トラベラーズチェック

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2013年10月25日 05:13

トラベラーズチェック(以下TC)の販売終了を、今朝の新聞で知った。

米クレジットカード会社のアメリカンエキスプレスは、来春3月末でTCの国内販売を終了するとのこと。
日本の銀行が、徐々に販売を終えていたことは知っていたが、TC発行では世界最大手のアメックスも終了させるとなれば、TCも絶滅の道を辿ることに拍車がかかるだろう。

「旅行小切手」とも呼ばれるTCは、海外渡航時に多額の現金を持ち歩かなくても済むように発行・販売されてきた。万が一、盗難にあっても再発行される安心感があった。
しかしながら、クレジットカードが普及し、その役割の終焉を迎えたことは否めない。

車掌長は、このTCを買うことが「海外渡航」を実感できるモノの1つだった。
特に、初めての海外渡航としてスイスに行った学生時代、憧れのパスポートを手に入れた後、銀行で購入した想い出が懐かしい。
周囲が就職活動で内定をもらっている頃、必死でバイトに明け暮れて旅費の捻出に余念がなかったが、車掌長の優先順位は、初の海外渡航実現の方が高かった。

TCのメリットを活かせるほどの金額ではなかったが、購入時にサインした時の緊張感や不慣れさは忘れられない。
この時は、英字で筆記体で書くものという認識であった。

いまや、カードでモノを買ってもサインレスの時代。
便利であり、日常的には合理的だ。

しかしながら、「サインする」という行為の意味や重みは大切にしたいと感じる。
 

コメント(2件)

希望者挙手さんからのコメント(2013年10月26日 01:47投稿)

こんばんは

これもコスト削減のためのペーパーレス化でしょうか。

私もTCで買い物するのが好きでした。
田舎町の小さなドラッグストアなどで使えると、「えっ!こんな所でも使えるの?」と思わず感動してしまったりして(笑

しかし、クレジットカードを持てない18歳未満の学生には、TCがあって助かったんですが・・・私の長女が高校の修学旅行で海外に行った際は1日分の現金とTCを持たせました。

以前、レコードのお話でも少し触れましたが、私たち世代は(私だけかな?)面倒臭いと思われる儀礼のような所作に、時間の経過や物体の感触が加わることで、様式美と満足感、達成感のようなものを得ていたように思えます(大袈裟かな?)

私はバイクに乗りますが、バイクって乗るまでが面倒で、バイク用のウェアを着て、ライディングシューズを履き、バイク置き場に行ってカバーを外し、キーロックを外し、ざっと異常がないか確認して(本来は、ネンオシャチエブクトウバシメ・・・わかるかな?わかんねぇだろうな)、エンジンをかけたら暖気して、ヘルメットを被って、グローブを付けて・・・ここでようやく跨れる、跨ったらミラーの位置を調整して・・・

実は自動車の方が気軽に乗り出せるんですね。
私はこの乗る前の儀式も含めて、バイクに乗ることが好きです。
さあバイクに乗るぞ!って気合が入りますし、何よりも仮面ライダーに変身したんじゃないかって位の気持ちになります(笑

あの仮面ライダーの変身ポーズだって、無駄な様式美ですよね。
変身中に攻撃されたらどうするんだ?なんて質問はナンセンスです(笑

話が逸れてしまいましたが、古き良き時代がまた少し遠くなるような寂しさがありますね(これも大袈裟か・・・笑)

遅ればせながら、とても良い買い物をされたようですね。
私も号車番号は迷わず30を選びます。私の誕生日付ですから(笑

超特急といえば、英語の車内放送では「NOZOMI Super Express ・・・」と言ってるんですから、日本語でも「超特急のぞみをご利用いただきまして・・・」なんて粋な放送をしてみても楽しいんじゃないかと思ってしまいました(笑

松鶴家千とせ でした(笑

車掌長さんからのコメント(2013年10月26日 05:18投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます

「わかるかな~ わかんねぇだろうな~」、最高でした!
すっかり記憶の御蔵に入っていましたが、ありましたネ。昭和の名言が。

昨今の便利さに慣れきった現代人には、なかなか理解できないであろう手間のかかる、面倒くさいモノ達への愛着や醍醐味…
まさにこのフレーズがピッタリです。

車掌長はバイクに乗りませんが、希望者挙手さんの仰る一連の動作をイメージすると共感します。

また、モノを動かしたり、コトを始めるまでのきっかけや準備、思考、点検、動作確認etc…
こうしたことの、どれかを怠けたり、欠ければ成立しない物事に、様式美や満足感、達成感、自分のスタイルを会得できるのだと思うのです。

今の世の中、本来最も楽しい部分を機械やスマホ、商売人が代わりにやってくれ、金銭と引き換えに結果のみを受け取っていますが、面白味に欠けると日々感じています。

ところで、新幹線のアナウンスで「超特急」を入れること、個人的には賛成です!
いまや全然「超」ではないのかもしれませんが、若い人は「チョ~○○」と日常言っているので、意外に定着する気も…(笑)

余談ですが、先日の念願だった新幹線0系サボ入手について、或る御方から嬉しいメールを頂戴しました。

それは「長いスパンで考えると歴史を伝承しているような、つまり貴重な財産を一時的に預かっているような気になったりする…まさにロマンです」と。(ご本人の了解を得ずに抜粋でゴメンなさい)

これにはパーフェクトに共感しました。

あのサボを手にし眺めていると、当時の人々が「超特急」に抱いた憧れや、走行時に目をシロクロさせたであろうスピードの感動が蘇るのです。
実際、車掌長の父も最初に乗ったときは、その速さに目が回ったと言っていました。

当時の車内放送では「超特急」と言っていたのかどうかわかりませんが、言っていたとしたら…と想像しながら、好きなウイスキーを味わうのも、なんとも至福なひとときです…

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念願成就

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2013年10月22日 22:25

今日、長年欲しかったあるモノを手に入れた。
その感激の余韻に酔いしれながら、一筆…

それが何であるかと言えば、東海道新幹線0系において、ごく短期間使用されていた「サボ」とよばれる金属製の列車種別&行先板だ。
サボとは「サイドボード」の略称だが、今日の列車ではまず見られない昭和の遺物。

1964年(S39)10月の東海道新幹線開業当初、列車の乗降口付近には次のようなことを表示する金属板が差し込まれていた。
「超特急 ひかり○号 ○○行」 ※実際には「号」と「行」は印字されていない

なお、この金属板サボは脱落等の危険もあったようで、開業から3年足らずで全て姿を消した。

車掌長はこの金属板が、欲しくて欲しくてたまらずにいた。
そして、都内で数か所、売っている店を見つけては、たまに訪れショーウインドウ越しの面会を楽しんでいた。
値段はどの店も似たり寄ったりで、「片手では少し足りない万円」という感じであった。
もちろん、すぐに手に入れられるような値段ではなかった。

日頃、色々なタイミングで専務車掌には、サボの魅力を熱弁。
「時速200㎞を耐え、東京~大阪間をバタバタ言わせながら(?)行き来していた、このロマン…どう!」etc

あいにく、専務車掌兼財務大臣様には、この魅力があまり伝わらなかったようだ。
しかしながら、度重なるその陳情の熱意には折れてくれ、このたび購入認可の運びとなった!

そして、いよいよ今日。
いつもは遠い存在だったガラスの向こう側のサボが、店主によって開錠され、手にすることができた。
それは、想像していたよりも重かった。

金属板には細かな傷が散見されたが、それがまた上述の通り、高速走行によるものかと思うと、愛おしくてたまらなくなってしまった。

いくつか候補があった中、車掌長は「超特急 ひかり30 東京」と書かれたものを選んだ。
この「超特急」という言葉が、また素晴らしいではないか!

所用先へ向かう途中であったが、電車での車中はニヤケ顔だったので、結構アブなかったと思う。

家に帰って、まずは専務車掌にお披露目。
専務車掌は車掌長の子どものような喜び方のほうが、面白かったようだ。
鉄道に限らずどんなジャンルであれ、「ホビー野郎」の妻は大変だと思うが心から感謝…

その後、ひとりで観賞。
その御供は先日いただいた竹鶴21だ。

折しも、来年は東海道新幹線開業50周年…
時の流れを味わいながらの美酒であった。
 

トイレにあった詩

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2013年10月18日 05:35

先日、やなせたかしさんがお亡くなりになった。

アンパンマン生みの親であり、心温まる歌や詩を沢山、この世に残してくださった。
そのことは、TVや新聞、雑誌で多くの方々が追悼の念を込め語っている。

車掌長も想い出がある。
それは、子どもころから家の便所にあった1つの詩だ。
「便所」としたのは、当時は和式だったので、その方が情感が湧く。

その詩は、正方形のタイルに挿絵とともに書かれていた。
全てひらがなだったので、小学校低学年でも読めたが、意味を理解できたのはもっと後のことだ。
便器にしゃがむと、ちょうど視線が向く位置に飾られていた。
母親が好きだった詩のようだ。

ほほえむことを
わすれちゃいけない
なみだはいまも
ながれているが
すぎてしまえば
いまはむかし
おもいだしちゃいけない
かなしいことを

おそらくこれで間違いなかったと思う
物心ついた時から、用を足すたびに見ていたので、今でも覚えているし、たまに思い出すこともある。

記憶に刷りこまれた言葉というものは、無意識ながらも、日々の思考へと変化してゆく…
やなせさんは、アンパンマンを通じて「絶対の正義などない」ことを教えてくれた。
そして、本当の強さとは「優しさ」であることも…

おそらく、その優しさを伝えたいために、どれほどのかなしいことや想いをしたのだろう…と想像する。

15年ほど前、まだ出来て間もないアンパンマンミュージアムを訪れたく、高知に行ったことがある。
やなせさんの故郷に創られた夢城は、多くの人の心のふるさとでもあると感じた。

やなせたかしさんのご冥福を、心からお祈りするとともに、その遺志を大切にしたい。
 

 

コメント(6件)

希望者挙手さんからのコメント(2013年10月19日 00:19投稿)

こんばんは

やなせたかしさんの詩はとてもやさしい響きで、それでいて凛とした気持ちになれる言葉ですね。
早速、子供たちに教えてあげようと思います。

やなせさんの詩といえば「手のひらに太陽を」が有名ですね。

私は子供たちが幼い頃、毎年、小学館の「えほんコンサート」に連れて行ってました。その時、やなせたかしさんが出演し、とても80歳を過ぎたおじいちゃんとは思えないほど元気に歌って踊り、子供たちに「勇気」と「やさしさ」を説いていたことを思い出しました。

もう一つ、私にとってやなせさんには特別な思い入れがあります。
それは三越の包装紙です。
やなせさんが三越の宣伝部の社員だったことは有名ですね。
あの「華ひらく」と名付けられた包装紙のデザインは、猪熊弦一郎三さんという画家が、私の出身高校の近くにある犬吠埼で海の波を見てひらめいたと言われています。
そこにMitsukoshiと筆記体で書き込んだのが、やなせさんだったんですね。

犬吠埼の波といえば、東映のオープニングの映像も犬吠埼で撮影されたと言われていますね。
あの「トラック野郎」も東映です(笑

あらためて、やなせたかしさんが残してくれたものを振り返ってみたくなりました。

希望者挙手さんからのコメント(2013年10月19日 00:21投稿)

「手のひらを太陽に」ですね。
大変失礼しました。

バイ、バイキ~ン!

希望者挙手さんからのコメント(2013年10月19日 00:25投稿)

「猪熊弦一郎さん」ですね。三が余計でした。
誤植だらけで申し訳ございません。

アンパァーンチ!

車掌長さんからのコメント(2013年10月19日 06:08投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます

最近のご乗車頻度、航空会社のマイレージサービスでしたら上級会員ですネ!
何かスペシャルなおもてなしを考えていますので、楽しみにしていてください。

車掌長も希望者挙手さんの知識の広さ、見識の豊かさには刺激を受けっ放しです。

三越の包装紙にそのようなエピソードがあったこと、お恥ずかしながら車掌長は知りませんでした。
百貨店の包装紙や紙袋というのは、ある意味、時代に流されずに変わらぬ「伝統の継承」が感じられ好きです。

希望者挙手さんご出身の近くにある犬吠埼も、そのようなエピソードを知って訪れると、目にする風景も違って見えそうです。

犬吠と言って思い出すのが、「急行犬吠」。
車掌長の子ども時代、房総への玄関を担っていた両国駅が懐かしいです。総武緩行線の黄色い電車から、行き止まり式ホームを房総各方面へ発着する急行列車を見ては、海への旅心が湧いたことを思い出します。

余談ですが、車掌長はあの辺りですと、銚子電鉄と屏風ヶ浦が大好きです。

ところで、「手のひらを太陽に」は今更ながら感銘を受けています。
子どもの頃から、何気なく歌ったり聞いたりしていましたが、歌詞の意味や奥深さには、世代を超越して誰もが生きるパワーをもらえる気がします。

特に、ミミズやオケラ、アメンボ、トンボ、カエルetc…
昆虫など小さな生き物に向けられた優しい眼差しには、ひときわ感動します。

人間にしてみればちっぽけな存在、いや存在すら認識されない者にも、温かな手を差し伸べる人柄には、自分の汚れを感じてしまうほどです。

希望者挙手さんからのコメント(2013年10月19日 21:31投稿)

こんばんは

マイレージ特典のおもてなし、ありがとうございます。楽しみにしています(笑

私の知識なんて、たまたま地元に縁(ゆかり)があったから知っていただけの事ですから、特別なものではありませんよ。

屏風ヶ浦は高校から歩いて行けたので、ロングホームルームで屏風ヶ浦に行って班ごとの鍋大会をやったことがありました。

「手のひらを太陽に」は、今でいうダイバーシティですね。
ダイバーシティという言葉が日本に根付いていない昔から、童謡を通して子供たち(私たち世代も含め)に多様性を受け入れることや生きることの喜びなどを教えてくれていたのですね。

オケラやアメンボを知らない子供たちが多い今の世の中に不安を感じることもありますが・・・私たちが人としてどう生きるべきか、自然とどう向き合うべきか、考えなければなりませんね。


車掌長さんからのコメント(2013年10月20日 06:24投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます

冒頭から余談で恐縮ですが、今朝の新聞広告で「サクラダファミリア」の完成時期が2026年を予定しているとありました。

1882年の着工以来、今日も建設が続いてますが、完成には300年はかかると言われていました。

しかしながら、建築技術の進化や、世界遺産登録後の入場者増加に伴う財源安定化によって、完成が大幅に前倒しされるそうです。
目下のところ、設計者ガウディ没後100年となる2026年の完成を目指しているとありました。
完成の暁には、ぜひ専務車掌と車掌見習に見せてあげたいと思います。

車掌長は昔からこの作品が気になっていました。
時間に殺伐とした現代、こんなに悠長に建設が続けられるその国の度量の深さや、文化・芸術に対する国民の理解や誇りに共感するのです。

日本であれば、すぐに結果が出るモノを作って算盤を弾き、新しいものができればすぐに飽きる…
そんな所業の繰り返しで、歴史の重みや時の連なりが紡ぐ文化的精神が育まれづらい国柄を憂うのです。

希望者挙手さんの仰る通り、ダイバーシティは大切にしたいと思いますが、お台場にある商業施設と間違う恐れもあります(笑)

それは冗談として、みんながみんな同じモノを所有し操られ、似たような価値観や方向性を志向する社会の流れは心配します。

そして、その本流から外れると、一挙に社会から疎外されたような扱いを受ける多様性の無さを残念に思うのです。

具体的にいま、車掌長が懸念していることは、学校におけるスマホ等の通信手段の持ち込みです。
本来、学校内では「不要」な道具ですが、持たない者が仲間外れにされたり、イジメに遭うのは理不尽なことです。

最も「多様性」を育む環境が担保されるべき学校で、そのような事態が日本各地で横行していたとしたら、悲劇です…

車掌長は誤解を恐れずに言えば、スマホ等はまだ人間が成熟していない未熟な者(子ども)が所有するべきモノではありません。

通学時や緊急性の高い事態の連絡手段としての有用性は認めますが、それ以外でその通信道具を使う場面は思い浮かびません。

そうであるならば、学校の教室内や敷地内は意図的に「圏外」にできないものでしょうか。
子どもが自主的に、或いは教師がその都度授業を中断してまで、スマホ等から関心を逸(そ)らすのは、困難であり合理的ではありません。
設備工事等でのコストは要しますが、国として考えても良いのではないかと思うのです。

そして、四六時中スマホ等に拘束されている何の生産性もない無意味な時間から、せめて学校で過ごす間は解放してほしいのです。

静寂さが必須の劇場では導入している施設も多いと聞きます。

その気になれば、できないことではないと思いますし、先見性のある私学なら既に行っていて、共感する親や子どもを確実に獲得するかもしれません。

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新聞配達

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2013年10月16日 04:50

今朝4時過ぎ、郵便受けに新聞が入っていた。

普段の日なら通常のことだが、今朝は台風26号が接近中で暴風雨の最中である。
こんな悪天候でも、ビニールに封入されきれいな状態で新聞を読めることに感動した。

毎年10月15日から1週間を「新聞週間」というそうだ。
新聞大会が行われたり、読者向けのキャンペーンもあるようだ。

車掌長が新聞を読むきっかけとなったのは、中学3年の課題だった。
2学期初日から1か月間、新聞のコラム欄を切り取ってノートに貼り、自分自身の意見や感想を書くというものだった。

文中に分からない語句があれば、辞書で調べそれも書き残した。
初めは要領を得ず、とても時間がかかったが、毎日提出して担任がたまに返してくれるコメントが嬉しく、次第にハマってしまったことを記憶している。

結局、10月1日にこの課題を提出できたのは、学年で車掌長1人のみであった。

今振り返れば、のどかな時代だった…
当時の先生も忙しかったに違いないが、子どもと向き合う時間は今よりも確保されていたと思う。
また、いまや新聞も「紙媒体」から「電子化」され始め、魅力のない無機質さを感じる。

毎朝、新聞を取りに行く時のワクワク感や、これを毎朝配達してくれる人への感謝。
日々、そんなことを感じて読んでいるが、今朝は殊更に感謝の念が深まった。

世の中は、「おたがいさま」で動いている。
新聞配達で頑張っている人がいるように、車掌長自身も人知れず誰かの役に立ったり、喜ばれるような仕事や物事を心掛けてゆきたいと感じた台風の朝であった。
 

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希望者挙手さんからのコメント(2013年10月16日 23:37投稿)

こんばんは

今朝は朝7時前に家を出て、会社に着いたのが12時でした!

新聞といえば、今年亡くなった父親が新聞の集荷や配達の仕事をしていたこともあり、私には色々な思い入れがあります。

私の子供たちには、小学生新聞、中学生新聞と読ませてきました。
それも、ただ読ませるだけでなく、読者特派員に登録してました。

長女は中学2年生の時に、母校を紹介した記事が掲載されました。

二女は小学5年生の時に生協の取材をした記事が掲載され、中学3年生となった今年の8月には、三浦雄一郎さんにインタビューした記事が掲載されました。この取材には私も同行させていただき、憧れの三浦雄一郎さんにお会いしました。(私は若い頃、三浦さんに憧れてK2のスキー板を愛用してました・・・笑)

この年末には来年の干支にちなんだ特集を企画しているとのことで、乗馬をする次女に取材依頼がありました。

新聞を通して、子供たちが情報を受け取るだけでなく、発信することも学んでくれればと思います。
そして、何よりも新聞紙に掲載される喜びを通して、デジタルとは違った紙媒体の有機的な伝達力を感じ取ってくれることを願っています。

車掌長さんからのコメント(2013年10月17日 05:10投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます。

昨日、台風でも新聞が配達されることに感動した話を記しましたが、同じ未明に伊豆大島では最悪な土砂災害が起き、その被害の甚大さに胸が痛む想いです…
まだ行方不明な方が多数いますので、その方々の生存と救出を願うばかりです。
きっと真夜中の惨事で、寝たまま逃げることもできなかった人が多かったと察します。
惜しくもお亡くなりになった方々へは、この場を借りてご冥福をお祈り申し上げます。


昨日の交通麻痺は本当に大変でした。
車掌長も通常1時間で行けるところが2時間を要し、何か悪いことをした訳でもないのにまさに「倍返し」されてしまいました。

ただ、いつもと違うルートを経験から選択し、実証する楽しさは味わうことができました。
そんな中、多くの人がスマホ片手に右往左往する姿を拝見しました。きっと、大災害の時はもっと混乱するのだろうなと感じました。

スマホを代表とする今日のベンリなものは、通常時は確かに便利ですが、異常時は意外に「?」だと感じます。
特に、電池が切れたなら何の役にも立ちません。

日頃から車掌長は、もし、ここで交通がストップしたらどうするか…と遊び半分でシミュレーションしていますが、そんなことが役に立つものだなと思いました。

ところで、とても素敵なエピソードをありがとうございました。
お亡くなりになったお父様や娘さんたちの新聞にまつわるお話、共感しました。

車掌長も昔、新聞の集荷所で刷られて間もない新聞を触ったことがあります。
季節が冬だったこともありますが、その温もりに感動しました。

また、娘さんたちの読者特派員の経験も素晴らしいことです。
記事を起こすということは、あらゆる感覚を駆使します。

そして、文章を書くということは、自分の考えを整理することです。
希望者挙手さんの仰るとおり、単に情報を受け取るだけでなく、発信すること、つまり自分の考えを表明できる力を養う機会があったことは、一生の財産になると思います。

娘さんご自身の記事が掲載された「新聞紙」はまさに宝物ですネ。
単にデジタル信号が文字に化けて液晶画面に映る虚像ではなく、手にすること、広げることができる「かたちあるもの」ならではの感触が、紙の魅力だと感じます。

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10月10日は「体育の日」

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2013年10月10日 05:42

今年の体育の日は10月14日。

全くピンと来ない…
車掌長にとって、10月14日は「鉄道の日」だからだ。(これも元々の名称は「鉄道記念日」)

そもそも、体育の日がなぜ10月10日なのかという「大切な意味」を忘れてはならない。
この日は言うまでもなく、1964年に東京オリンピックの開会式があった日だ。

当時の映像を見たり、記録を読むと、その日はパーフェクトな快晴だったことがわかる。
映画「三丁目の夕日'64」でも追体験した、ブルーインパルスが競技場上空で描いた五輪マークも、さぞかし青空に映えたに違いない。

また、この日に向けて世界中からの観客を招き、誇示するために建設を進めた、首都高速や東京モノレール、東海道新幹線の開通や開業が、一大国家イベントに花を添えた。

記念日とは、「その日」だからこそ意味があるのだとつくづく思う。
3連休にするために第二月曜日と定め、日付が毎年変わるのは残念でならない。
また、医療機関や学校等、年間に何日も月曜日が休みになり、その代替調整で迷惑を被る当事者や利用者も多いと察する。

わざわざ祝日の由来を希薄にしてまで、3連休を増産し、それも経済効果のためかと思うと、何でも「カネ勘定」の社会につくづく寂しさを実感する。

本日10月10日は「体育の日」であったことと、その由来を大切にしたいと感じた朝であった。
 

コメント(2件)

希望者挙手さんからのコメント(2013年10月11日 00:16投稿)

こんばんは

私も第2月曜日や第3月曜日の祝日は、国民の休日でいいんじゃないかと思っていました。

市町村合併で首を傾げたくなるような名前の市がたくさんできた時にも似たような感覚を持ちました。

それは、もう名前の由来など歴史的背景はおかまいなしの、経済優先、妥協の産物といったところでしょうか。

歴史が作り上げた美しい名称や慣習を軽々に投げ出し、近頃の日本は歴史を軽視してるんじゃないかと思えることが散見されますね。

鉄道の日といえば、娘が小さかった頃、阪急電車のイベントに毎年出かけていたことを思い出します。
その時にもらった「梅田」行きの側面方向幕の切り取りは今も大事に持ってます(笑

車掌長さんからのコメント(2013年10月13日 05:14投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます

今朝は昨日までの季節外れの暑さから一転、だいぶ肌寒く感じます。不意に風邪などひかぬよう、お互いに気を付けたいものです。

希望者挙手さんの仰る通り、平成の市町村合併も後世への「負の遺産」だったと思います。
地名の歴史的な由来が損なわれたり、距離感や位置感が全くわからなくなったり、難読クイズのような市の名称が、バラエティ番組のように誕生しました。

目先の財政支援をもらうために、合併のデメリットをよく精査せず、性急に事を運んだ自治体も多かったように感じます。

きっと、その合併された中心部に人口が集中したり、行政サービスが偏ったりして、スケールこそ違いますが「プチ東京化」を招く懸念があります。

交通の便が良くなり過ぎるのも、人口流出に拍車をかけると言えます。
高速道路ができれば、医療を受けられる時間が短縮されるというメリットをよく見聞しますが、そもそも、そこまで行かないとそのような医療サービスが受けられないことが問題のように思うのです。

それもやはり「効率性」が見え隠れします。
おそらく昔は各市町村に、一通りの病気は診ることのできる町医者が存在したのに、いまは車で数十キロも走らないと、風邪さえ診てもらえないような状況なのだと察します。

今後、人口がますます減る中で、更に東京一極集中に見られるような人口流出が続けば、新たに合併した市町村もその存在が危ぶまれます。

そうなると、更に広範囲な合併を唱える人が出てくると思いますが、それはもはやイタチごっこの様相です。

効率性ばかりを追求すればするほど、人の心は刹那的に大きなものや便利なもの、安易な物事へ気持ちが移りたがるものです。

話を元に戻せば、地名や市町村名の由来を大切にせず、双方に利害の及ばない命名の産物が、人心の離れるきっかけになるのを心配します。

話が長くなって恐縮ですが、学校の統廃合で母校の名前が変わってしまうのも空しさを感じる今日この頃です。

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