京都に鉄道博物館

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2012年12月20日 05:50

昨日、JR西日本は京都に鉄道博物館を整備すると発表した。
開業は2016年春の予定で、国内最大規模になるという。

国鉄時代の1972年、鉄道開業100周年事業としてオープンした梅小路蒸気機関車館に隣接させることで、相乗効果も抜群と思われる。
展示車両も、蒸気機関車から新幹線まで約50両にのぼるらしく、特急「雷鳥」などで活躍したボンネット型の489系や世界初の電車寝台581系、新幹線の0系や500系を間近に見られるというから楽しみだ。

時を同じくして昨日、さいたまの「鉄道博物館」は英国国立鉄道博物館との姉妹館提携を結んだ。
これにより日英間の姉妹提携は、先述の梅小路機関車館と交通科学博物館(大阪市)に次いで3館目となる。

今回この2つのニュースは喜ばしいことで、鉄道が日本の誇れる文化として多くの人々に知れ渡り、親しまれることを願う。

しかしながら、鉄道は走ってこそその醍醐味がある。
その点で、いすみ鉄道は「動く鉄道の博物館」となりつつあり大変貴重な存在だ。
国鉄時代の気動車が今も、里山の風景の中をのんびり走っている。

全国的にJRは新しい車両の入れ替えに熱心だが、古いものを大切にメンテナンスして永く使うことの価値には疎いようだ。
もちろん、車両の更新はいつかは必要であり、新たな信号や通信システムに対応することは安全面でも不可欠だが、人手のかからない効率化ばかりが優先され過ぎれば「乗る」楽しみは薄らいでしまう。

その点において、イギリスの「保存鉄道」には日本が見習いたいものがある。
その数は100路線を超え、営業廃止になった今でも大切にされながら走っている。

ただ、これらの運営の多くはボランティアによって支えられているという。
そして、現場の運営のみならず、資金面でも鉄道愛好家や地域住民の手によって賄われているそうだ。
これは日本ではなかなか真似のできない、難しいことだ。

日本は何事も「共有」することが苦手だ。
狭い国土にこれだけ多くの人口がありながら、みな「個」を優先するあまり、社会的に「大切にしたい」「共有したい」物事のプライオリティが著しく低い。

また、新しいもの好きな国民性にビジネスも便乗して、壊れて直すよりも買った方が得という、全くエコでない「エゴ」な価値観が浸透しきってしまった。
人間も壊れたら治す時間さえ与えられず、新しい人間へ部品のように交換される「使い捨て社会」になって久しいのが嘆かわしい。

便利な世の中になったようだが、心の充足が得にくい昨今…
本来最も大切にされるべき「人」や「心」が安心する居場所は、いま一体どこにあるのだろうか。

慌ただしい年の瀬こそ、来年に向けて一考したいことだ。
 

 

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