山陽新幹線の想い出

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2015年3月10日 05:27

本日、山陽新幹線は開業40周年を迎えた。

1975年3月10日、岡山~博多間が延伸開業し全線開通。
東京~博多間が新幹線で結ばれ、首都圏と西日本・九州相互間の移動が時間的に身近となった。

車掌長は開業数週間後となる、小学2年生の春休みに初めて新大阪以西を乗った。
父方の祖母と姉妹・従兄弟の親戚一同の十数名で、島根県の知人宅へ行く旅行であった。

旅行の手配をしたのは父であった。
旅行前、時刻表を見ながら行程を考え、算盤(そろばん)で運賃計算をしていた姿を覚えている。
まだ電卓が高価だった時代であり、我が家には無かった。

東京から6時始発のひかり号で広島へ行き、芸備線に乗り換えて三次まで。
更に、そこから国鉄バスを2回乗り換え、2時間ほど走った山間部のバス停に降り立った。

それは午後3時か4時近かった頃だったと思う…
そして、大人たちの交わした会話が印象深かった。

こんなに遠いところまで、こんなに早い時間に着けるのは、さすが新幹線だね、と。

車掌長は、訪問した知人宅の家の大きさに圧倒された。
また、玄関を入った土間に牛が飼われていたり、厠(かわや)が外にあるのに驚いた。

夜は、その土間を通って用を足しに行くのが怖くて、大人が行くタイミングに合わせて行った。

面白かったのは「五右衛門風呂」。
大人2人が入れるような大きな釜に、板が浮いていて、それを踏み沈めながら入る風呂だ。

日常の生活様式とは全く違う異次元空間に戸惑いながらも、年上の従兄弟がキャンディーズのモノマネをして笑わせてくれたのが、とっても楽しかった…

翌日、出雲大社に行ってもう1泊し、最終日は宮島を訪れて、夕刻の新幹線で帰路についた。

これが車掌長の初めて山陽新幹線に乗った想い出…

あれから40年の月日が流れた…
キャンディーズが大好きで、後楽園のサヨナラコンサートにも行ったという、年上の従兄弟は、数年前に病で亡くなってしまった。

そして、父の姉妹がお世話になったというその島根の知人は、戦争のときに、援助をしてくれた方だったと記憶している。

折しも、今日は東京大空襲のあった日から70年。
10万人以上という、想像を絶する犠牲となった方々の御冥福をお祈りたい。

また、年上の従兄弟のYちゃんには、よく遊んでもらった想い出に感謝し、御冥福を祈りたい。
遥か天上でも、スーちゃんを応援したり、逢えているかも…などと思いつつ。

 

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