空は水色

カテゴリー:⑤番線:feel the season方面 2012年3月30日 05:55

最近、空の色が水色になってきた。
冬の乾いた真っ青な空から、水分を含んだ柔らかな色合いになってきた。
春の訪れを感じる…

今年の春は照れ屋のようだった。
春一番も吹かずじまいであったし、いつまでも寒く、伊豆の河津桜も見頃がだいぶズレていた。
水戸の偕楽園では、梅の開花が1ヵ月半も遅れ、桜と梅が同時に楽しめるという。

東京でも近年は卒業式に桜が見られたが、今春は久々に桜花の下での門出となりそうだ。
学業の節目や人生の区切りに、桜ほど似合うものはないと思う。
別れと出会いの背景に、咲き誇る華々しさや、止めようのない散りざまが思い浮かぶ。

この春も日本各地で様々な人々のドラマがあるのだろう。
車掌長の知り合いにも、仕事の異動で慣れ親しんだ場所を離れる方々がいる。

これまでお世話になったことに感謝するとともに、新たな場所でのご活躍を祈念したい。
 

羊蹄丸、最後の銅鑼

カテゴリー:②番線:航空、船舶、バス方面 2012年3月27日 05:11

3月25日、お台場の「船の科学館」で係留展示されていた「羊蹄丸」が最後の航海に出た。

「羊蹄丸」は旧国鉄の青函連絡船として、青森と函館を結び活躍した船だ。
JR発足後間もなく青函トンネルが開通し、その役目を終えた1996年からお台場で「フローティング・パビリオン」として第二の余生を過ごしていた。

だが昨年7月末、船の科学館が年間維持費約3,000万円を捻出できなくなり、無償譲渡先を公募。
結果は愛媛県の産官学連携組織に引き渡され、一般公開後、「シップリサイクル条約」発効に向けた研究のために解体されるという。

この条約は環境に配慮した先進的な船舶解体を目指し、国際的なルールをつくるものらしい。

新聞では「リサイクル技術研究のため、世の中に寄与できる花道」というコメントも出ていたが、車掌長はそれが羊蹄丸でなくても良かったのではないか…と感じた。

そもそも、船の大殿堂であるはずの「船の科学館」が、年間3,000万円の維持費を工面できないという現実に唖然とした。国鉄連絡船として本州と北海道を結び、多くの人のドラマを運んだ大動脈の歴史を手放すことが、どれほど将来の日本の船舶文化の損失であることか…

鉄道もそうだが、廃止されたものを大切に保存し、貢献した歴史やエピソードを後世に伝承しないのは日本の文化の貧弱さを垣間見る。

いつか行ってみたいイギリスのヨークにある「国立鉄道博物館」や、アメリカのスミソニアン博物館群の1つ「国立航空宇宙博物館」とまでは言わないが、国際的にも日本は古いものに価値を見出せない、見出そうとしないのは何故か疑問だ。

羊蹄丸が曳航(えいこう)され愛媛に向かう最後の航海。
元青函連絡船「檜山丸」の船長らが、銅鑼(どら)を鳴らし送り出したという。

高校2年生の春休み、初めて北海道へ行ったことを思い出す。
夜行列車から乗り継ぎ青森駅で聞いた銅鑼の音が脳裏で響いた。
北の3月はまだまだ冬であり、鉛色の空とうねる海はまさに「津軽海峡冬景色」であった。

今後、青函連絡船は青森港の「八甲田丸」と、函館港の「摩周丸」を残すのみとなった。
両船はいつまでも活躍し貢献したご当地で、その歴史を物語ってほしい。
 

コメント(4件)

希望者挙手さんからのコメント(2012年3月28日 00:50投稿)

またまた夜行にて失礼します。
私は車掌長とはちょっと違った意味で、羊蹄丸に思い出があります。

6年前だったと思うが、車掌長にも縁があるTVチャンピオンという番組に、実は夫婦で出演したことがあり、その会場が羊蹄丸でした。

父親が家族のためにケーキを作るという企画に申し込んだところ、テレビ局から何故か「ケーキの企画ではなく、社交ダンスしつけ王選手権の生徒として夫婦で出演しませんか?」と誘われ、調子に乗って出演してしまいました。

レッド吉田の司会で、私は結構ウケてしまっていたようですが、当然、決勝に残るようなことにはなりませんでした(笑

しかし、文化遺産級の船を維持できずに、理由を付けて解体してしまうとは、海洋国家としていかがなものでしょうか?「船の科学館」という名前がむなしく聞こえてしまいますね。

たくちゃんさんからのコメント(2012年3月28日 06:07投稿)

少々話しが飛んでしまうかもしれませんが…

「ダサい」「古い」「昭和(時代の古いものというニュアンス)」といった
言葉が日常的に使われるようになったのは
いつのころからでしょうか。

スマートフォンがもてはやされ、
固定電話の契約が、減っているそうです。
電話をかけること自体が、面倒になって、
メールで済ますようになり、
相手からの返信が遅いと、不機嫌になる。
ならば電話して、直接話をしたほうが早いと
思っているのは、私だけでしょうか。

あれは「電話」であったはずです。

スマートフォンの知識は、使い方などを除けば、
ある程度持っています。
それでも私が持っているのは「携帯電話」であり、
それも、必要に迫られているから、に過ぎません。
できることなら、持ちたくはない。

現状の価値観や、見た目の派手さにとらわれ、
物事を深くまで突き詰めて考えることをしないと
秘められた嘘、策略などに
簡単に乗せられてしまうような
そんな気がするんです。

物づくりを継続しなければならないということは、
元あったものを否定し、
新しい物を、新しい基準とする作業の繰り返し。
ワタクシには、そう思えるんです。

なぜ、継続しなければいけないのでしょうね。
会社があり、工場があり、従業員がいる。
彼らの生活を維持しなければいけない。
そのために、既存の文化を片っ端から否定していく。
そんな生産活動に、果たして意味があるのでしょうか。

「かわいい~」
女性が使う、形容詞として、
あまりにも一般的になりすぎた言葉です。
物事に対する感想を表すときに、
この言葉しか使わない方が多いようです。

営々と築き上げてきたものを、ひたすら壊し続ける。
それが現在の文化であるとしたら、
ワタクシとしては、全力で否定したいものです。

車掌長さんからのコメント(2012年3月28日 06:13投稿)

希望者挙手様

毎度ご乗車ありがとうございます。

車掌長が乗務するのは専ら早朝ですが、深夜にご乗車のお客様があったこと、点呼時にきちんと引き継いでおりますのでご安心を。
最近は、5時を過ぎると空が明るくなり始めます。

さて、またまた希望者挙手さんの知られざる一面に驚きです。
それもケーキづくりへの応募からダンスに変更でのご出演とは、希望者挙手さんのマルチなお人柄が際立ちます。
しかも羊蹄丸にそんな素晴らしい想い出があったとは!

たしかに、羊蹄丸が「フローティング・パビリオン」として営業していた時は、多目的ホールがあったと記憶していますので、ここでロケをしたのでしょうか。

車掌長は「青函ワールド」という、昭和30年代の青森駅の雰囲気を再現したジオラマ展示が好きでした。
ちゃんと機関車や客車もあり、町並みもリアルでした。

青函連絡船は、船内設備も充実していました。
寝台、グリーン船室(指定・自由)、普通船室(椅子・桟敷)
、食堂、シャワールーム、カラオケ(団体用)など。
特にグリーン指定席のリクライニング角度は、飛行機のファーストクラスのように優雅で憧れでした。(車掌長は普通桟敷でしたので)
また船内では乗り継ぎ用の特急券等の切符も買え、電話の取次ぎも可能で、まさに船自体が列車であり、駅の機能を有していました。

そして、忘れてはならないのは、船内は人と人を介する生のコミュニケーションの宝庫だったことです。

羊蹄丸は6月か7月頃まで愛媛の新居浜市で一般公開され、解体されるようです。
想い出のダンスホールに再会できるチャンスはまだありますヨ。

車掌長さんからのコメント(2012年3月28日 21:29投稿)

たくちゃん様

毎度ご乗車ありがとうございます。

車掌長もたくちゃんのおっしゃることに同感です。
スマートフォンを持つことに何の興味もなく、その価値もわからないアナログ人間です。

むしろ、携帯に自分の時間を拘束されているような不快感や、嫌悪感、煩わしさを抱くことも多々あります。

こちらのシチュエーションを解さず、応答するのが当たり前のごとく鳴り続ける着信音(振動)は不愉快です。
そもそも携帯しているわけですから、2~3回鳴らして出なければ、出られない状況を察し、一旦切ってもらいたいものですよネ。

ハッキリ言って携帯は便利です。
それは否定しません。
また、生命に関わるような緊急事態時の連絡手段としても有用です。
しかしながら、その便利さは個人生活レベルでは過剰な域に入っていると思うのです。

次々出てくる使いこなせない(不要な)機能。
それを開発するスパンの短さに心身を削るメーカー社員。
来る日も来る日も販売ノルマに追われる販売店。
そして何よりも、携帯中毒のユーザーのことを考えると、現代人の多くは携帯に支配されているように思います。

また、次々新品に買い替えを促す商法は、環境負荷を考えると愚かな所業です。

たくちゃんさんと同じようなことを言うかもしれませんが、今の日本社会ほど「常識を疑う」ことは大切だと感じます。
多くの人が「常識」と信じてきたこと、思わされてきたことを、自分なりに疑問を抱き考えてみないと、取り返しのつかない病に侵(おか)される気がしてなりません。

かつてモノづくりで成功した日本を救う次の産業は、「メンテナンス」だと考えます。
半導体技術の衰退が雄弁に物語っていますが、今日のハイテク技術と言われる分野はすぐに新興国によって模倣され、価格競争で負けてしまいます。

だからと言って、大手も中小もこぞって海外へ人手も資本も移動させるのは、既存の売り上げ主義に翻弄されているだけで英知に乏しいと思います。

そうではなく、高度な技術や意匠で創造された本当に良い物を、長く愛着を持って使い続けられるような仕組みづくりはできないものでしょうか?
そして、その維持や修理に高度な技術とサービス(ハート)で応じることが、日本の誇りとなってほしいものです。

そして、その成功こそが真に「人にも環境にも優しい」はずです。

「直すよりも買った方が安い」という商習慣や購買行動は、人も使い捨てにする思考につながりかねません…

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呑んでトレインビューなら

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2012年3月23日 05:49

昨夜、専門学校勤務時代の仲間と旨酒を交わした。
集まった理由は、仙台へ7年間赴任していた戻り鰹さんがこの春から東京に戻ってきたための祝杯だ。

希望者挙手さんが幹事でお店を手配してくれたが、ここがトレイン絶景ポイント!
「呑んでトレインビューならココ!」というお店であった。
場所は有楽町マリオンの待ち合わせに好都合な時計の向かいにあるビルの7階、ウメ子の家だ。

希望者挙手さんは、この店の窓側のボックス席を用意してくれていた。
新幹線、東海道本線、山手・京浜東北線が一望できる。
特筆すべきは、東京駅を出て右へ大きくカーブしながらこちらへ向かってくる、新幹線の長い編成を俯瞰できる奥行きのあるビューだ。
あらためて希望者挙手さんの心遣いに感謝したい。

戻り鰹さんは、違う学科の教え子であり同僚だ。
仙台赴任は、慣れぬ土地での仕事や生活、何よりも未曾有の大震災を経験し苦労も多かったと察する。
横の背も伸びたようだが、人間的に一回り大きくなった印象を受けた。
彼もいまや在職19年目で、最近は鉄道やトラベルに関連した学科で教えているという。

何か仕事で間接的に手助けできることがあれば、希望者挙手さんも車掌長も喜んで助言や手伝いをしたい。
そのときは遠慮なく言ってほしい。

お開きの目安を「サンライズ出雲・瀬戸」を見たらと思っていたが、いつまで経っても現れなかった。
おかしいなと思って、帰りがけに駅に入ったら人身事故で運転を一時止めていたことがわかった。

日本の列車は時計代わりにできるほど正確で世界に誇れるものだが、人身事故で遅延が多いことは誇れることではない。
 

コメント(4件)

戻り鰹さんからのコメント(2012年3月24日 00:23投稿)

初乗車、失礼します。
昨日は楽しい時間をありがとうございました。
久しぶりの東京でなおかつ、あのロケーションの中で呑めるのは感動ものでした!

いろいろな学科を経験してきましたが、まさか自分が鉄道関連の教科を担当することになるとは…。でも鉄道や旅行は実生活にも役立つので良かったと思います。

かつて車掌長さんが教壇に立っていらした時は覚えることが多そうで自分には無理かなと思っていましたが、いざ勉強してみると意外に楽しいものでした。
車掌長さんと一緒に旅をさせて頂いた経験も生かすことができ、新たな発見もあり、一つひとつの物事が今の自分を支えてくれていることを実感しています。

東京のダイヤは本当に正確ですね。そして人が多い。少しでも遅れると混雑具合が尋常ではないです。慣れるまで時間がかかりそうです。

車掌長さんからのコメント(2012年3月24日 05:26投稿)

戻り鰹様

この度は「哲×鉄ブログ本線」初乗車ありがとうございました。
車掌長も戻り鰹さんが鉄道&旅行系の学科担当になるとは思いもしませんでしたが、きっと縁があったのでしょう。
とても嬉しかったです。

あちこち行ったこと、懐かしいですネ。
東北方面の秘湯巡りで「川原毛大湯滝」は、当時まだ訪れる人が少なくてのんびりと豪快な湯浴み(滝行?)が楽しめました。
夏油(げとう)温泉で泊まったのも湯治気分で良かったです。

また、四国の祖谷温泉へ日帰りで行ったり、厳冬の道東を1泊2日で行くような弾丸ツアーもしましたネ。どれも今では体験できないような中味でした。

戻り鰹さんがおっしゃるとおり、旅行は「経験の宝物」です。
終えた時に「形」として残るものではありませんが、心の充足や広めた見聞、出会った人との想い出等、どれもが自分の成長になっていると思います。

一方、鉄道は自分自身が「自由」であることを実感させます。
車は好きなように効率良く移動できますが、「運転」という緊張を保ち、渋滞では狭い空間に閉じ込められるという、心も身も「拘束状態」にあります。
ゆえに、移動中の風景もしっかりした記憶として残りません。

また、事故に遭えば被害者になることもあれば、自分が加害者になる可能性も忘れてはなりません。

その点、鉄道は体も心も自由なのです。
しかしながら、運転士を目指す学生にくれぐれも留意してもらいたいのは、多くの乗客の命を預かっていることを忘れてはならないことです。
それがあっての楽しい旅行や、時間が勝負のビジネスの役に立てるのだと思います。

今後、戻り鰹さんが教壇に立って向き合う学生にも、そんな体験を促せるような、共有できるような授業を戻り鰹さんはできるとイメージします。

希望者挙手さんと車掌長はもはや教壇を降りましたが、戻り鰹さんの定年(随分先ですネ)まで応援しますヨ!
また3人で珍道中の旅をしましょう!

それでは次回のご乗車を楽しみにしています。

新学期の準備、忙しいことと思います。
三寒四温の季節、体には気をつけて励んでください。

希望者挙手さんからのコメント(2012年3月24日 14:55投稿)

久しぶりの乗車です。
戻り鰹さんの帰京祝いで久しぶりに集まり、楽しいひと時をありがとうございました。

このメンバーで呑むのならと企画を考えた時、やはりここしかないと思いましたが、喜んでもらえて添乗冥利に尽きるというものです(笑

私は、サービス精神やホスピタリティ・マインドというものを車掌長から学びました。車掌長は何をやるにも、相手だけでなく自らも思い切り楽しむための仕掛け作りが素晴らしく、感動しきりでした。それが今でも公私ともに活かせているのかと思います。

戻り鰹さんは我々を超える講師歴となり、見た目も中身も少し逞しく(図太く?)なってましたね(笑
車掌長ともども応援してまいりますので、これからも教壇でぶっかまし続けてください!

また、三羽烏(さんばがらす)で旅しましょう!

車掌長さんからのコメント(2012年3月25日 06:59投稿)

希望者挙手様

毎度ご乗車ありがとうございます。
身に余るお言葉をいただき恐縮ですが、思いがけずとても嬉しかったです。

希望者挙手さんがおっしゃるとおり、車掌長は人に喜んでもらったり楽しんでもらうことが大好きです。
また、好きな言葉に「My pleasure」(マイプレジャー)があります。
ご存知のようにこの言葉は英語圏で道を尋ねたり、ホテルで何かを頼んで"Thanks"というと戻ってくるもので、ごく普通に人々に浸透しているように感じました。

正しくは"It is my pleasure"と言い、直訳すれば「それは私の喜びです」となりますが、日本語の日常表現にドンピシャな一言がないのが残念です。

日本語にはお礼の言葉に対し「どういたしまして」がありますが、"My pleasure"の方がスマートでカッコイイですし、心情的にも発してみると気持ちが良い言葉です。

やはりサービス業の概念や文化、人々のコミュニケーション意識は、英語圏の方が厚みや人間味があるように感じます。

人間は相手に喜ばれること、人の役に立っていることを自分の幸せにできる生き物だと思います。

ところで車掌長は、希望者挙手さんから「エンターテイナー」でるあることの魅力を感じたものです。

それはいつでも心にゆとりがないとできない振る舞いです。
洒落(シャレ)たジョークや面白い仕草、モノマネetc…
そんな笑いとユーモアを、希望者挙手さんから教わりました。(なかなか同じようにはできませんが)

今後とも楽しいお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。

(追伸)
先日の希望者挙手さんの上司のハードな海外出張のアイテナラリー(旅程)は、さすがでしたネ!
ネット検索は2地点間の移動は瞬時にできますが、それ以外はやはりセンスがないと組み立てられません。

昔、国際航空運賃の仕組みや計算方法、約款を勉強し合ったのが懐かしいですネ。

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カレチ

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2012年3月20日 06:05

久しぶりにマンガの単行本を買った。
「カレチ」という池田邦彦さんの作品だ。

「カレチ」とは聞き慣れない方も多いと思う。
国鉄時代の鉄道電報略号で、旅客列車長(リョカクレッシャチョウ)から取ったもの。
特急や急行の長距離列車に乗務し、客扱専務車掌を指す国鉄内部の呼称であった。

このマンガは昭和40年代後半、大阪車掌区に籍を置く「荻野カレチ」が、長距離列車に乗務する中で起こる様々な出会いや出来事、トラブルのエピソードを集めたもの。
そして、それらのエピソードの中で失敗と成長を繰り返しながら、一人前のカレチになってゆく一話読切の話。

時代考証というと大袈裟だが、実在した車両や駅の面影、沿線の郷愁が懐かしく、鉄道を支えた多くの業務や慣習、切符の形や内容までどれも正確に描かれているのが、一ファンにとってはたまらなく良い。

車掌長も子どもの頃、一人旅で出会った駅員や車掌、車内で乗り合わせた乗客との会話や、親切にしていただいた想い出が沢山よみがえる。
特に、当時の地方の駅員や車掌は、言葉や目配り、気配りに温かみがあった。
それは今日の接客マニュアルになどには出てこない、心の通った言葉であり会話だった。

このマンガの登場人物や列車、風景などの描写も、穏やかで温かな雰囲気に包まれている。
肝心のストーリーは、荻野カレチが常に「乗客のため」を思い、一所懸命に業務に向き合う内容で、現代でも大切にしたい心掛けや教訓、考えさせられる話が散りばめられている。

人は誰しも仕事や生活に対し、少なからず抱く感情や起こす行動があると思う。

誇りや信念、美学、自信、責任、覚悟、完遂…
一方、保身や打算、虚勢、消沈、怠慢、妥協、虚偽、欺瞞(ぎまん)…

車掌長もそうだが、人の「強さ」と「弱さ」は背中合わせに存在する。
そのどちらに軸足を置くかで、その人の人生は大きく変わる。
つまり、「誰のための仕事」なのかを考えることである。

いま自分たちが行っている仕事は、もちろん給料を得るためであり、生活のためである。
だが、必ずその労働の対象には有形無形の相手が存在する。

その相手に喜ばれたり、感謝されたりする経験は、給料以外にも換金できない価値や喜びが得られるだろう。
ただ、その思いや行為を逆手にとってクレームを付けたり、過度な要求をする相手がいるのも現実…
マンガ「カレチ」は、そんなことを共感したり、悩みを解決する糸口やヒントがあると思う。

もちろん、そんな難しいことを考えずに気楽に読むのも良い。
素晴らしい作品なので、ぜひオススメしたい。

現在1~3巻が出ており、次の単行本化が楽しみだが、待てない時は週間漫画「モーニング」をどうぞ。
但し、「カレチ」は月一連載なので、運転日(掲載号)にはご注意を!
 

毛細血管と鉄道路線

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2012年3月17日 06:37

今日は違う角度から、鉄道について見つめることを試みたい。

人の体は心臓から動脈で血液送り出し、細動脈として末端まで運んでいる。
逆に心臓へ戻す際は、細静脈から静脈を経て心臓に戻ってくる。

毛細血管は、細動脈と細静脈を結ぶ網目状の細い血管だ。
血管内の血液と体内各部の組織との間で、栄養素や酸素、二酸化炭素、老廃物等の物質交換を行っている。

人の体は鉄道網とよく似ている。
心臓を東京駅と仮定すれば、動脈は新幹線の「下り」。静脈は同「上り」。
細動脈と細静脈は在来幹線。
毛細血管はローカル線。

また、列車は血管を流れる血液成分に例えられないだろうか。
赤血球や白血球、リンパ球は新幹線や特急であり、体内に必要な酸素(人)を円滑に運び、細菌から体を守る働き(高度安全運行システム)は、経済活動や人の往来を支えている。

一方、血小板や血漿(けっしょう)は、寝台列車、夜行列車、急行、貨物列車と言えるだろう。
栄養素やイオン、水、ホルモンを運び、不要物や水を持ち帰り、体温調節や体の保護、止血を担っている。

今日の鉄道の状況は、新幹線という動脈と静脈は肥大化し、多くの人々が活発に往来している。
だが、その先の在来線や更に先のローカル線は、急激に血管が細くされ血流が悪くなっていたり、既に廃線となり壊死(えし)した箇所も多い。

また、血液である列車も高速化と効率化の一辺倒で、安全を大前提に奮闘している。
しかしながら、メンタル面を含めた複雑な人間のつくりを円滑に維持したり、修復する補完的役割を担うような列車は壊滅(かいめつ)状態だ。

つい一昔前まで寝台列車や夜行列車の存在は、疲弊した現代人の体や心を癒す独特な「時の流れ」を提供していた。
また、そういう時間を大切にできた社会は精神的に豊かだったと思う。

今や、夜行列車に揺られて翌朝着くよりも、当日始発の新幹線で間に合うなら、そちらを選ぶ世の中なのかもしれない。
だが面白いもので、人の思考力や発想力は、違った環境や空間、時間の中で思いもしないパフォーマンスを生み出すことがある。
人々の思考が多様であり、それが大切にされる社会は、危機に強く、好機を逃さないものだと思う。

昨日、寝台特急「日本海」や夜行急行「きたぐに」がラストランを迎えた。
ニュースや新聞で報じられてはいたが、一過性の話題の範囲であり、その列車が存在すること、走り続けることの意味を深く掘り下げた報道は無かった。

人の体が新鮮な酸素を体の隅々まで行き届かせ、老廃物を回収し正常に循環させることが「健康」であるように、鉄道も地方のローカル線を切り捨てれば、その「地域」という組織に血液は届かず衰弱するであろう。
大袈裟だが、日本という体は毛細血管に血が回らなくなった地方から弱体化し、やがて国全体が活力を失うのではないか…と危惧する。

昨夜はそんなニュースを見て、ローカル線や人々の移動の多様性を維持する夜行列車を、ぜひ復活させてほしいと考える一夜であった。

寝台列車や夜行列車の復活は、きっと体内の老廃物(ストレス)を取り除き、分刻みの慌しい日常時間で負った傷を止血(癒し)してくれるだろう。