シンメトリーとアシンメトリー

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2020年2月23日 05:28

手元のJTB時刻表3月号のページをめくる指が、あるところで止まった。

毎月、臨時列車が掲載される特集ページが好きだが、今号には「富士」の愛称名が…
久々に時刻表上で見る「富士」の列車名に、トキメキを否めなかった。

車掌長が子どもの頃、「富士」は”日本最長距離走行”を誇るブルートレイン…
東京から西鹿児島(現鹿児島中央)まで、24時間余りを要した憧れの列車であり、東京駅を毎晩18:00に出立する姿を、幾度となくホームから羨望の眼差しで見送ったものだった。

今回目にした「富士」は、御殿場線の松田駅から沼津経由で身延線の富士宮駅までと、短い走行区間だが、その車窓は容易に想像できてしまう。

そう、列車名にふさわしく、走行区間の車窓からは「富士山」を堪能できる。

富士山好きの車掌長としては、ぜひとも乗ってみたい列車だが、4月4日(土)のみ運行で、4月からは仕事も超繁忙期…
せめて時刻表上で、そのスジ(ダイヤ)を追いながら、車窓を妄想して慰めるしかない。

ところで、富士山と言えば、今日2月23日は「富士山の日」。
制定されてから、まだ日も浅い記念日だが、車掌長は明快な語呂合わせで大好きだ。

多くの人に愛される富士山だが、車掌長もそのシンメトリーな姿に魅了される。
青空の下、雪化粧をした左右対称な秀峰は、国の内外を問わず、諸人にとって日本を象徴する風景と言えるだろう。

このような美しい「形」を造りだした自然には、つくづく畏敬の念を抱かざるを得ない…

話は変わるが、「シンメトリー」を人工的な美しさとして初めて意識したのは、フランスのヴェルサイユ宮殿に行ったとき。

車掌長が20代後半、某専門学校教員時代に卒業旅行の引率で欧州を訪れた時だった。

荘厳かつ華麗な宮殿内は、贅を尽くした往時の宮廷生活を偲ぶに余りあるが、その宮殿裏側の平面幾何学式庭園を目にしたとき、「シンメトリーの美」を実感した。

以来、車掌長は物事の配置や所作を、仕事や趣味においてもシンメトリーであることに美を感じたり、求めていたように振り返る…

しかしながら、40歳も過ぎたあたりからは、その逆、つまり「アシンメトリー」であることに、癒しや寛ぎ(くつろぎ)、安寧を感じるようになった。

それは、きっとそれまでの習慣や好みの反動であり、その振れ幅も大きかったように回顧する…

ただ、いまは50歳を機に、その中庸になりつつあることを自覚している。
そして、その辺りが自身にとって、居心地がよい…と判り始めた。

それはあたかも、何事も一方的な見方に限らず、多方向からも物事を見たり、バランスの取れていることが大切であることを、下界を俯瞰する富士山が教えてくれたようにも思う。

なるほど、一見シンメトリーと思い込んでいた富士山も、もっと距離を置いて遠くから眺めれば、静岡側や山梨側あるいは西方や東方から見て、その姿は副景となる海や湖、他の山々や裾野に広がる人々の暮らす里山や町によって、単一な左右対称にはなり得ない…

富士山の日にあたり、そんな教示をいただいた霊峰の方角に感謝の念を手向けた朝であった。

 

時刻表、我が最愛の友。52歳の誕生日に寄せて...

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2020年2月19日 04:56

一昨日、鉄道をテーマにしたラジオ放送で、車掌長をご紹介いただいた。

たまたま、仕事で車移動中と放送時刻が重なると思い、昼休みを遅めに取れるよう調整。
車を路肩の駐車枠に停め、コンビニで買ったおにぎりを頬張り、時を待った。

大竹まこと氏の穏やかな朗読は、あたかも記憶の中を走る列車に乗った感慨に包まれた。
物語の背景に流れる心地よいピアノの調べに乗って…

車掌長は記憶の彼方にある、列車を思い出した。
それは、少年時代に乗った客は自分しかいない、午後の昼下がりのローカル線のボックスシートに座り、陽光に照らされる一面の菜の花畑を車窓に見ながら、その朗読を聞いているような錯覚であった。

思えば、放送作家の御方から取材を受けたのは昨年末…
その和やかなお人柄に惹き込まれ、普段は意識もしなかった昔の記憶の引き出しを、上手に開けてくださり、新幹線であれば東京から京都へ着けるほどの取材時間は、瞬く間に過ぎた。

取材後、果たしてこれはどのような朗読原稿になるのだろう…
楽しみでもあり、正直なところ不安も残しながら、放送日を迎えた。

放送本番を聴き終えた所感は、只々、感激した次第であった…

車掌長が想像していたものとは、良い意味で違っていたが、大竹まこと氏の朗読は、その物語があたかも目に映る情景のように澄み渡っていた。

そして、それが10分足らずの時間とは到底思えないほど、濃密な「時間旅行」の旅人になることができた…

また、リクエストさせていただいた曲「いい日旅立ち」も、心の奥底に沁みた。

ナレーションでは、車掌長の「人生のテーマソング」とご紹介してくださったが、まさにその通りであり、歌手として尊敬している山口百恵さんの歌声と、名曲の旋律は、少年時代に独り夜行列車に乗って旅立つときの心情を思い起こさせてくれた。

番組拝聴後、放送作家という仕事の素晴らしさを痛感した。
この場をお借りして、心から今回のご縁に感謝を申し上げたい…

放送作家K様
このたびは、誠にありがとうございました。

末筆ながら、本日52歳の誕生日を迎えましたが、このたびのラジオ放送は、車掌長の「時刻表人生」におきまして、とても素敵なBirthday presentになりましたこと、重ねて御礼申し上げます。

時刻表との付き合いは46年となり、車掌長にとりまして最愛の友でありますが、今後も人生という鉄路をともに歩んでゆきたく存じます。

 

大竹まこと ゴールデンラジオ、車掌長を紹介。

カテゴリー:⑪番線:哲×鉄 車内放送 2020年2月10日 04:29

このたび、ラジオ番組で車掌長を紹介してくださることになりました。
つきましては、車内放送にて下記のとおりご案内申し上げます。

放送局:文化放送(FMラジオ91.6MHz、AMラジオ1134kHz)
番組名:大竹まこと ゴールデンラジオ(放送時間 月~金、13:00~15:30)
放送日:2月17日(月)14:00~14:10 「大竹発見伝 ~ザ・ゴールデンヒストリー」

上記「大竹発見伝 ~ザ・ゴールデンヒストリー」のコーナーは、「日々、黄金の歴史有り」のコンセプトを掲げ、毎週色々なテーマで5名の人物の半生や体験等を、大竹まこと氏の朗読によって10分ほどで紹介しています。

2/17(月)~21(金)は「鉄道」がテーマだそうです。
そして、その中の1人として僭越ながら車掌長にも、お声を掛けていただきました。

テーマは「鉄道」ですが、車掌長のジャンルは「時刻表」です。

過日、放送作家の御方から取材を受け、それを元に大竹まこと氏が朗読してくださる原稿になるようですが、どのような内容になるかは楽しみでもあり、不安も募る心境です。

しかしながら、放送作家の御方のとても和やかなお人柄に惹き込まれるように、幼少時からの鉄道や時刻表にまつわるエピソードを、ごく自然体で色々とお話しできたように思います。

おそらく、これまで幾度かメディアの取材を受けてきた中で、話したことも意識したことも無かったことを、記憶の引き出しを開いてくださり、自身の半生を振り返る好機となりました。

また、エンディングには、毎回そのエピソードにちなんだ曲が流れますが、或る曲をリクエストさせていただきました。もし、それが叶えば感動です。

その曲は、車掌長の「人生の1曲」とも言えるもので、小学生の頃、時刻表を片手によく夜行列車で一人旅に出ていた時に流行り、今も時折口ずさむ大好きな曲です。

長々と私事を綴り申し訳ございません。

つきましては、日中の時間帯でお仕事をされている方も多い中、誠に恐縮ではございますが、よろしければ、ぜひ上記日時の「大竹発見伝~ザ・ゴールデンヒストリー」をご聴取いただけますと、嬉しく思います。

もちろん、お時間が許せば、ぜひ番組全体もお聴きいただければ幸甚に存じます。

なお、最近はラジオもスマホやPCで聴けるようです。
radiko(ラジコ)と呼ばれるアプリやサイトから、全国のラジオ放送を聴取できます。

また、もし聞き逃しても、過去1週間以内の番組であれば「タイムフリー」という機能を使って、聴くことができるようです。


 

心に折り目を

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2020年2月 8日 05:25

もうすぐ、歳をひとつ重ねる…

51歳になったときから、新たに始めたことがある。
それは、日々の仕事で着用するスーツのスラックスにアイロンをかけること。

車掌長はアイロン掛けが好きだ。
20代の頃から、ワイシャツは自分でアイロンを当てており、30年近く続けている。

一時期、諸事情あって近所のクリーニング店に出していたこともあったが、糊の効き具合が自身の感性に合わず、日々のコストも馬鹿にならず、やはり自分で掛けたものが一番だと思った。

とは言うものの、車掌長のアイロン掛けは技術的に優れている訳ではない。
プロの御方に言わせれば、子どもが掛けたような仕上がりと評されるであろう…

では、何故、車掌長はアイロン掛けが好きなのだろう…と自問する。
それは、掛けているときに「無心」になれるからではないか…斯様(かよう)に思う。

また、アイロンを掛ける際は、長年の決まりごとがある。
それは、有線放送で好きなチャンネルの70~80年代の歌謡曲、J-POPの曲を聴き流すこと。

日常の物理的な或いは精神的なノイズや喧騒から離れ、ランダムにかかる好きな年代の曲に耳を傾け、無心にアイロンをあてるひとときは、まさに「癒し」の境地に誘われてしまう。

生地の縫い目を合わせ、サッと中温のアイロンをかけると、あたかも心のシワや淀みが取れるような、そんな清々しい思いがする。

そして、昨年51歳になったことを機に新たに始めたことが、上述のスラックスにもアイロンを掛けることだ。

ワイシャツは土曜か日曜の日中に、翌週分を4~5枚まとめて掛けていたが、スラックスは朝にその日穿くものを掛けている。

ワイシャツと違い、当て布を使い、左右の折り目を合わせて片足ずつ掛ける…
裾から膝あたりまでは、容易にこなせるが、シワができやすい膝より上や臀部(でんぶ)は、ポケットやプリーツもあったりして、なかなか根気を要する。

それでも、その日の仕事の流れや優先度を考えながら、15分ほどを費やし仕上がる頃には、一日のイメージが出来上がる。
ズボンプレッサーでは、得難い感慨だ…

それは、心に折り目をつける、つまり「形から入り心に至る」ような意味合いを意識する…

物事の所作は、まず形から入り心に通じるものがあると考えるが、仕事の形は、着衣にも「心」が表れるのだと気づいたのが、遅まきながら昨年のことであった。

まもなく52歳を迎えるが、もう少し続くサラリーマン生活は、この心持を堅持したい。
 

 

社員旅行

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2020年2月 3日 04:52

1月下旬、社員旅行で沖縄へ行った。

日曜発で2泊3日、全国的に低気圧に覆われ強い寒気が入り込むタイミングだった。
天気予報も旅行期間中は、沖縄を含め全国的に雨マークばかり…

社員の多くは、雨具や防寒具も携帯していたが、「スーパー晴れ男」である社長の新たなレジェンド達成にも、一縷(いちる)の望みを託した。

現地到着時は雨予報であったが、厚い雲が空を覆いながらも雨は止んでいた。

チャーターした8名乗りストレッチ・リムジン1台と、買い出し先発隊の一般タクシー1台に分乗し、滞在先への某リゾートへ約90分で移動した。

長さ10メートルほどあるという、フォードSUVのリムジンは圧巻…
車掌長も初めての体験で、途中立ち寄ってもらった高速のパーキングエリアでは、にわかに記念撮影大会となった。

リゾート到着後、今回3部屋を手配してあり、各部屋へは専用カートで移動。
滞在中、広い敷地内の各施設への移動にはこのカートを利用するが、これがまた楽しかった。

今回の部屋割りは、社長夫妻、女性社員4名、男性社員5名で洋室を各1室。
洋室とは言っても、最大6名利用可能な広い部屋で、テラスだけでも24㎡あり、ゆったりしたものだが、夫妻以外は修学旅行以来の多人数1室利用という者も多かった。

しかしながら、職場を離れ、2泊という時間をこうした部屋割りで過ごすことにより、ハプニングもありつつも、普段の仕事では見られないお互いの個性や習性も知ることができ、良いコミュニケーションを図ることができたと思った。

明けて2日目、社長の新たなレジェンドが達成。
太陽が顔を出し、予報は一転、最高気温も24℃の好天に恵まれた。

11時の観光出発まで、各々が清々しい太陽の日差しの下でホテル内のアクティビティに興じた。
セグウェイ体験、パターゴルフなど楽しんだ。

観光は古宇利島、美ら海水族館を訪れ、夕食は名護市内の沖縄民謡ライブショーを鑑賞できる居酒屋に入った。
沖縄料理にも舌鼓を打ちつつ、ライブショーも盛況で最後は皆でカチャーシーで締めくくった。

社員旅行最後の夜、社長夫妻の部屋でこじんまりと2次会。
その際、社員一同からの日頃の感謝を込めたプチサプライズを挙行した。

人数的には、こじんまりとした社員旅行かもしれないが、とても楽しく温かなものであった。
年齢構成は、20代、30代、40代、50代と満遍なく各世代がいるが、平成生まれの20代3名の若手社員には、今回の社員旅行はどのような受け止めだっただろうか…

車掌長も、色々な職場を体験してきた。
なかには、300名ほどの社員で2階建てバス10台近くを貸し切り連ね、宿泊ホテルの何百畳もの大宴会場を利用するような社員旅行も経験し、それはそれで当時は楽しかった。

しかしながら、世の中もだいぶ状況や様相が変わり、いまや社員旅行をする会社もだいぶ減ってきたと聞く…

「個」を意識するあまり、時間も空間も人間関係も、セパレートな感覚が日常に浸透している。
それは、或る意味「自己防衛」とも言えなくもない。

もちろん、それはそれで大切なことだが、雑多な「集団」や広くは「社会」の中で、本来は「個人」が認知され、その延長線上に「尊重」されるよう間柄が望ましいようにも思う。

そして、そのためには互いを知るコミュニケーションが必要不可欠だ。

その意味合いにおいて、社員旅行はまだまだ有用な職場ツールではなかろうか…と、昭和世代の車掌長は思った。

ただ、単に実施すれば良いという「形」だけものでなく、会社規模にもよるが、人任せや参加するだけのゲスト主義に陥らず、自分たちで作り上げる「社員旅行」というのが、キーワードであり大切なのかもしれない。

車掌長が勤務する会社は、繁忙期と閑散期が極端に分かれており、3月に入って爆発的に忙しくなるこの時期に、このような社員間のコミュニケーションが取れたことは、今後の円滑な業務遂行に寄与すると思われた。

だいぶお金を使っていただいた社長夫妻には、心より感謝。

 

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