サイクリング

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2013年10月 6日 06:16

今朝の新聞で、世界4大サイクリングコースに「しまなみ海道」が挙げられていることを知った。

アメリカのサンフランシスコ、ベルギーのブリュッセルと共に挙げられ、世界各国からサイクリストが訪れているという。
また、そうした動きも一因だろうが、誰でも迷わず走れる自転車道の整備が進んでいるそうだ。

しまなみ海道は、広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶ全長約70㎞の本州四国連絡架橋群。
多島美の風景の中を、様々なデザイン(構造)の橋で結び、渡ること自体にワクワクする道だ。

車掌長も15年ほど前に、独りでこの島々を結ぶ海道を自転車で走り渡った想い出がある。
当時は旅程に余裕がなく、三原からフェリーで生口島の瀬戸田に渡った。

ここでは、大好きな映画「転校生」のロケで使われた旅館"住之江”を見ておきたかった。
ここから眺める瀬戸田の港は、しばし時間旅行をしている錯覚に誘われた。
港に出入りする渡船をぼんやり眺めては、映画にも使われていた「トロイメライ」が幾度も脳裏を過(よぎ)った。
そして、まさに「子供の情景」を実感する、不思議な時間を過ごすことができた。

瀬戸田で名物「タコ飯」を食した後、自転車を借りて一路愛媛県を目指した。
電動自転車もあったが「自力」で渡りたかったので、迷わず「ノーマル」に跨った。
しかしながら、各橋を渡るために、その都度かなりの高低差を昇るのは結構キツく誤算であったが…

夕刻、最後の来島海峡大橋を渡って四国の大地が近づいてきた時は感無量であった…

その時は冬で、サイクリングコースも今ほどブームでもなく、観光客もサイクリストも少なかったが、きっと今では1年を通して人が多いのだろう。

それでも、世界的にも有名になったことを知り、多くの人に訪れてもらえれば嬉しく思う。
自動車で通るだけでも楽しく美しい道路だが、1日かけて走る自転車の旅は、何かが心を満たす充足感を味わえるだろう。

ただ、翌日の筋肉痛は多少覚悟しておいたが、そんなどころではなかったことも思い出深い。
 

コメント(2件)

希望者挙手さんからのコメント(2013年10月 6日 13:16投稿)

こんにちは 週末の昼下がりの乗車となりました。

サイクリングと聞いて、私が旅に魅せられることになったきっかけが「いつかは自転車で日本一周をしてみたい」と考えていたことを思い出しました。

私は小学生から中学生の頃にかけて「サイクル野郎」という、高校入学を断念した自転車屋の息子が自転車で日本一周武者修行の旅に出るといった内容のマンガに夢中になっていました。

私の日本の観光知識の源は「サイクル野郎」にあると言っても過言ではありません。

私はバイクで旅をするようになってしまいましたが、若い頃にユースホステルを利用していたのも、このマンガの影響です。

このマンガで「バイコロジー」(バイシクルとエコロジーを掛け合わせた言葉)という言葉も知りましたが、これは今でも通用する言葉だと思います。

中学が自転車通学で、5段変速のセミドロップハンドルの自転車を通学用に買ってもらい、中一の時に友達3人と自宅から当時開港したばかりの成田空港まで、往復150㎞以上の距離を日帰りでサイクリングしました。

高一の時にはバイトで稼いだお金で21段変速のツーリング用自転車を買いました。これは後日弟に貸した際、盗難に遭ってしまいました・・・ショックでしたね

小学生になって自分の自転車を買ってもらってから行動範囲が広がり、子供心にまるで翼でも得たかのようにあちこちに出かけましたね。それが今でも続いてしまってますが(笑
懐かしい思い出です。

車掌長さんからのコメント(2013年10月 6日 22:09投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます。

サイクリングにまつわる、素敵なエピソードをありがとうございました。
日帰りで150㎞走破や、お金を貯めて買った21段変速の話も、冒険心や、欲しかったものを手にできた喜びにとても共感します。

「サイクル野郎」は、お恥ずかしながら知りませんでしたが、希望者挙手さんの説明を拝見し、とても興味が湧いてきました。
ぜひ、"まんだらけ"で探してみようと思います。

それにしても、○○野郎というネーミングに懐かしさを覚えます。
「トラック野郎」という映画もありましたネ。

また、希望者挙手さんもユースホステル(以下YHとする)を使っていたことを知り、嬉しく思いました。

車掌長は中学時代に初めて利用しましたが、それまでは旅先で夜を明かすのは、夜行列車の直角の座席か駅の待合室でしたから、「宿泊する」という行為は、なんだか大人に近づいた感じがしたものです。

また、宿泊する際の予約等のやり取りは、基本的には往復葉書でした。或るお寺のYHを申し込んだ際、宛名には「御中」と付すのが礼儀です云々と、オーナーである和尚さんに忠告していただいたり、とても社会勉強になった思い出があります。

当時のYHは利用方法に様々なルールがありました。
原則、シーツや枕カバーは持参、夕食後は宿泊者同士のミーティング参加etc…、不便であったり、個人の自由は二の次であったり。

しかしながら、今でも高校時代にYHで知り合った方と交流が続いていることを思うと、今の世の中には、ほぼ絶滅した人と人とを有機的に結びつける仕組みであったと感じます。

世の中が豊かになって、人々は「快適さ」ばかりを求め過ぎた結果、自分の心地よい場所や環境ばかりが、関心の中心になってしまったと思います。

それは一見良いことのように思われますが、言い換えると、その快適さを邪魔する人や物事を嫌悪するようになったと言えます。
つまり、排除したり逃避する思考が浸透してしまい、「我慢」する心や多様性を「許容」する寛大さが失われてしまいました。

また、もう少し違った言い方をすれば、自分の心を開くことが苦手になったとも言える気がします。

ところで、話が長くなって申し訳ありませんが、ドロップハンドルと言えば、少年時代の憧れでしたネ!
特にブリジストンの「ロードマン」は、大人気でした。

一方、自転車の本来の機能とはかけ離れて突然変異したような、自転車も見受けられた時代でした。
巨大なリヤフラッシャーや、スポーツカーのような格納式ヘッドライトなどなど…

当時の子供たちが、ワクワクするような仕掛け満載のジュニアスポーツ車が懐かしいです。

余談ですが、昨今は自転車のスポーク部分にカラーボールを挟み込む少年が、すっかりいなくなってしまいました…

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