美酒に酔って

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2015年10月31日 06:37

昨晩、美酒に酔いしれ、今朝は幾分寝坊してしまった。

お祝いにと専務車掌と頬張った、ロゼのCAVA(スパークリングワイン)が効いたようだ。
その祝いとは、車掌見習に公立幼稚園の入園決定通知書が届いたこと。

車掌長の居住する自治体には公立幼稚園が2つしかなく、希望者は自ずと狭き門を叩く。
願書提出後は、公開抽選で入園候補者が決まる仕組み。今回は応募倍率が5倍超だったとのこと…

公立保育園の入園選考が、親の就労状況や家族構成等を点数化し、1人1人の保育に欠ける具合を人の判断で推し量り、入園可否を決めることに比べれば、極めて「公平」なのかもしれない。

公開抽選で当選後、面接があり、車掌見習は更に再度の面接があって1ヵ月…
希望する園に入れますように…と日々祈りつつ、ダメだった場合はどうしよう…と話し合った日々。

そして、昨日、入園決定通知書が郵送される期限ギリギリに、郵便受けに届いた厚めの封筒。
専務車掌からすぐにメールがあり、車掌長はお祝い用の酒を買って家路を急いだ。

来春から車掌見習も、当車掌区を離れ小さな社会で過ごすことになる。
大人からすれば、小さな社会かもしれないが、子どもにとっては未知で大きな社会であることは間違いない。

どんな園生活になるのか、専務車掌も車掌長も大きな期待もあれば、裏腹に同じくらいの不安もある。
園生活に馴染めるかどうか等、車掌見習の成長面の心配も含め悩みは尽きない。

この場でカミングアウトというわけではないが、車掌見習は発語面での成長の遅れを、医師から指摘されて久しい。

1年ほど前からは小児科での発達外来や、隣接自治体にある療育施設にも通い始め、専務車掌が週2回、寒い日も暑い日も自転車やバスに乗って通ってきた。

同じくらいの歳の子に比べれば、極めて、きわめてゆっくりな成長だが、そんな緩やかな成長の歩みにも、日々できたことや言えるようになった「音」を耳にしては、専務車掌と喜び合っている。

これからも、車掌見習が「見習」を卒業するまでに、色々な喜びも悩みもあるのだろうが、徐々に自らレールを敷設し、分岐の際は自分の力で転轍器の重たいレバーを倒して、己の進路を決められるようになってほしい…

専務車掌も車掌長も、それが唯一の願いだ。

親のできることは、そんな「自分で生きてゆく力」を育む援助や応援に過ぎないのだと思う。
 

ガソリンスタンドの有り難味

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2015年10月21日 05:26

先日、同僚の車が仕事先に向かう途中パンクした。

たまたま、その同僚と同じ仕事先に別の車で到着していた車掌長。
連絡を受け、幸いにもさほど遠くなかったので、立ち往生している現場へ駆けつけた。

見ると、左後輪がペッタンコで、パンクに気付かずかなりの距離を走った様子であった。
既にロードサービスに連絡済とのこと。

同僚の積んでいた機材を車掌長の車に移し替え、同僚には仕事先に向かってもらい業務に支障が出ないようにして、車掌長が救援を待って車両に関する対応を行った。

やがて某ロードサービスのローダー車両がやってきて、パンク具合をチェック。
修理では済まないと診断され、新タイヤへの履き替えが必須とのこと。

スペアタイヤに無償で交換できると言われたが、あいにく最近のワンボックス車は、低床化でスペアタイヤを積んでいないものがあり、純正のパンク修理剤しか車内には存在しなかった。

ふと近隣に目をやると、ガソリンスタンド(GS)の看板!
200mほど走り、該当するタイヤサイズの在庫や交換作業の可否を確認した。
幸い、在庫もあり作業もすぐ可能と言われ、ロードサービスの車載車に積んで運んでもらった。

作業中、GSスタッフの話によれば「幸運」でしたね、とのこと。
理由は、最近はセルフスタンドが多く、そういう所にいるスタッフは、保安要員として店内にいるだけで、修理作業的なことはできない場合が多いらしい。
また、何よりもGS自体が激減しているから、こんな近くにあったこと自体がラッキーという趣旨であった。

たしかに、最近のテレビの情報番組でも見たが、GSはここ10年比で大幅に減っており、殊に高速道路では、次の給油先まで150㎞という区間もあるという。
また、地方では町村内に1軒もGSがないという、ガソリンだけでなく冬季の灯油確保など、生活に直結した深刻な地域もあるようだ。

原因としては、ハイブリッド車の普及や高齢化及び若者の車離れによるドライバー自体の減少などがあるようだが、近年話題になったガソリンタンクの設備更新に莫大な費用がかかり、それを零細な個人経営者が捻出できずに廃業するGSも少なくないという。

普段、セルフスタンドの方が若干ながら単価が安いので、そちらで給油してしまうが、GSは給油さえできればよいという施設ではないことを痛感した。

物事なんでもそうだが、万が一のときにこそ、本来のあるべき姿や、その有り難味が実感できる…

日常の便利さや安さだけでは、到底計ることのできない「安心」「安全」のコストというものは、やはり無視してはならないものだと、今回のアクシデントを通して再認識できた。

 

 

いざさらば、「国鉄色」特急

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2015年10月18日 06:10

先日、新聞で「国鉄色」の塗装を施した、定期運行最後の特急列車の引退を目にした。

その列車は「こうのとり」と「きのさき」で、最終運行は10月30日。
「国鉄色の特急」と言って、ピンと来たり懐かしいと思われるとしたら、一般的に30代後半以上の方々であろう。

クリーム色に赤いラインは、国鉄時代の特急列車を象徴する塗色。
「国鉄車両関係色見本帳」に則して言えば、クリーム4号・赤2号となる。

この色の組み合わせは、1958年に電車特急としてデビューした151系「こだま」に採用され、以降、電車及び気動車の「国鉄特急色」の歴史が始まった。

しかしながら、その歴史にもいよいよ幕が下りる…

車掌長が小・中学生の頃、東京や上野、新宿等のターミナル駅で、特急や急行列車が次々と出入りする光景は、興奮するほど楽しく飽きない時間だった。

JR発足後、各社オリジナルの塗装が巷に溢れたが、当初は既存の国鉄車両に無理やりド派手な化粧をされたようで、多くが奇抜だったり、チグハグな感じで、そんな塗装になった車両達が可哀想でならなかった。

やがて、車両自体も各社で製造されるようになると、人間工学を採り入れた新設計の下、座席改良やバリアフリー化も実施され、乗り心地、利便性、静寂性、加速性能は格段に良くなった。

それは、圧倒的多数の人々にとっては喜ばしいことであり、それが時代の進歩というべきだろう。

だが、多感な小・中・高校時代に、最も鉄道旅行を楽しんだ車掌長にしてみると、そういう実利的な車両よりも、日本の風景に自然と溶け込む秀逸な色合いの「国鉄色車両」や、決して速くもなく、振動やノイズもそれなりにあったが、「頑張って走っている」という、何か人間的な感性や共感に値する魅力が当時の列車にはあった。

内装や装具も金属丸出しで、武骨で美的ではなかったが、そこに乗り合わせる人々には、気遣いの温かみや一期一会的なひとときのコミュニケーションを楽しむ、心の余裕というものが、ごく普通に存在した。

現代の「個」の時間や空間を優先するあまり、他者への関心や配慮を「なおざり」や「おざなり」にしてしまう世の中とは、明らかに違う優しい時間が流れていたと思う…

しかしながら、そのような感慨は、時を経て良い面だけが自分の中で美化され、記憶の引き出しに収納され始めたことの現れなのかもしれない。

思い返せば、その頃は、駅や列車を取り巻く環境に負の一面もあった。
それは、前述の車内の温かみが確かに存在した一方で、車内にゴミは散乱し、駅の便所も汚く、ホームから捨てられたタバコの吸い殻も酷い状態だったからだ。

国鉄色の特急は、これで定期運行から姿を消すが、それは思考的にも、1つの時代が終わる、区切りをつけることを余儀なくされる、可視的なセレモニーなのかもしれない。

今後は、夜行列車や寝台列車とともに、国鉄色の車両も、美化された記憶の中で、車掌長の脳裏を永遠に走り続けるのだろう…

いざさらば、「国鉄色」特急

さらば、少年時代の愛しき日本の「原風景」…

三斗小屋温泉「煙草屋」

カテゴリー:⑥番線:温泉方面 2015年10月13日 05:28

三連休後半、那須の三斗小屋温泉に行った。

例年、11月末に行われる温泉達人会の総会・納会が、今年は前倒しで開催された。
理由は、来年10号を迎える会報の表紙写真を、節目にふさわしいロケーションでという趣旨。

日曜の朝9時、那須塩原駅で温泉達人会代表他5名と合流。
車2台で那須ロープウェイ乗り場上にある駐車場に車を停めた。

この日は小雨が降るあいにくの天候であったが、それが功を成した。
本来であれば、紅葉最盛期の当駐車場は朝3時には満車となり、駐車場に入れない車で大渋滞が起きるとこのこと。

11時、早目の昼食を車内で摂り、持参の合羽に着替え同30分に歩き始めた。
登山道入口で入山届を出し、まず目指すは峰の茶屋。

最初から結構な上り坂で、山歩きが久々の車掌長には、かなり堪(こた)えた。
30分ほど歩き、最初に休憩した場所は、目指す峰の茶屋が稜線上の遠くに見えた。

周囲に目をやると、紅葉の盛りとなった山々の彩りの美しさに惹かれた。
よく鉄道模型のジオラマで目にする山々のように、人工的なほどの芸術さに目を奪われた。

ここまで来ると雨は止んだ。
見えているのに、なかなか近づかない稜線の「峰の茶屋」まで、岩石だらけの道を黙々と登った。
ところどころ、ジェット機のようなガスが噴き出る音を聞き、火山であることを実感した。

12:30、峰の茶屋に到着。ここまで来ると、半分くらいであとは下る一方とのこと。
途中、足場の悪い箇所も多々あったが、14時前に三斗小屋温泉に着いた。

ここは2軒の宿があるが、露天風呂のある「煙草屋」に宿泊。
早速、お目当ての露天風呂に浸かると、2時間歩いて辿り着いた労が報われる想いがした。

やがて、会員の多くが到着し、15時の時点で揃ったメンバーで記念撮影。
明日の撮影の予行となった。

風呂から上がり、冷えた缶ビールを500円で購入。
乾いた喉にも財布にも、ひときわ沁み入る値段だったが、「最高!」だった。

16時半、早くも夕食。
質素だが、山小屋としては標準以上という内容だそうだ。

長い夜は会員同士の温泉談義で更け、消灯となる21時以降も続いたようだが、車掌長は昼の疲労から早々に床に就いてしまった。

翌朝5時、寒さで目が覚め、懐中電灯の明かりを頼りに、暗闇の露天風呂に入った。
空は晴れているようで、次第に明るくなり周囲の山容がわかり始めた。

歴史をひも解けば、会津西街道の宿場として栄えた時期もあったようで、戊辰戦争の舞台にもなったそうだ。
そんな歴史を、この山々は見つめてきたのか…と思うと、人の営みという時間の尺度は、実に儚いものなのだと感慨に耽(ふけ)りつつ、長湯を楽しんだ。

6時過ぎ、来年の温泉達人会会報第10号を飾る表紙撮影を行うべく、参加会員が集結した。
30数名いる会員のうち、今回の参加者は家族参加1組も含め男女合わせて25名。

1人はカメラマン役だが、この人数で煙草屋の露天風呂に入ると、だいぶ窮屈な印象だった。
しかしながら、この混浴状態で会報の表紙写真を撮り続けることが、温泉達人会の伝統だ。

6:30過ぎ、朝食。
山小屋の朝は早く、もう食べ終わって宿を出たグループも沢山おり、達人会が一番遅い朝餉(あさげ)となった。

車掌長のグループは、7:45に宿を出た。空は快晴、寒いくらいの山の空気が清々しかった。
昨日来た道を途中で分岐し、姥ケ平経由で牛ヶ首へ。ここは、ロープウェイで上ってきた人も沢山おり、眺望絶景のスポットであった。

その後、あちこちで噴気が立ち上る無間地獄を通り、峰の茶屋に出た。
火山独特の樹木のない山容は、眺望を遮るものがないので、とにかく眺めが良い道中であった。

11:30、無事に駐車場到着。
昨日とは打って変わり、凄い車の数。そして、情報通りの駐車場待ちの大渋滞が発生していた。
その距離からして、渋滞の最後尾にいた車が駐車場に入れるのは、夕方近いのでは…

末筆ながら、皆さんお疲れ様でした。
総会・納会の諸々の準備や各会員への連絡等でご尽力いただいた高田事務局長、ありがとうございました。
また、三斗小屋往復を同行させていただいた飯出代表はじめ、Iさんご夫妻、TSUさん、TEさんありがとうございました。

TEさんには帰路の途中、車掌長の靴底のゴムが剥がれた際、携帯の接着剤で修理していただき、大変助かりました。ありがとうございました。
それにしても、温泉のみならず接着剤マニアであられることも知り、感銘いたしました。

末筆ながら、また来年お会いするまで、お体に気を付けてお互いに温泉を楽しみましょう!

【車内放送】
本日(10/13)21時~、TBS「マツコの知らない世界」で、温泉達人会のメンバーが出演します。
同会事務局長のT氏父娘が、マツコさんとオススメの温泉についてトークを繰り広げます。
ぜひ、ご覧ください!
 

時刻表記念日

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2015年10月 5日 06:12

今日は時刻表記念日。

由来等については、乗務日誌の2011年10月14日及び2012年10月5日に記載があるので、そちらをご参照願いたい。

ちなみに、車掌長の愛読するJTB時刻表は、今年創刊90周年。
最近は大きな節目を記念したキャンペーンを企画して面白い。

また、JR時刻表と違い、時刻表の顔である毎月の表紙も多様性に富み素晴らしい。
さすが、日本を代表する総合交通機関の時刻表、すなわち「オールジャパン・タイムテーブル」のパイオニアだ。

JRのみならず、規模の大小を問わない私鉄や、日本に存在する様々な交通機関を主人公にできるのは、JTBならではの愉しさだ。

特に、最近は巻頭企画も毎月かなり練られており、読む面白味が増した。
単に或る地域の観光案内に留まらず、一歩も二歩も踏み出して、「時刻表を使って旅に出る」という醍醐味のヒントを散りばめてくれているように感じる。

もちろん、車掌長が子どもの頃は、そうした醍醐味を「自分で発見」することこそが、時刻表愛読の醍醐味であったが、「おもてなし文化」を標ぼうする日本社会の「上げ膳据え膳世の中」の潮流を否定するものではない。

時間がなくなってしまったので、ここで筆を置くが、夜行列車や寝台列車、急行列車等がなくなり、鉄道ダイヤ自体の魅力が薄れる中、JTB時刻表には今後もぜひ読む面白さを探求し、「鉄なる好奇心」を誘う誌面づくりを心から期待している。

9月から仕事他に忙殺の日々が続き、なかなか本乗務日誌も綴れていないが、この記念日に一筆残しておきたく、再び現実の忙しさに戻ろう。
 

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