今年の新人

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2015年3月30日 05:28

春はこの国において、大きな節目の季節。

学業の進級、進学、卒業や、新社会人となる入社や異動、転職etc…
年度を境に、暮らしに関わる制度や仕組みも変わることが多い。

今朝の新聞に、こんな記事があった。
"今年の新人は「柔軟に書き直せる消せるボールペン型」"と。

これは、公益財団法人の日本生産性本部が、毎年入社シーズンを前に発表する新入社員のタイプ命名だが、その特徴分析結果が、とても面白く興味深い。
以下、命名の理由を引用。

見かけはありきたりのボールペンだが、その機能は大きく異なっている。
見かけだけで判断して書き直しができる機能(変化の対応できる柔軟性)を活用しなければもったいない。
ただ注意も必要。
不用意に熱を入れる(熱血指導する)と、色(個性)が消えてしまったり、使い勝手の良さから酷使しすぎると、インクが切れてしまう(離職してしまう)。

ちなみに、この命名の歴史は比較的古く、1973年から行われているとのこと。
早速、車掌長が社会人となった1990年を調べたら、「タイヤチェーン型」とあった。

その命名理由(解釈)は、「装着大変だが、装着の具合次第で安全・駆動力OK」とのこと。
他の年にも目をやると、どの年も流行ったり、話題になったことなど、世相を反映していて、今振り返ると面白かったり、味わい深いなぁ…と感慨に耽(ふけ)った。

ところで、「消せるボールペン」というのは、車掌長が新入社員の時代にはなかった。
車掌長は、「消せない」からこそ、ボールペンや万年筆を愛用していた。

間違えれば、横棒を引く。それが気持ち良かった。
そうすれば、自分が間違った思考や書き誤まるクセの航跡がわかる。

特に、私的なメモや、学生時代のノートは、全て万年筆を愛用した。
インクは「ブルーブラック」。
ペン先は中字の「M」。

これは、社会人になっても使い続け、専門学校教員時代まで約10年ほど使っていた。
最後は、同軸が折れ使えなくなったが、想い出深い相棒であった。

今は、仕事上、よく紛失してしまうので、100円前後のボールペンを使い捨てしているが、何か大切なものに向き合って書く際は、愛用しているボールペンを使っている。

「書く」という動作は、日常では少なくなっているが、共に時を刻む相棒の存在は、頼もしいと思える。

今年の新人が「消せるボールペン」なら、車掌長はさながら、「消せない記憶の中を流離うトラベラー」だろうか…

今年の新人を例えた筆記具から、昔のことを思い出す時間旅行を、ひととき楽しめた。
 

柏戸イス

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2015年3月24日 05:23

先日、久々に「一目惚れ」という感覚を味わった。

そのお相手は椅子。

今月初め、所用で某学校を訪れた際、ロビーに置かれていた椅子だった。
ドッシリとした重厚感と、それとは裏腹に木目の優しさと美しさ、温もりを感じた…

遠くから眺めてもインパクト大。
散々見つめたあげく、ようやく座ってみると、絶妙な包まれ感…

思わず、これが欲しくなり、どこのメーカーなのか気になったら、控え目な銘板が貼られていた。
そこには「天童木工」とあった。

早速、家に帰って天童木工を調べたら、その椅子の名前もわかった。
「柏戸イス」とあった。

その由来は、山形県出身の大横綱「柏戸関」が横綱昇進の際、この椅子を寄贈したとのこと。

価格も横綱級…
とても手が出ない。

この柏戸イスがきっかけで、或る日、天童木工の東京ショールームを訪ねてみた。
場所は浜松町駅から歩いて5分ほどの静かな場所だった。

玄関のこじんまりしたロビーは無人だったが、見学希望の旨を伝えたら、係の人が付き添い館内を案内してくれた。そして、車掌長が某学校で柏戸イスに一目惚れした話をすると、その学校名を言い当てた。

このショールームにも、柏戸イスが鎮座していた。
早速、一礼をするような想いで腰をかけてみた。

先日座った時と同じ、至福な座り心地が蘇った。
係の人は、説明を続けてくださり、素材や工法など1つ1つが手間のかかることばかりであった。

そして、気に入ったのが「どんなにお金を積まれても、作れない場合もあります」との一言。

それは、素材となる木材の乾燥に20年を要するからだという。

また、天童木工さんで販売している机や椅子、棚などは、創業以来そのデザインを変えていないシリーズもあり、そのお宅で二世代、三世代に渡って、修繕しながら使われるものも多いという。

きっと、そのテーブルや椅子には、時の流れが造形した丸みや手触りの温かみがあるのだろう…と羨ましくなった。

車掌長も、20年後の自分へのプレゼントに、柏戸イスを注文したくなったが、仮に支払が20年後でも構わないと言われても、手が出せないだろうな…と、高嶺の花ならぬ「高値の椅子」にため息をついた。

しかしながら、ほんのひととき、心豊かになれる一目惚れした椅子との出逢いに感謝し、味わい深いショールームを後にした。
 

特急が来なくなった駅

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2015年3月14日 05:55

金沢6時00分発、「かがやき500号」が間もなく出発する。

北陸新幹線開業の一番列車だ。
新聞やテレビは、お祝いムードに満ち溢れ、その喜びや賑わいを伝えている。

無論、この日を待ちわびた北陸の方々の「悲願」は達成され、心から祝うべき日と言える。
今日から、首都圏と金沢は最速2時間28分、富山は同2時間8分で結ばれる。

「速い」…

かつて、在来線の特急「白山」が碓氷峠を越え、金沢まで6時間余りを要した時代を知っている者にとっては、驚愕的な速さだ。
また、寝台特急「北陸」や夜行急行「能登」が一夜をかけて走った道のりも、もはやその必要性がない時間的な距離になってしまった。

一方、北陸新幹線開業の陰で、日々の暮らしの利便性を損なわれる駅や地域があるのも忘れてはならない。

例えば、富山と金沢の間にある高岡駅。

新幹線の駅も新設されたが、従来の駅とは離れた場所にある。
そして、従来の駅はJRから第3セクターの鉄道会社に移管され、昨日と今日とでは全く違う駅になってしまった。

最も変わってしまったのが、特急がなくなったこと。
昨日までは、大阪、名古屋、新潟を直通で結ぶ特急や、越後湯沢経由で東京へ連絡する特急が、ひっきりなしにホームに滑り込み、寝台特急「トワイライトエクスプレス」も停車する賑やかで華やかな駅だった。

しかしながら、今日からは特急が1本も通らない駅となってしまった。

特に、今まで乗り換え無しで大阪、名古屋方面へ直通し、それぞれの朝一番の特急に乗れば、両都市に9時前には到着できた。

今後は、新幹線で金沢駅で乗り換えても、その時間には到着できない。
また、日常の通勤通学で利用する人々の運賃も値上がりとなる。

北陸新幹線の開業で、首都圏との結びつきは飛躍的に高まり、強まるだろう。
そして、そこを往来する人々に限っては、利便性が向上し良い話であっただろう。

ただ、それは日常をそこで暮らす人々の利便性も保持されたり、向上することと同時進行でなければ、諸手を挙げて良い話とは言えないと思う…

高岡に限らず、新幹線の速達タイプの列車が通過する駅は、どこも同じような課題や問題を少なからず抱えていることだろう。

願わくば、並行在来線はJRのまま、今までの利便性を確保した上で、北陸新幹線の開業も迎えられたなら、どれほど良かったかと思ってしまう。

そうすれば、トワイライトエクスプレスも、車両老朽化という表向きの廃止理由ではなく、もう少し長く北陸本線を走ることができたかもしれない。

JTB時刻表3月号の北陸地域の頁を眺めながら、一抹の寂しさを感じるダイヤ改正の朝であった。
 

コメント(2件)

ちゃべさんからのコメント(2015年3月14日 07:41投稿)

おはようございます。
ご無沙汰をしています。
昨夜、家族で高岡駅へ特急列車にさよならをしてきました。
帰宅してから、哲さんのHPを開きましたが、コメントかけないまま、寝てしまいました。
起きてから、また書こうと思っていたら、
北陸本線関連の記事。
嬉しいです。
今朝のこちらの朝刊は、お正月かと思うくらいに分厚いです。
今、はくたかの1番列車が金沢に到着したそうです。
東京に、かがやきの1番列車が着くころは、職場に行かなくては。
コメントは、このあたりで途中下車させていただきます。
失礼しました。


車掌長さんからのコメント(2015年3月14日 14:58投稿)

ちゃべ 様

このたびは、「哲×鉄」ブログ本線にご乗車いただきまして、ありがとうございました。
ご出勤前の忙しい時間に初のご乗車、とても嬉しく思います!

そして、そちらの新聞が「お正月かと思うくらいに分厚いです」との表現は、開業の祝賀や慶びがストレートに伝わり、とても素晴らしかったです。

昨日は、ちゃべさんご家族で、特急列車往来の最後を見届けたとのこと、その惜別の想いに共感いたします…
子鉄(!?)のK君もさぞかし、もう特急の来なくなることを不思議に思ったことでしょう。

高岡駅は、旧北陸本線と城端線、氷見線、万葉線が乗り入れる交通の要衝です。
もちろん、今も鉄道会社がJRから移管されてもその線形に変わりはありませんが、各方面からの特急が通らなくなったことは、北陸新幹線開業のデメリットかとお察しします。

車掌長は、高校2年の夏に、初めて高岡駅で降りて城端線や氷見線に乗りました。
当時は両線とも、まだディーゼル機関車が客車を牽く列車が残っており、気の向くまま、砺波や雨晴(あまはらし)で途中下車しました。

特に、氷見線の雨晴海岸は大好きになり、数年後に祖父母や父母と家族旅行で再訪し、構えの立派な民宿にも泊まりましたし、高岡の大仏様にもお会いしました。

また、「高岡」という駅名を初めて知ったのは小学生の頃で、「藤子不二雄」の両氏が漫画家を志し、故郷である高岡から夜行列車で上京するシーンを漫画で見た時でした。

世界的なアニメである「ドラえもん」をこの世に誕生させたお二人の旅立ちが、この高岡駅だったことは、大変感慨深いことです。

末筆ながら、ぜひご家族皆さんで東京へも遊びにいらして下さい!
ちゃべさんご家族の人数でしたら、当車掌区でお泊りいただけます。
その際の宿泊料は、「ホタルいかの素干」でお願いいたしますネ(笑)

これを機会に、ぜひ、またのご乗車をお待ち申し上げます。

2件のコメントがあります → まだまだコメントお待ちしてます!

山陽新幹線の想い出

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2015年3月10日 05:27

本日、山陽新幹線は開業40周年を迎えた。

1975年3月10日、岡山~博多間が延伸開業し全線開通。
東京~博多間が新幹線で結ばれ、首都圏と西日本・九州相互間の移動が時間的に身近となった。

車掌長は開業数週間後となる、小学2年生の春休みに初めて新大阪以西を乗った。
父方の祖母と姉妹・従兄弟の親戚一同の十数名で、島根県の知人宅へ行く旅行であった。

旅行の手配をしたのは父であった。
旅行前、時刻表を見ながら行程を考え、算盤(そろばん)で運賃計算をしていた姿を覚えている。
まだ電卓が高価だった時代であり、我が家には無かった。

東京から6時始発のひかり号で広島へ行き、芸備線に乗り換えて三次まで。
更に、そこから国鉄バスを2回乗り換え、2時間ほど走った山間部のバス停に降り立った。

それは午後3時か4時近かった頃だったと思う…
そして、大人たちの交わした会話が印象深かった。

こんなに遠いところまで、こんなに早い時間に着けるのは、さすが新幹線だね、と。

車掌長は、訪問した知人宅の家の大きさに圧倒された。
また、玄関を入った土間に牛が飼われていたり、厠(かわや)が外にあるのに驚いた。

夜は、その土間を通って用を足しに行くのが怖くて、大人が行くタイミングに合わせて行った。

面白かったのは「五右衛門風呂」。
大人2人が入れるような大きな釜に、板が浮いていて、それを踏み沈めながら入る風呂だ。

日常の生活様式とは全く違う異次元空間に戸惑いながらも、年上の従兄弟がキャンディーズのモノマネをして笑わせてくれたのが、とっても楽しかった…

翌日、出雲大社に行ってもう1泊し、最終日は宮島を訪れて、夕刻の新幹線で帰路についた。

これが車掌長の初めて山陽新幹線に乗った想い出…

あれから40年の月日が流れた…
キャンディーズが大好きで、後楽園のサヨナラコンサートにも行ったという、年上の従兄弟は、数年前に病で亡くなってしまった。

そして、父の姉妹がお世話になったというその島根の知人は、戦争のときに、援助をしてくれた方だったと記憶している。

折しも、今日は東京大空襲のあった日から70年。
10万人以上という、想像を絶する犠牲となった方々の御冥福をお祈りたい。

また、年上の従兄弟のYちゃんには、よく遊んでもらった想い出に感謝し、御冥福を祈りたい。
遥か天上でも、スーちゃんを応援したり、逢えているかも…などと思いつつ。

 

積雪だより

カテゴリー:⑤番線:feel the season方面 2015年3月 2日 05:19

先日、某スキー場の積雪が500㎝を切った。

車掌長はこの時期、日々読む新聞の1つで「積雪だより」を確認するのが楽しみの1つ。
スキーシーズン到来とともに設けられる小欄だが、各地のスキー場の冬景色が想像できる。

掲載されているのは、東北から関東北部、中部地方の80余りのスキー場。
どこもまだ全面滑走可だが、100㎝を切ったところも出始めた。

1月下旬から2月上旬にかけてが、積雪のピークだったと記憶している。
以降、日々減り始めた積雪量に、ゆっくりながら春が近づいていることを数字から感じられる。

ふと、スキーもだいぶやっていないな…と。

記憶を辿っていけば…
「イナバウアー」が流行語大賞になった頃、専務車掌と岩手の八幡平に行ったのが最後だ。

トリノオリンピックで金メダルを獲得した荒川静香さん。
彼女が披露した「イナバウアー」は、競技では加点されることのない「技」らしいが、その優美さに多くの人が魅了されたことは、まだ記憶に新しい。

話しが脱線したついでに、「私をスキーに連れてって」も毎年見る映画の1つ。
物語の展開に合わせて流れるユーミンの曲が好きなのと、雪山の愉しさと美しさ、厳しさを感じられる映像が、ついつい見てしまう理由だ。

当時、スキーは社会現象とも言えるような状況で、老若男女がこぞってゲレンデを目指した。
週末、都市から各スキー場を目指す、夜行列車やバスはすし詰め状態であったことも思い出す。

行きの車内や現地到着後は、みな浮かれ気分でワイワイ楽しみ、恋愛の生まれる舞台でもあった。
そんな光景も、今は昔話の世界のようだ…

いまの若い世代は、恋愛のきっかけとして、どんなシチュエーションを選ぶのだろう…

そんな疑問を持ちつつ、今朝の別の新聞で「相席居酒屋」なるものを知った。
なるほど、遠い自然の中で育まずとも、日常生活圏内の近場で効率的に済ませられるらしい。

また、取材した記者のコメントにも書いてあったが、そういう場に出向く元気な男子はまだマシな方で、そうではない草食・絶食系男子が多いことの方が心配だとも…

車掌長も同感である。
 

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