「いつかはクラウン」に思う

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2012年12月29日 06:32

クラウンに乗る…
それは高度成長期における、日本の男社会のステータスシンボルだった。
「いつかはクラウン」というキャッチコピーは、車掌長よりも上の年代の多くの方々が、憧れ目指した名言。

かつて日本の車販売はセダンに巧みな階級を設定し、その所得や家族構成に応じた車種を豊富に取り揃えた。
トヨタを例に例えれば、カローラ→コロナ→(マークⅡ)→クラウンと、出世魚のように格を上げ、それらの車に自分自身を重ねてオーナーとなることに夢を描けた時代だ。

車掌長が自動車免許を取得した頃は、ワゴンの使い勝手の良さが認知され始めた時期。
そして、ステーションワゴンやミニバンと言った多用途な車種が支持され始めた。
車掌長も学生時代、中古の軽1boxを手に入れ、車中泊をしながら湯巡りや名跡訪問を満喫した。

ところで、先日14代目のクラウンの新車発表会があった。
度肝を抜かれたのは「ピンク・クラウン」。
渾身のデザインと若い女性の触手も動く…との読みらしいが、初日の出暴走等でお目見えする1980年代の「族車」をイメージしてしまった。
マーケティング・リサーチというものが、こういう奇抜なものを生み出すのだろうか?
はたまた、ご乱心の表れか…

トヨタのトップは新生クラウンに「日本市場の復活」や「ものづくりの死守」という言葉を使い期待を込めた。
ふと、これに似たような台詞を思い出した。
先日政権交代した政府の「日本を取り戻す」だ。

抽象的な言葉は、受け止める者によって様々な解釈を育む。
両者とも勇ましさは感じるが、虚しさを伴うのは何故だろうか…

それは、ごく普通に暮らせることを望む、圧倒的多数の国民の生活実態を与(くみ)していないからだ。
多くの真面目な庶民は、「いつかはクラウン」よりも「いつかは正社員」を切に望んでいる。
それが実現してこそ「いつかは…」という前向きな消費にもお金を費やせるのではないだろうか。

(追伸)
今年も残すところ2日となりました。
哲×鉄ご愛読の皆様には、心からこの1年の感謝を申し上げます。
ありがとうございました。

哲×鉄は何事もデジタル化する世の中にあって、アナログの魅力や価値を見出すことに主眼を置いています。
そして、その方法として過去のJTB時刻表を通して、時間軸で物事を見つめています。
単に昔を懐かしむのではなく、過去を振り返ることによって今を見つめ、今後を考えることを心掛けています。

単なる情報処理ならコンピュータに勝るものはありません。
しかしながら、情報の編集や応用は人間によるアナログの力が問われます。
そして、それができることが、今の時代を生きる力だと思うのです。
思考力、判断力、選択力、表現力、どれも人間にしかできないことです。

書店に足を運ぶと「○○力」といった本が売れているようです。
本来自分自身の中にあったはずのそうした「力」が、考えることも動くことも人任せの風潮の中で、いつの間にか衰退してしまったように思います。

人間は意外にも、アナログな生き方にあってこそ、その心持ちが豊かになれるのではないか…と感じた2012年の結びです。

末筆ながら、どうぞ良いお年をお迎えください。
そして、来年もご乗車(ご愛読)のほどよろしくお願いいたします。

 

コメント(2件)

たくちゃんさんからのコメント(2012年12月30日 05:13投稿)

マーケットリサーチ
この言葉が世に流通するようになって、ずいぶんになります。
市場を調査する
なんでこんなことをしなくてはいけないのか、
ほとほと疑問に思うワタクシです。

本当に必要な「もの」
それは、暮らしの中から出てくるものであったはず。
そして、
本当に社会や暮らしに「役に立つもの」こそが「必要なもの」であったはず。
そう思うんですなぁ。

ものづくりの死守。
現在、多数派が乗っかっているこの路線を見て、
ずいぶん奇妙な線路に乗せられているように見える
今日この頃です。

余計な機能の付け足しや、
必要以上に重きを置かれる「デザイン」。
そもそもデザインとは、工業的なものであったはずで、
それが今や、商業的な意味合いに取って代わってしまったようで。
まぁ、それを生業にしているワタクシに、
言う資格はないと言われればそれまでですが…。

あえて、言いたいんですな。
デザインとは、使い勝手の上にのみ、成り立つものだと。

仕事にプライドを持ってやっていきたいと、日々心がけ、
信じて、毎日を過ごしていきたいなと。
改めて思う、年の瀬でございます。

本年もワタクシのつたないコメントに
わざわざお返事くださった皆様、まことにありがとうございました。
最近、保線課は、開店休業状態となっております。
しかしながら、
「便りのないのはいい便り」
また、
「メンテナンスをすることなく、ずっと使い続けていただけている」
ことを、自分自身ちょっとだけうれしく思いつつ、
年の瀬のご挨拶とさせていただきます。

哲×鉄 保線課保線係 へっぽこ保線員
たくちゃんでした。

皆様、よいお年をお迎えください。

車掌長さんからのコメント(2012年12月30日 21:48投稿)

たくちゃん 様

毎度ご乗車ありがとうございます。

そして、本年も「哲×鉄」の無事の運行を支えていただきありがとうございました。

何はともあれ、完璧な保線あっての日々の車掌業務ですから…
来年はちょっとお願いしたい諸施設建設に関する「土木系」の相談もありますので、またお会いしたときに妄想を聞いてください!

さて、マーケティング・リサーチの話ですが、
市場調査も裏を返せば、効率主義の表われでしょうか。
つまり「売れないものは作らない」ということです。
売れないものはどんなものか、逆にどんなものなら売れるのか?を追及することがその目的かと察します。

しかしながら、全ての商売人にそんな勝ち戦ができるのか疑問です。
むしろ、売れないと思ったものが大ヒットしたり、売れると太鼓判を押したものが空振りに終わることもあります。
そんな時は「消費者のニーズを掴みきれなかった」の一言で終わりです。

つまるところ、占いと同じくらい不確かな手法であり、天気予報のように当たっても外れても恨みっこナシのルーチン・ワークということです。

そして、そんな不確かな占いごとのために、社員が大切なプライベートの時間を削ってまで、プレゼン準備や部署間の調整にサービス残業をして疲弊してしまうのは、どんなものでしょうか…
そのようなことに、多くの人が早く解放され、真に世の人々に必要とされるモノを自信を持って作り続けられることを願うばかりです。

そうでないと、賢い若者はきっと、そんな古い日本の会社社会に見切りをつけて、最初からヤリガイを実感できるアジア諸国へ流出するかもしれません。

たくちゃんさんが仰る通り、社会や暮らしの中で本当に役に立つものが「必要なもの」であり、それが「売れるもの」なのです。

そう考えると、巷にはいかに不要な物があふれ、それを買わせるために表面的な「流行」をつくり、無理に購買意欲を掻き立てている構図が見えてきます。
そして、流行で買われたものは多くが飽きるのも早く、廃棄され全くエコではありません。

また、デザインは人間工学そのもの。
人の動作や習性、感情を研究して、使いやすさの上に成り立つものだと車掌長も考えます。

そう考えると、旅や人生も「デザインする」という概念が、広義的には成り立つのでしょう。
自らデザインする「行き方」と「生き方」で、旅も人生も楽しみたいものです。
(車掌長もそう思えるまで、かなりの遠回りをしましたが…)

それでは、どうぞ良いお年をお迎えください!

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SEIKO Silver Wave

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2012年12月24日 07:05

昨日、腕時計の電池を交換した。
ここ6年ほど、仕事の都合で腕時計が使えず外して久しかったが、別の探し物をして出てきた。

いつの時点で電池が切れたかは不明だが、前回電池を替えた記憶は10年近く前だと思うので、外すようになって間もなく切れていた可能性が高い。

この時計はセイコーの「シルバーウェーブ」。
中学卒業時に、高校進学のお祝いにと父が買ってくれたものだ。

当時車掌長は、本来の志望校であった公立高校を、自分の強い意志で急遽、私立高校へ進んだ。
この選択には当時の担任教諭も、もっと偏差値の高い学校に進めるのにどうしたの?…と、突然の進路変更に驚いていた。(この偏差値という言葉自体、当時から好きな言葉ではなかったが)

何はともあれ、その学費を心配して、車掌長は店頭に並ぶ数千円のデジタル時計を所望した。
すると父は、「節目の時は永く使える良いものを買った方がいい」と言ってくれた。

店内に入り、ショーケースの中で綺麗に輝いて並ぶ時計から、「セイコー」のブランドを探した。
セイコーは昭和初期に鉄道時計として指定され、その正確さが魅力的だった。
そして、シンプルなデザインと防水性を考慮して、気に入ったものを選んだ。
値段は3万円近くにもなってしまった。

そんな大切な想い出のある時計の電池を、長い間切らせてしまい悔やまれた…
すがる思いで、近所の時計店に入り結果を待った。

預けて間もなく、電池交換をしてくれた初老の男性が一言。
「大切にお使いですね」と…。
受け取った時計は、息を吹き返したように時を刻んでいた。

車掌長にとって、その一言が素敵なクリスマス・プレゼントとなった。

折しも、年が明ければこの腕時計を買ってもらい30周年。
この再会に感謝し、ふたたび、これからの人生を共に歩んでゆきたい…

 

パーフェクション

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2012年12月22日 07:04

子どもの頃「パーフェクション」という玩具があり、よく遊んだ。
形状の異なる30個近い駒を、その形通りの穴に収容する単純なゲームだが、制限時間60秒以内に達成しなければならない。

不覚にもコンプリートできなかった場合、全ての穴が勢いよく持ち上がり、星一徹のちゃぶ台返しの有様となる。
いかにもアナログで昭和の遊びだが、とてもスリリングであり、複数名で囲んで遊べる共有感があった。
趣向は異なるが、黒髭危機一髪ゲームも誰の刀剣で黒髭の海賊が飛び跳ねるかが、無性に楽しかった。

さて、そんなパーフェクションの60秒なら、失敗しても笑える話だが、某ハンバーガーチェーンが先日発表した「60秒」には辛辣な心苦しさを感じた。
それは会計を済ませて60秒以内に注文した品が揃わなければ、次回使用できるハンバーガー無料券が貰えるというサービス。

そんなことをしなくても、今でさえ十分な速さで注文した品を出してもらえていると思うが、わざわざ時間制限を導入したのは、他社との差別化か、一時の話題性を狙ったのか…

来月4日から31日までの期間限定とはいえ、こうした過剰なサービスは後々標準化する懸念がある。
また、そのサービスを遂行するスタッフのストレスも相当なものであろうし、できない者は職場から排除されないか心配だ。

標準化と言えば、ふと別のシーンが頭を過(よぎ)った。
自動車の運転で車線変更する際や右左折時に相手が譲ってくれた場合、ハザードランプを点滅させることがある。
車掌長の記憶だが、25年以上前の学生時代には、これができると「ちょっと気の利く人」的なお礼の意思表示であった。

しかしながら、今や標準化され、これができないと「気の利かない奴」「無礼者」と受け止められてしまうようだ。
最近は街中を走る教習車でさえ、車線変更の際にハザードランプを点滅させたから、教習項目にもなっているのだろうか…

初めは「気の利く」サービスや仕草が、いつの間にかそれが標準化してしまう。
本来であれば、注文の商品をきちんと提供する、或いは運転の基本操作に専念すれば良いことを、制限時間への過度なプレッシャーや軽微な気遣いのために、ミスや事故を誘発すれば本末転倒だ。

また、そうしたことができないスタッフや運転者も、社会で働くし公道を走っていることを忘れてはならない。
もし、そのような人々は「働くな」「運転するな」といった排除論になれば、非常に悲しい社会だ。

前述の話に戻るが、もしも時間通りに商品が揃わず、ハンバーガーの無料券を渡されても
「No problem」と言って、心優しくお返しできるような人が一人でも多くいると、世の中とてもHappyな気分になれると思う。
また、そうした仕草や心持ちは「カッコイイ」「クール」なことだと思う。

 

コメント(3件)

たくちゃんさんからのコメント(2012年12月23日 05:31投稿)

僕もそのニュースを、ネットか何かで見ました。
サービスの標準化、という言葉に、以前あったことを思い出しました。

以前、人からの紹介で、初めてお仕事をさせていただいたお客様のことです。
まだ仕事になる前、つまりは見積もり段階で、
詳細な見積もりを出して、お持ちしたところ、
「で、おたくはこれからいくら引いてくれるの?」

仕事もしていないうちから、値引き交渉です。

こちらが何も提供していないうちから
サービスを求めるあつかましさ。
何より、こちらの技量も何も知らないのに
「こちらの要求どおり、やっておけばいいんだ」的な要求。
知り合いからの紹介でしたから、その場は適当な返事をしておきましたが、
それからそのお客様とは、お仕事をしていません。
いくつか引き合いはあったのですが、
あえてとんでもなく高い見積もりを吹っかけて
自然消滅させました。

商習慣といってしまえばそれまでですし、
それが駆け引きという方もいるとおもいます。
ですが、相手との信頼関係が成り立たないうちから
そのようなことをしてくるっていうのは
どうなんでしょうかねぇ。

ハンバーガーチェーンのトップの方々も
自分たちのスタッフが以下に優秀かを理解できていたら、
自分たちの提供する商品に誇りを持てているなら、
そんなことを軽々しくできるものではないと
思うんですがねぇ…

たくちゃんさんからのコメント(2012年12月23日 05:35投稿)

自分たちのスタッフが以下に優秀かを
→自分たちのスタッフが如何に優秀かを

…文章の確認をせずに投稿すると
このようなことになります。
まったく、プロとして恥ずかしいことで。

皆さんも、自分の発言にはくれぐれもお気をつけください。
インターネットは「メディア」です。
発言者には、責任がついてくるものです。
匿名性が高いからといって、
「ばれないからいいだろう」っていうのは
どうかと思いますねぇ…。

車掌長さんからのコメント(2012年12月23日 07:34投稿)

たくちゃん 様

毎度ご乗車ありがとうございます。

たくちゃんさんのエピソード、共感しました。
仕事とは、上下関係で位置づけられるものではなく、お互いの信頼関係で成り立つものだと考えます。

また、言い方を変えれば「パートナーシップ」とも言えます。
これは両者が対等の立場で同じ方向性を確認し共有することです。
そしてその信頼によって、双方に良い果実が実り、収穫ができるとイメージします。

車掌長の好きではない言葉に「下請け」というのがあります。
いかにも日本独特かつ固有な、マイナス志向の商習慣用語です。

この言葉を使い続けているうちは、日本は経済的にも精神的にも豊かにはなれないと思うのです。

リーディングカンパニーと呼ばれる、どの業種や分野にも君臨してきた大企業と、その傘下にいれば安住と思えた裾野の下請け業者が、今や壊滅状態です。

高度経済成長期なら成り立ったその親子関係も、いまはその親に体力がありませんから、子や孫はおろかグループ企業という、親類縁者まで、その親の介護や援助になけなしのお金や体力を消耗しています。

グローバル経済とは、大企業の傘下に長居すればするほど、或いは依存すればするほど、体力も情熱もストローのように吸い上げられ、弱体化を招いたように思います。

つまり、大企業が風邪をひいたり病気になれば、その親分を支えている中小零細企業は、もっとひどい症状を患い、見舞いに来てもらえるどころか、もっと忠誠を示せと言わんばかりの仕打ちを受けているように見えます。

結果、製品のクオリティを維持できず、リコールを頻発するような商品しか世に送り出せない有様です。
また、世界的なニーズに合わない不必要な高機能ばかりを開発することによって、エンジニアを疲弊させ、優秀な人材を国外へ流出させています。

しかしながら、今の世の中を肯定的に捉えれば、これまでは難しかった個人や中小零細企業の素晴らしい技術や魅力を、容易に自ら日本国内や世界に発信できることは良いことです。

某ハンバーガーチェーンの話に戻りますが、60秒以内に出すためには、常時全商品を一定数以上ストックしておかなければなりません。
つまり、作り置きです。

回転の良い集客規模の高い店舗ならまだしも、そうでない店舗ではアツアツのポテトは食べられないのでは…と気になります。

時間が経ってカラカラに乾いた固いポテトなら品質は落ちますし、作り立てをキープするために在庫を廃棄するなら、リーディングカンパニーとして、全くエコではないことをしていることになりますネ。

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京都に鉄道博物館

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2012年12月20日 05:50

昨日、JR西日本は京都に鉄道博物館を整備すると発表した。
開業は2016年春の予定で、国内最大規模になるという。

国鉄時代の1972年、鉄道開業100周年事業としてオープンした梅小路蒸気機関車館に隣接させることで、相乗効果も抜群と思われる。
展示車両も、蒸気機関車から新幹線まで約50両にのぼるらしく、特急「雷鳥」などで活躍したボンネット型の489系や世界初の電車寝台581系、新幹線の0系や500系を間近に見られるというから楽しみだ。

時を同じくして昨日、さいたまの「鉄道博物館」は英国国立鉄道博物館との姉妹館提携を結んだ。
これにより日英間の姉妹提携は、先述の梅小路機関車館と交通科学博物館(大阪市)に次いで3館目となる。

今回この2つのニュースは喜ばしいことで、鉄道が日本の誇れる文化として多くの人々に知れ渡り、親しまれることを願う。

しかしながら、鉄道は走ってこそその醍醐味がある。
その点で、いすみ鉄道は「動く鉄道の博物館」となりつつあり大変貴重な存在だ。
国鉄時代の気動車が今も、里山の風景の中をのんびり走っている。

全国的にJRは新しい車両の入れ替えに熱心だが、古いものを大切にメンテナンスして永く使うことの価値には疎いようだ。
もちろん、車両の更新はいつかは必要であり、新たな信号や通信システムに対応することは安全面でも不可欠だが、人手のかからない効率化ばかりが優先され過ぎれば「乗る」楽しみは薄らいでしまう。

その点において、イギリスの「保存鉄道」には日本が見習いたいものがある。
その数は100路線を超え、営業廃止になった今でも大切にされながら走っている。

ただ、これらの運営の多くはボランティアによって支えられているという。
そして、現場の運営のみならず、資金面でも鉄道愛好家や地域住民の手によって賄われているそうだ。
これは日本ではなかなか真似のできない、難しいことだ。

日本は何事も「共有」することが苦手だ。
狭い国土にこれだけ多くの人口がありながら、みな「個」を優先するあまり、社会的に「大切にしたい」「共有したい」物事のプライオリティが著しく低い。

また、新しいもの好きな国民性にビジネスも便乗して、壊れて直すよりも買った方が得という、全くエコでない「エゴ」な価値観が浸透しきってしまった。
人間も壊れたら治す時間さえ与えられず、新しい人間へ部品のように交換される「使い捨て社会」になって久しいのが嘆かわしい。

便利な世の中になったようだが、心の充足が得にくい昨今…
本来最も大切にされるべき「人」や「心」が安心する居場所は、いま一体どこにあるのだろうか。

慌ただしい年の瀬こそ、来年に向けて一考したいことだ。
 

 

新宿御苑大温室

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2012年12月17日 06:02

一昨日の寒い曇天から一転し、小春日和となった昨日、当車掌区全員で新宿御苑へ出かけた。
のんびり散策できることが目的だったが、もうひとつお目当てがあった。
先月リニューアルオープンした大温室だ。

車掌長は温室が大好きだ。
特に冬に訪れるのがいい。
寒い外気から隔離された空間は天国のような居心地…
そんな環境の中、日常は見られない熱帯の植物をのんびり観賞した。

外のカラカラ空気とは対照的な、高湿度の温室内は鼻腔にも優しく感じられ癒される。
また温室独特な甘ったるいような草花の匂いも好きだ。

ところで、温室と言えば井の頭自然文化園にある「熱帯鳥温室」に久しく訪れていない。
外観はJR中央線からよく見かけているが、近年は蔦の覆われ方に貫録が出てきて自然に還った感じさえする。
一瞬、天空の城ラピュタの世界をも想像させる。
調べたら1962年にできた施設とのことで、まさに半世紀の風格と言える。

また天気の良い穏やかな日に、専務車掌と車掌見習と一緒にぶらりと出かけてみようと思う。