いざさらば、「国鉄色」特急

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2015年10月18日 06:10

先日、新聞で「国鉄色」の塗装を施した、定期運行最後の特急列車の引退を目にした。

その列車は「こうのとり」と「きのさき」で、最終運行は10月30日。
「国鉄色の特急」と言って、ピンと来たり懐かしいと思われるとしたら、一般的に30代後半以上の方々であろう。

クリーム色に赤いラインは、国鉄時代の特急列車を象徴する塗色。
「国鉄車両関係色見本帳」に則して言えば、クリーム4号・赤2号となる。

この色の組み合わせは、1958年に電車特急としてデビューした151系「こだま」に採用され、以降、電車及び気動車の「国鉄特急色」の歴史が始まった。

しかしながら、その歴史にもいよいよ幕が下りる…

車掌長が小・中学生の頃、東京や上野、新宿等のターミナル駅で、特急や急行列車が次々と出入りする光景は、興奮するほど楽しく飽きない時間だった。

JR発足後、各社オリジナルの塗装が巷に溢れたが、当初は既存の国鉄車両に無理やりド派手な化粧をされたようで、多くが奇抜だったり、チグハグな感じで、そんな塗装になった車両達が可哀想でならなかった。

やがて、車両自体も各社で製造されるようになると、人間工学を採り入れた新設計の下、座席改良やバリアフリー化も実施され、乗り心地、利便性、静寂性、加速性能は格段に良くなった。

それは、圧倒的多数の人々にとっては喜ばしいことであり、それが時代の進歩というべきだろう。

だが、多感な小・中・高校時代に、最も鉄道旅行を楽しんだ車掌長にしてみると、そういう実利的な車両よりも、日本の風景に自然と溶け込む秀逸な色合いの「国鉄色車両」や、決して速くもなく、振動やノイズもそれなりにあったが、「頑張って走っている」という、何か人間的な感性や共感に値する魅力が当時の列車にはあった。

内装や装具も金属丸出しで、武骨で美的ではなかったが、そこに乗り合わせる人々には、気遣いの温かみや一期一会的なひとときのコミュニケーションを楽しむ、心の余裕というものが、ごく普通に存在した。

現代の「個」の時間や空間を優先するあまり、他者への関心や配慮を「なおざり」や「おざなり」にしてしまう世の中とは、明らかに違う優しい時間が流れていたと思う…

しかしながら、そのような感慨は、時を経て良い面だけが自分の中で美化され、記憶の引き出しに収納され始めたことの現れなのかもしれない。

思い返せば、その頃は、駅や列車を取り巻く環境に負の一面もあった。
それは、前述の車内の温かみが確かに存在した一方で、車内にゴミは散乱し、駅の便所も汚く、ホームから捨てられたタバコの吸い殻も酷い状態だったからだ。

国鉄色の特急は、これで定期運行から姿を消すが、それは思考的にも、1つの時代が終わる、区切りをつけることを余儀なくされる、可視的なセレモニーなのかもしれない。

今後は、夜行列車や寝台列車とともに、国鉄色の車両も、美化された記憶の中で、車掌長の脳裏を永遠に走り続けるのだろう…

いざさらば、「国鉄色」特急

さらば、少年時代の愛しき日本の「原風景」…

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