毛細血管と鉄道路線

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2012年3月17日 06:37

今日は違う角度から、鉄道について見つめることを試みたい。

人の体は心臓から動脈で血液送り出し、細動脈として末端まで運んでいる。
逆に心臓へ戻す際は、細静脈から静脈を経て心臓に戻ってくる。

毛細血管は、細動脈と細静脈を結ぶ網目状の細い血管だ。
血管内の血液と体内各部の組織との間で、栄養素や酸素、二酸化炭素、老廃物等の物質交換を行っている。

人の体は鉄道網とよく似ている。
心臓を東京駅と仮定すれば、動脈は新幹線の「下り」。静脈は同「上り」。
細動脈と細静脈は在来幹線。
毛細血管はローカル線。

また、列車は血管を流れる血液成分に例えられないだろうか。
赤血球や白血球、リンパ球は新幹線や特急であり、体内に必要な酸素(人)を円滑に運び、細菌から体を守る働き(高度安全運行システム)は、経済活動や人の往来を支えている。

一方、血小板や血漿(けっしょう)は、寝台列車、夜行列車、急行、貨物列車と言えるだろう。
栄養素やイオン、水、ホルモンを運び、不要物や水を持ち帰り、体温調節や体の保護、止血を担っている。

今日の鉄道の状況は、新幹線という動脈と静脈は肥大化し、多くの人々が活発に往来している。
だが、その先の在来線や更に先のローカル線は、急激に血管が細くされ血流が悪くなっていたり、既に廃線となり壊死(えし)した箇所も多い。

また、血液である列車も高速化と効率化の一辺倒で、安全を大前提に奮闘している。
しかしながら、メンタル面を含めた複雑な人間のつくりを円滑に維持したり、修復する補完的役割を担うような列車は壊滅(かいめつ)状態だ。

つい一昔前まで寝台列車や夜行列車の存在は、疲弊した現代人の体や心を癒す独特な「時の流れ」を提供していた。
また、そういう時間を大切にできた社会は精神的に豊かだったと思う。

今や、夜行列車に揺られて翌朝着くよりも、当日始発の新幹線で間に合うなら、そちらを選ぶ世の中なのかもしれない。
だが面白いもので、人の思考力や発想力は、違った環境や空間、時間の中で思いもしないパフォーマンスを生み出すことがある。
人々の思考が多様であり、それが大切にされる社会は、危機に強く、好機を逃さないものだと思う。

昨日、寝台特急「日本海」や夜行急行「きたぐに」がラストランを迎えた。
ニュースや新聞で報じられてはいたが、一過性の話題の範囲であり、その列車が存在すること、走り続けることの意味を深く掘り下げた報道は無かった。

人の体が新鮮な酸素を体の隅々まで行き届かせ、老廃物を回収し正常に循環させることが「健康」であるように、鉄道も地方のローカル線を切り捨てれば、その「地域」という組織に血液は届かず衰弱するであろう。
大袈裟だが、日本という体は毛細血管に血が回らなくなった地方から弱体化し、やがて国全体が活力を失うのではないか…と危惧する。

昨夜はそんなニュースを見て、ローカル線や人々の移動の多様性を維持する夜行列車を、ぜひ復活させてほしいと考える一夜であった。

寝台列車や夜行列車の復活は、きっと体内の老廃物(ストレス)を取り除き、分刻みの慌しい日常時間で負った傷を止血(癒し)してくれるだろう。 
 

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