羊蹄丸、最後の銅鑼

カテゴリー:②番線:航空、船舶、バス方面 2012年3月27日 05:11

3月25日、お台場の「船の科学館」で係留展示されていた「羊蹄丸」が最後の航海に出た。

「羊蹄丸」は旧国鉄の青函連絡船として、青森と函館を結び活躍した船だ。
JR発足後間もなく青函トンネルが開通し、その役目を終えた1996年からお台場で「フローティング・パビリオン」として第二の余生を過ごしていた。

だが昨年7月末、船の科学館が年間維持費約3,000万円を捻出できなくなり、無償譲渡先を公募。
結果は愛媛県の産官学連携組織に引き渡され、一般公開後、「シップリサイクル条約」発効に向けた研究のために解体されるという。

この条約は環境に配慮した先進的な船舶解体を目指し、国際的なルールをつくるものらしい。

新聞では「リサイクル技術研究のため、世の中に寄与できる花道」というコメントも出ていたが、車掌長はそれが羊蹄丸でなくても良かったのではないか…と感じた。

そもそも、船の大殿堂であるはずの「船の科学館」が、年間3,000万円の維持費を工面できないという現実に唖然とした。国鉄連絡船として本州と北海道を結び、多くの人のドラマを運んだ大動脈の歴史を手放すことが、どれほど将来の日本の船舶文化の損失であることか…

鉄道もそうだが、廃止されたものを大切に保存し、貢献した歴史やエピソードを後世に伝承しないのは日本の文化の貧弱さを垣間見る。

いつか行ってみたいイギリスのヨークにある「国立鉄道博物館」や、アメリカのスミソニアン博物館群の1つ「国立航空宇宙博物館」とまでは言わないが、国際的にも日本は古いものに価値を見出せない、見出そうとしないのは何故か疑問だ。

羊蹄丸が曳航(えいこう)され愛媛に向かう最後の航海。
元青函連絡船「檜山丸」の船長らが、銅鑼(どら)を鳴らし送り出したという。

高校2年生の春休み、初めて北海道へ行ったことを思い出す。
夜行列車から乗り継ぎ青森駅で聞いた銅鑼の音が脳裏で響いた。
北の3月はまだまだ冬であり、鉛色の空とうねる海はまさに「津軽海峡冬景色」であった。

今後、青函連絡船は青森港の「八甲田丸」と、函館港の「摩周丸」を残すのみとなった。
両船はいつまでも活躍し貢献したご当地で、その歴史を物語ってほしい。
 

コメント(4件)

希望者挙手さんからのコメント(2012年3月28日 00:50投稿)

またまた夜行にて失礼します。
私は車掌長とはちょっと違った意味で、羊蹄丸に思い出があります。

6年前だったと思うが、車掌長にも縁があるTVチャンピオンという番組に、実は夫婦で出演したことがあり、その会場が羊蹄丸でした。

父親が家族のためにケーキを作るという企画に申し込んだところ、テレビ局から何故か「ケーキの企画ではなく、社交ダンスしつけ王選手権の生徒として夫婦で出演しませんか?」と誘われ、調子に乗って出演してしまいました。

レッド吉田の司会で、私は結構ウケてしまっていたようですが、当然、決勝に残るようなことにはなりませんでした(笑

しかし、文化遺産級の船を維持できずに、理由を付けて解体してしまうとは、海洋国家としていかがなものでしょうか?「船の科学館」という名前がむなしく聞こえてしまいますね。

たくちゃんさんからのコメント(2012年3月28日 06:07投稿)

少々話しが飛んでしまうかもしれませんが…

「ダサい」「古い」「昭和(時代の古いものというニュアンス)」といった
言葉が日常的に使われるようになったのは
いつのころからでしょうか。

スマートフォンがもてはやされ、
固定電話の契約が、減っているそうです。
電話をかけること自体が、面倒になって、
メールで済ますようになり、
相手からの返信が遅いと、不機嫌になる。
ならば電話して、直接話をしたほうが早いと
思っているのは、私だけでしょうか。

あれは「電話」であったはずです。

スマートフォンの知識は、使い方などを除けば、
ある程度持っています。
それでも私が持っているのは「携帯電話」であり、
それも、必要に迫られているから、に過ぎません。
できることなら、持ちたくはない。

現状の価値観や、見た目の派手さにとらわれ、
物事を深くまで突き詰めて考えることをしないと
秘められた嘘、策略などに
簡単に乗せられてしまうような
そんな気がするんです。

物づくりを継続しなければならないということは、
元あったものを否定し、
新しい物を、新しい基準とする作業の繰り返し。
ワタクシには、そう思えるんです。

なぜ、継続しなければいけないのでしょうね。
会社があり、工場があり、従業員がいる。
彼らの生活を維持しなければいけない。
そのために、既存の文化を片っ端から否定していく。
そんな生産活動に、果たして意味があるのでしょうか。

「かわいい~」
女性が使う、形容詞として、
あまりにも一般的になりすぎた言葉です。
物事に対する感想を表すときに、
この言葉しか使わない方が多いようです。

営々と築き上げてきたものを、ひたすら壊し続ける。
それが現在の文化であるとしたら、
ワタクシとしては、全力で否定したいものです。

車掌長さんからのコメント(2012年3月28日 06:13投稿)

希望者挙手様

毎度ご乗車ありがとうございます。

車掌長が乗務するのは専ら早朝ですが、深夜にご乗車のお客様があったこと、点呼時にきちんと引き継いでおりますのでご安心を。
最近は、5時を過ぎると空が明るくなり始めます。

さて、またまた希望者挙手さんの知られざる一面に驚きです。
それもケーキづくりへの応募からダンスに変更でのご出演とは、希望者挙手さんのマルチなお人柄が際立ちます。
しかも羊蹄丸にそんな素晴らしい想い出があったとは!

たしかに、羊蹄丸が「フローティング・パビリオン」として営業していた時は、多目的ホールがあったと記憶していますので、ここでロケをしたのでしょうか。

車掌長は「青函ワールド」という、昭和30年代の青森駅の雰囲気を再現したジオラマ展示が好きでした。
ちゃんと機関車や客車もあり、町並みもリアルでした。

青函連絡船は、船内設備も充実していました。
寝台、グリーン船室(指定・自由)、普通船室(椅子・桟敷)
、食堂、シャワールーム、カラオケ(団体用)など。
特にグリーン指定席のリクライニング角度は、飛行機のファーストクラスのように優雅で憧れでした。(車掌長は普通桟敷でしたので)
また船内では乗り継ぎ用の特急券等の切符も買え、電話の取次ぎも可能で、まさに船自体が列車であり、駅の機能を有していました。

そして、忘れてはならないのは、船内は人と人を介する生のコミュニケーションの宝庫だったことです。

羊蹄丸は6月か7月頃まで愛媛の新居浜市で一般公開され、解体されるようです。
想い出のダンスホールに再会できるチャンスはまだありますヨ。

車掌長さんからのコメント(2012年3月28日 21:29投稿)

たくちゃん様

毎度ご乗車ありがとうございます。

車掌長もたくちゃんのおっしゃることに同感です。
スマートフォンを持つことに何の興味もなく、その価値もわからないアナログ人間です。

むしろ、携帯に自分の時間を拘束されているような不快感や、嫌悪感、煩わしさを抱くことも多々あります。

こちらのシチュエーションを解さず、応答するのが当たり前のごとく鳴り続ける着信音(振動)は不愉快です。
そもそも携帯しているわけですから、2~3回鳴らして出なければ、出られない状況を察し、一旦切ってもらいたいものですよネ。

ハッキリ言って携帯は便利です。
それは否定しません。
また、生命に関わるような緊急事態時の連絡手段としても有用です。
しかしながら、その便利さは個人生活レベルでは過剰な域に入っていると思うのです。

次々出てくる使いこなせない(不要な)機能。
それを開発するスパンの短さに心身を削るメーカー社員。
来る日も来る日も販売ノルマに追われる販売店。
そして何よりも、携帯中毒のユーザーのことを考えると、現代人の多くは携帯に支配されているように思います。

また、次々新品に買い替えを促す商法は、環境負荷を考えると愚かな所業です。

たくちゃんさんと同じようなことを言うかもしれませんが、今の日本社会ほど「常識を疑う」ことは大切だと感じます。
多くの人が「常識」と信じてきたこと、思わされてきたことを、自分なりに疑問を抱き考えてみないと、取り返しのつかない病に侵(おか)される気がしてなりません。

かつてモノづくりで成功した日本を救う次の産業は、「メンテナンス」だと考えます。
半導体技術の衰退が雄弁に物語っていますが、今日のハイテク技術と言われる分野はすぐに新興国によって模倣され、価格競争で負けてしまいます。

だからと言って、大手も中小もこぞって海外へ人手も資本も移動させるのは、既存の売り上げ主義に翻弄されているだけで英知に乏しいと思います。

そうではなく、高度な技術や意匠で創造された本当に良い物を、長く愛着を持って使い続けられるような仕組みづくりはできないものでしょうか?
そして、その維持や修理に高度な技術とサービス(ハート)で応じることが、日本の誇りとなってほしいものです。

そして、その成功こそが真に「人にも環境にも優しい」はずです。

「直すよりも買った方が安い」という商習慣や購買行動は、人も使い捨てにする思考につながりかねません…

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