トイレにあった詩

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2013年10月18日 05:35

先日、やなせたかしさんがお亡くなりになった。

アンパンマン生みの親であり、心温まる歌や詩を沢山、この世に残してくださった。
そのことは、TVや新聞、雑誌で多くの方々が追悼の念を込め語っている。

車掌長も想い出がある。
それは、子どもころから家の便所にあった1つの詩だ。
「便所」としたのは、当時は和式だったので、その方が情感が湧く。

その詩は、正方形のタイルに挿絵とともに書かれていた。
全てひらがなだったので、小学校低学年でも読めたが、意味を理解できたのはもっと後のことだ。
便器にしゃがむと、ちょうど視線が向く位置に飾られていた。
母親が好きだった詩のようだ。

ほほえむことを
わすれちゃいけない
なみだはいまも
ながれているが
すぎてしまえば
いまはむかし
おもいだしちゃいけない
かなしいことを

おそらくこれで間違いなかったと思う
物心ついた時から、用を足すたびに見ていたので、今でも覚えているし、たまに思い出すこともある。

記憶に刷りこまれた言葉というものは、無意識ながらも、日々の思考へと変化してゆく…
やなせさんは、アンパンマンを通じて「絶対の正義などない」ことを教えてくれた。
そして、本当の強さとは「優しさ」であることも…

おそらく、その優しさを伝えたいために、どれほどのかなしいことや想いをしたのだろう…と想像する。

15年ほど前、まだ出来て間もないアンパンマンミュージアムを訪れたく、高知に行ったことがある。
やなせさんの故郷に創られた夢城は、多くの人の心のふるさとでもあると感じた。

やなせたかしさんのご冥福を、心からお祈りするとともに、その遺志を大切にしたい。
 

 

コメント(6件)

希望者挙手さんからのコメント(2013年10月19日 00:19投稿)

こんばんは

やなせたかしさんの詩はとてもやさしい響きで、それでいて凛とした気持ちになれる言葉ですね。
早速、子供たちに教えてあげようと思います。

やなせさんの詩といえば「手のひらに太陽を」が有名ですね。

私は子供たちが幼い頃、毎年、小学館の「えほんコンサート」に連れて行ってました。その時、やなせたかしさんが出演し、とても80歳を過ぎたおじいちゃんとは思えないほど元気に歌って踊り、子供たちに「勇気」と「やさしさ」を説いていたことを思い出しました。

もう一つ、私にとってやなせさんには特別な思い入れがあります。
それは三越の包装紙です。
やなせさんが三越の宣伝部の社員だったことは有名ですね。
あの「華ひらく」と名付けられた包装紙のデザインは、猪熊弦一郎三さんという画家が、私の出身高校の近くにある犬吠埼で海の波を見てひらめいたと言われています。
そこにMitsukoshiと筆記体で書き込んだのが、やなせさんだったんですね。

犬吠埼の波といえば、東映のオープニングの映像も犬吠埼で撮影されたと言われていますね。
あの「トラック野郎」も東映です(笑

あらためて、やなせたかしさんが残してくれたものを振り返ってみたくなりました。

希望者挙手さんからのコメント(2013年10月19日 00:21投稿)

「手のひらを太陽に」ですね。
大変失礼しました。

バイ、バイキ~ン!

希望者挙手さんからのコメント(2013年10月19日 00:25投稿)

「猪熊弦一郎さん」ですね。三が余計でした。
誤植だらけで申し訳ございません。

アンパァーンチ!

車掌長さんからのコメント(2013年10月19日 06:08投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます

最近のご乗車頻度、航空会社のマイレージサービスでしたら上級会員ですネ!
何かスペシャルなおもてなしを考えていますので、楽しみにしていてください。

車掌長も希望者挙手さんの知識の広さ、見識の豊かさには刺激を受けっ放しです。

三越の包装紙にそのようなエピソードがあったこと、お恥ずかしながら車掌長は知りませんでした。
百貨店の包装紙や紙袋というのは、ある意味、時代に流されずに変わらぬ「伝統の継承」が感じられ好きです。

希望者挙手さんご出身の近くにある犬吠埼も、そのようなエピソードを知って訪れると、目にする風景も違って見えそうです。

犬吠と言って思い出すのが、「急行犬吠」。
車掌長の子ども時代、房総への玄関を担っていた両国駅が懐かしいです。総武緩行線の黄色い電車から、行き止まり式ホームを房総各方面へ発着する急行列車を見ては、海への旅心が湧いたことを思い出します。

余談ですが、車掌長はあの辺りですと、銚子電鉄と屏風ヶ浦が大好きです。

ところで、「手のひらを太陽に」は今更ながら感銘を受けています。
子どもの頃から、何気なく歌ったり聞いたりしていましたが、歌詞の意味や奥深さには、世代を超越して誰もが生きるパワーをもらえる気がします。

特に、ミミズやオケラ、アメンボ、トンボ、カエルetc…
昆虫など小さな生き物に向けられた優しい眼差しには、ひときわ感動します。

人間にしてみればちっぽけな存在、いや存在すら認識されない者にも、温かな手を差し伸べる人柄には、自分の汚れを感じてしまうほどです。

希望者挙手さんからのコメント(2013年10月19日 21:31投稿)

こんばんは

マイレージ特典のおもてなし、ありがとうございます。楽しみにしています(笑

私の知識なんて、たまたま地元に縁(ゆかり)があったから知っていただけの事ですから、特別なものではありませんよ。

屏風ヶ浦は高校から歩いて行けたので、ロングホームルームで屏風ヶ浦に行って班ごとの鍋大会をやったことがありました。

「手のひらを太陽に」は、今でいうダイバーシティですね。
ダイバーシティという言葉が日本に根付いていない昔から、童謡を通して子供たち(私たち世代も含め)に多様性を受け入れることや生きることの喜びなどを教えてくれていたのですね。

オケラやアメンボを知らない子供たちが多い今の世の中に不安を感じることもありますが・・・私たちが人としてどう生きるべきか、自然とどう向き合うべきか、考えなければなりませんね。


車掌長さんからのコメント(2013年10月20日 06:24投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます

冒頭から余談で恐縮ですが、今朝の新聞広告で「サクラダファミリア」の完成時期が2026年を予定しているとありました。

1882年の着工以来、今日も建設が続いてますが、完成には300年はかかると言われていました。

しかしながら、建築技術の進化や、世界遺産登録後の入場者増加に伴う財源安定化によって、完成が大幅に前倒しされるそうです。
目下のところ、設計者ガウディ没後100年となる2026年の完成を目指しているとありました。
完成の暁には、ぜひ専務車掌と車掌見習に見せてあげたいと思います。

車掌長は昔からこの作品が気になっていました。
時間に殺伐とした現代、こんなに悠長に建設が続けられるその国の度量の深さや、文化・芸術に対する国民の理解や誇りに共感するのです。

日本であれば、すぐに結果が出るモノを作って算盤を弾き、新しいものができればすぐに飽きる…
そんな所業の繰り返しで、歴史の重みや時の連なりが紡ぐ文化的精神が育まれづらい国柄を憂うのです。

希望者挙手さんの仰る通り、ダイバーシティは大切にしたいと思いますが、お台場にある商業施設と間違う恐れもあります(笑)

それは冗談として、みんながみんな同じモノを所有し操られ、似たような価値観や方向性を志向する社会の流れは心配します。

そして、その本流から外れると、一挙に社会から疎外されたような扱いを受ける多様性の無さを残念に思うのです。

具体的にいま、車掌長が懸念していることは、学校におけるスマホ等の通信手段の持ち込みです。
本来、学校内では「不要」な道具ですが、持たない者が仲間外れにされたり、イジメに遭うのは理不尽なことです。

最も「多様性」を育む環境が担保されるべき学校で、そのような事態が日本各地で横行していたとしたら、悲劇です…

車掌長は誤解を恐れずに言えば、スマホ等はまだ人間が成熟していない未熟な者(子ども)が所有するべきモノではありません。

通学時や緊急性の高い事態の連絡手段としての有用性は認めますが、それ以外でその通信道具を使う場面は思い浮かびません。

そうであるならば、学校の教室内や敷地内は意図的に「圏外」にできないものでしょうか。
子どもが自主的に、或いは教師がその都度授業を中断してまで、スマホ等から関心を逸(そ)らすのは、困難であり合理的ではありません。
設備工事等でのコストは要しますが、国として考えても良いのではないかと思うのです。

そして、四六時中スマホ等に拘束されている何の生産性もない無意味な時間から、せめて学校で過ごす間は解放してほしいのです。

静寂さが必須の劇場では導入している施設も多いと聞きます。

その気になれば、できないことではないと思いますし、先見性のある私学なら既に行っていて、共感する親や子どもを確実に獲得するかもしれません。

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