの右側1ページに収まっている!
しかも、仙台以北については、定期列車は1日4本。
これは、ローカル線の「秘境駅」にも引けを取らない運転間隔(本数)である。

一方、ダイヤはどうか。
上野6:33発「新幹線リレー1号」で大宮から「やまびこ11号」へ乗り継ぎ、仙台9:14着、盛岡10:32着。
開業前の在来線特急「やまびこ」と比較すると、上野6:33発、仙台10:48着、盛岡13:01着。
大宮乗継の不便さはあっても、やはり「新幹線」は速かったといえる。

あれから時は流れ30年…

今や上野6:28発の「はやて11号」に乗れば、仙台8:11着、盛岡8:58着、新青森10:01着。
最高速度も大幅に引き上げられ、車両も逐次高性能化され進化を続けている。

移動時間が短くなったことは、きっと多くの人が喜び支持することは間違いない。
特に仕事や急用の場合は「急ぐ」ことが目的だから、新幹線は有用だ。

だが、その時間短縮によって生まれた時間で、人々は何を享受し、何を失ったのかここで一考する価値はあるだろう。

「移動時間」とは、普段過ごす土地や時間から旅先までの「日常」を離れる期待感や高揚感の醸造、或いは現地で見た風景や過ごした人との時間を消化する(整理する)ための貴重な「時間」だと車掌長は考える。

つまり、移動時間が短いということは、意識が日常の続きのまま旅先に着いたり、消化不良のまま日常生活に戻ってしまっていないだろうか?
せっかくの旅の「印象」や「余韻」という、生涯の「想い出」として形成される時間が足りないのではないか…と思ってしまう。
だから、旅から帰って単に「疲れた」という想い出しか残らないような気がしてしまう。

本来「旅」とは、行く前の自分と帰ってからの自分がどこか違うし、元気になるものだと思う。
そこを理解して「新幹線」や「航空機」を使わないと、せっかくの旅の効能が半減するだろう…

車掌長は今日貴重な存在となった夜行(寝台)列車の旅や、在来線特急、鈍行の旅をぜひオススメしたい。(今は急行列車というものが、ほぼ消滅したのが残念でならない…)

きっと、自分が所有する「自分の時間」が、どのようなものかを考える機会になるだろう。

東北新幹線開業30周年を迎え、祝意とともに、そんなことを考えた朝だ。

 

コメント(2件)

希望者挙手さんからのコメント(2012年6月25日 00:20投稿)

「青春18きっぷ」も発売から30年を迎えましたね。
しかし、その販売数は減少傾向にあるようです。

最近は特定の目的地を観光することだけが旅であるかのように、経済効率優先の移動手段が持て囃されているように思えてなりません。

私も車掌長同様、移動時間は旅の重要な要素だと思っています。
日頃の仕事や経済活動などに縛られた生活から抜け出したくて旅に出たはずが、まるで出張のような移動手段ばかりでは、日常生活を引きずったままの旅になってしまうのではないでしょうか。

徐々に日常生活から切り離されていく自分を実感し、旅を通じて変わってゆく自分とゆっくり向き合える「青春18きっぷ」の旅で、「自分の時間」を考えてみるのもいいかなと思いました。

車掌長さんからのコメント(2012年6月25日 05:12投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます。

希望者挙手さんに全く同感です。
最近の旅は提供する旅行会社も親切すぎて、本来一番楽しい部分であるはずの「プランニング」や「気まま」な部分をお客さんから奪い取っています。

例えば完全に出来上がったバスツアーなどは、バスに乗っていれば何の不自由なく、見たいものや食べるものが経験でき便利なようですが、行程をこなす「運動会」のように忙しいです。

旅行会社も安価にどれだけのことを盛り込めるかを競い合い、一体何がその旅の「目的」なのか、不明瞭なものが多いです。

また、何かトラブルや不都合があれば旅行会社や添乗員に文句を言う、歪(ゆが)んだものになっています。
旅にトラブルは付き物…
それも自分で考えて解決することが、旅の醍醐味です。

旅行業界もお仕着せの商品内容から、客が自分で創造できる旅づくりの手伝いやアプローチ、啓蒙ができないと、「ネット完結型」「旅行会社不要論」の道へ誘われる恐れがあります。

しかしながら、それは日本人の国民性とも言えます。
休みは「与えられるもの」という感覚があるから、その楽しみ方も出来合えのものが便利だし、そもそも主体的に関わる「時間」
がないのだと思います。

余暇を「余った暇」と書きますが、車掌長は"Vacation"の「空っぽになる」という捉え方が大好きです。
休みは仕事や日常生活の溜まったストレスを、「空っぽにする」からまた頑張れるのだと考えます。

いまや「青春18きっぷ」で旅ができる自由な発想の人々は、「お金持ち」などという古い概念ではなく、「時間持ち」という新たな価値の持ち主だと思います。

2件のコメントがあります → まだまだコメントお待ちしてます!

コメントはこちらからお願いします

名前

電子メール

コメント