旧万世橋駅

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2012年7月 4日 05:42

東京駅から JR中央線に乗ると、神田~御茶ノ水間に或る遺構を確認できる。
以前、中央本線の終着駅でもあった「万世橋駅」だ。

1912年に開業し、東京駅まで延伸されるまでは、大いに賑わったそうだ。
特に初代駅舎は東京駅のような豪華な佇(たたず)まいであったという。

開業から100年目にあたる今年、JR東日本が粋な発表を昨日行った。
赤レンガ高架橋の「旧万世橋駅遺構」を整備し、鉄道遺産として来夏に一般公開するという。

1943年に営業を中止して以来、よくぞ今まで残されていたと思う。
駅舎跡やホーム等が復活され、整備後は旧ホームまで周回できるコースも設定されるそうだ。
車掌長も今から楽しみでならない。

こうした取り組みや試みは、どんどん全国に広がってほしいものだ。

余談だが、車掌長は山手線の原宿~代々木間にある皇室専用の「宮廷ホーム」も一般公開されたら…と願う。
そして、あのプラットホームから一般の人々が旅立てるよう整備されたら、どんなに素晴らしいことかと胸がときめく。
車掌長は子供の頃から、あのホームの優雅さに憧れていた。

今では皇室の移動手段も新幹線が多くなり、ほとんど活用されていないようだ。
昨年、那須御用邸用地として管理されていた豊かな森を、天皇陛下のお考えで、国民が自然と触れ合える場として活用され「那須平成の森」として開園された。

もし、宮廷ホームが一般公開・利用という「夢」が実現したら、「カシオペア」や「北斗星」、「サンライズ瀬戸・出雲」などの既存寝台特急の始発駅にしてほしい。
(ホームに編成が収まるかどうかは怪しいところだが、長距離列車には入線から発車時刻まで、ある程度プロローグを楽しめる時間がほしい。)

また、新たに子供専用の特急や寝台列車なども素敵だ。
決して、富裕層相手の豪華な列車は要らない。
 

文月

カテゴリー:⑤番線:feel the season方面 2012年7月 1日 05:36

文月の由来は、7月7日の七夕に詩歌を献じたり、書物を夜風に曝(さら)す風習があったからだそうだ。
夏の夜風ほど気持ち良いものはなく、車掌長も大好きな時間だ。
清少納言も枕草子でズバリ「夏は夜」と申している。

7月は、変革の月であったとも言える。
アメリカの独立記念日、フランスの革命記念日がそうだ。
日本では多くの国民の意志に背いて、原発再稼働の「負の変革」の月となりそうだ。

変革と言えば、面白い会社が1つある。
明日7/2から、社内での公用語を完全に「英語」にする会社だ。
「英語公用語化」を表明して2年、いよいよ完全実施とのこと…

この会社の経営者の弁では「日本の大企業は英語ができず、世界のリーダーになれなかった」であった。

私見だが、これは当たっているようで、当たっていない。
今は単に、世界的に使用人口の多い言語が「英語」であって、経済のグローバル化やネット人口の拡大で、たまたま多くの人が使っているにすぎない。

「数が制する」という趣旨で、他社よりも手っ取り早くシェアを確保したいという私欲なら、「英語」を公用化するのも一理あろう。(使用言語の自由を奪われる社員の苦労は計り知れない…)

だが、車掌長とは考え方が違う。
車掌長は日本語ができる外国人を育てる方が、長い目で見たとき、日本の財産になると考える。

例えば、フランスは母語人口は約7,000万人だが、使用人口は約2.2億人とのこと。
日本は母語人口、使用人口とも約1.2億人だ。

この違いに着目したい。
フランスでは随分前から、移民やフランスで働く外国人に対し、仏語習得に国を挙げてバックアップをしているそうだ。
それは仏語がフランス社会にとって、重要な道具だと広く深く認識されているからだろう。

今後40年間で人口が倍増するアフリカで仏語が使われ続けたら、使用人口は6億人になるらしい…

使用人口が増えれば、そこに多くの技術や優秀な人財が集まり、経済が活性化するのは言うまでもない。

日本もぜひ、母語である「日本語」を大切にし、世界中から学びたいと思われる言語になってほしい…
それは日本でしか学べない技術や文化、自然の美しさ、人の魅力、職場があってこそだ。

ところで、日本人は時間をかけて「育むこと」や「教えること」、「楽しむこと」を、いつの間にか忘れたり、ないがしろにするようになってしまったと思う。

そして、世の中が「即戦力」や「即効性」ばかりを求めた結果、自前で「育てる」「教える」力を自ら失い、働く者も本来はもっと他のことに時間を費やすべきだったり、楽しむべきだった「自分の時間」を犠牲にし、翻弄されている。

人間が一人前になるまでの時間や労力を惜しめば、結果的には一会社のことに留まらず、社会全体の損失になるだろう。これは学校教育にも言えることだ。

確かに日本の文化や国民性として、「順応性」は長(た)けているし、それが美徳とされる。
だが、それは見方を変えると「不自由」なことかもしれない。

己を黙して(殺して)、会社組織や集団に合わせようとする真面目さは、言い方を変えると「横並び」からの脱却という、個の意識変革が大切だと痛感する。

ときに、今日の働き盛りの世代が、メンタルヘルスで病んでいる状況を心から憂う。
きっととてつもない仕事のプレッシャーや、無理難題を抱えているのだろう。

気の持ちようで、色々な生き方があることを、旅に出て知ってもらえたらと願う。
時刻表片手に自由な旅出よう!
 

コメント(2件)

たくちゃんさんからのコメント(2012年7月 2日 06:31投稿)

車掌長の考えに激しく同感です。

様々な考えがあることは理解します。
グローバリズムなんていう言葉があることもわかります。

ベースになる考え方が、どこかにいってやしないかと
思うのは私だけでしょうか。
それは「ナショナリズム」

自国があってこその「世界」
外国に旅をする、ということを突き詰めて考えた場合、
自分が属する国があってこその「外国」であって
人類みな兄弟という考え方があったとしても
自分の生まれ育った国のことを
悪く思う人はいないと思うんですがね。

卑下することなく、驕ることなく
日本人であることを、
噛みしめるように
誇りに思うことは、大切なことだと思うんです。

車掌長さんからのコメント(2012年7月 2日 21:07投稿)

たくちゃん様

毎度ご乗車ありがとうございます。

たくちゃんさんのご意見、車掌長も共感します。
自国あっての海外…
まさにその通りです。

車掌長もこの日本が大好きです。
そして、だからこそこの乗務日誌で、昨今の日本の姿を嘆き、疑問を抱き、このままでは…と、憂うのです。

日本は本来、世界に誇れる国だと信じています。
ただ、「経済優先」で走り続けた弊害が、目に見えてあちこちで支障を来しています。

また、世界的な実態の掴(つか)めない経済の暴走に巻き込まれたまま活力を失い、採算性ばかりを追いかけ「効率的」「画一的」「平面的」な生産及び消費活動へと後退しています。

最近の商品やサービスは、相手が金持ちであることが露骨にわかり、「夢」がありません…

経済あっての生活とよく言われますが、順番がおかしくないでしょうか?
車掌長は1人1人の生活あっての経済活動だと考えます。

そうでなければ、働いても働いても生活が楽にならない矛盾がまかり通ってしまいます。

まして、働けるだけマシなどと思い始めたら、気づかぬうちに自分自身が職を失うトラップに陥るかもしれません。

大切なことは、自分自身や自分の国を大切にして、物欲的な豊かさではなく、少しでも精神的な充足を実感できることだと思うのです。

それは、人と過ごす「時間」であったり、大切な人に会うまでの「時間」などに、喜びや価値を見出すこととも言えます。

そして、その仕掛けや調味料的な役割を果たすのが、旅であったり移動の手段や方法だと思うのです。

なお、その教科書は言うまでもなく「時刻表」です。


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